「賀川豊彦と現代」(第26回)(絶版テキスト化)



 賀川豊彦と現代(第26回


 絶版・テキスト化


         Ⅶ 賀川豊彦と現代

          二 社会活動の継承


          1  「イエス団」「雲柱社」の活動


 本書ではとくに、神戸を中心とした明治末から大正期の賀川らの社会活動を概観してきましたが、その中の社会事業活動や協同組合運動の取り組みなどは、ひときわ大きく継承・発展されて今日に至っています。ここではまず、一九二二(大正一一)年七月に「イエス団」と称して財団法人として組織された社会事業活動を中心に一言しておくことにいたします。


 次に掲げる「賀川豊彦の社会事業」一覧は、村島帰之氏が「賀川豊彦氏の社会事業とその特異性」(『雲の柱』一九四〇年六月)でまとめたものに武田清子氏(注1)が修正を加え(『土着と背教』所収論文)、今回さらに一部補正してなったものです。これには、当時の賀川の影響のひろがりの一端がうかがわれます。





 これらの活動は、次々と新しい働き手に恵まれ、いまに引き継がれています。賀川の本拠地とも言える神戸の賀川記念館には「イエス団」の本部があります。この「イエス団」は一九八七年四月現在、学校法人の幼稚園一、社会福祉法人乳児院一、精神薄弱児通園施設一、保育所二二、隣保事業三、保母養成施設一、研修所一、収益事業二など多数の関連施設を擁し、それらの施設は兵庫・大阪・京都を中心に香川・徳島・和歌山・奈良にそれぞれ分布しています。


 また東京には、社会福祉法人の「雲柱社」が一九五四(昭和二九)年に組織され、一九八七年四月現在、保育所八、幼稚園一、精神薄弱児通園施設一、収益施設三などが、東京を中心に静岡などでもそれぞれ運営されています。またこれらの社会事業とは別の財団法人「雲柱社」が一九三八(昭和一三)年に設立され、一九八二年に完成した「賀川豊彦記念・松沢資料館」もここが運営しています。


 その他、賀川に直接影響を受けて社会事業活動に打ち込む関係者や団体は全国に散在しており、医療・教育・生協などで活躍する人々を含めると数えきれない働き人になります。


(「注1」武田清子(一九一七〜)
 国際基督教大学教授。元WCC会長、日本イギリス哲学会理事。



             2 「イエスの友会」


 また、一九二一(大正一〇)年一〇月に結成された「イエスの友会」という組織があります。これは現在、東京の財団法人・雲柱社に本部が置かれ、機関誌『火の柱』を発行しながら、会員相互の交流と研修の場が設けられています。


 この会の初期の構想には、「労働者伝道部」「貧民窟改良部」「労働組合部」「消費組合部」「出獄者保護部」「禁酒運動部」「農民組合部」「社会衛生部」「病人看護部」「社会教育部」「国際部」などの諸部門を設け、超教派的なユニークな信徒運動がめざされていました。そしてこの構想は、それぞれ独立して実を結び、新しい発展を遂げていくことになるのです。この会には、今日においても「イエスの友五綱領」が生きていて、①イエスにありて敬虔なること、②貧しき者の友となりて労働を愛すること、③世界平和のために努力すること、④純潔なる生活を貴ぶこと、⑤社会奉仕を旨とすること、を合言葉にその精神を現代に生かす新たなヴィジョンの模索がつづけられています。





 賀川は、その生涯をとおして常に「種を播く人」でした。そして、そこに播かれた小さな「一粒の麦」が、それぞれの担い手たちによって大切に養い育てられ、こうして現代社会にあって、さらに新しい冒険が試みられようとしているのです。


   (次回に続く)