「賀川豊彦と現代」(第25回)(絶版テキスト化)



 賀川豊彦と現代(第25回


 絶版・テキスト化



         Ⅶ 賀川豊彦と現代


         一 宗教思想の独創性


 賀川の没後、はや三〇年近い歳月が経過し、彼と同時代を生きてきた人々の多くが、次々と第一線から退かれつつあります。これからの新しい時代を切り拓こうとするわたしたちは、これら多くの先達の証言にも注目しながら、賀川豊彦の人と思想について、より正確な理解を深め、十分な検討・吟味を加える課題が求められています。


 本書では、とくに部落問題との関わりをめぐって、主として青年賀川の「葺合新川」での活動期を中心に取り上げてきました。そして、現在も未解決のまま続いている「賀川問題」についても概略ふれてまいりました。以下、Ⅶでは「賀川豊彦と現代」と題して、これまでに言及できなかったことで、わたしたちが積極的に継承すべきとおもわれる二、三の点のみ記して、本書の結びにかえることにいたします。


             I 腹の決め方


 賀川は、幅広い社会活動の開拓者として知られていますが、彼の基調にはつねにキリスト教信仰があり、自ら「牧師」でもありました。それも、いわゆるキリスト教団(会)内の「牧師」というより、当初は文字どおり「葺合新川」の「牧師」であり、後には世界・宇宙を生きる場にした、国民的・世界的「牧師」として活躍しました。したがって、ここではまず彼の独創的とも言える宗教思想の醍醐味の一端をご紹介しておくことにいたします。


 賀川が若き日、心身の苦闘の闇をくぐり抜けることができた、ある宗教的確信(目覚め)とも関連する彼の“腹の決め方”の面白さをみたいとおもいます。どういう理由でか『全集』からはずされている重要な著書『病床を道場にして』(福書房、一九五六年)の中の一節に、次のように記されています。


 「わたしはこれまで別にこれという事はしていない。ただ神と偕に生きて来た。精神作用を根幹として無限の中に生きれば腹は決まるものである。自分が生きていると思うから、つまらないことに絶えず動揺するのであって、宇宙全体の神がわれわれを支え、励まし、導いているということを信ずれば、われわれの腹はどっと決る。この信仰に入れば、もうわたしはわたしではなく、神のわたしとなるのである。即ち有限の相が無限の相、絶対の相にまで延び、これと結びつくのである。……この無限の気持ちがそこから発して、そのまま有限の相、海面にまで浮び上ってこそ、真に腹が決ったと云えるのであろう。」


 右の表現には、検討を要する点も多いとはいえ、賀川の宗教的確信の出どころが解り易く言い表わされています。そしてさらに、賀川は次のように記しています。


 「無限の相より浮び上って、無限の神の愛を以て、他人の欠点を自分の欠点とし、自分一人で引受けるという大きな気持、即ち人間の間違いをば引受けて自らが罪の庭に立つ、これがキリストの『贖罪愛』である。」


           2 「贖罪愛」の息吹き


 賀川の「贖罪愛」の主張には独自なものがあります。それはつねに、賀川の場合、もっぱら人間の新しい生き方と直接かかわることとして見られています。人間は誰でも「キリストの贖罪愛」の息吹きを受けて、日々に新しく生きることができるようにつくられており、「そこから」生活のすべてに於て、「腹を決めて」歩むことが可能になると言うのです。これも『全集』から落ちている好著『神の懐にあるもの』(警醒社書店、一九二五年)の中でも、次のように述べています。


 「平凡な日常生活の中に、神の種を包蔵し、神の如く地上を歩む生活である。……魂の中に基督が生きるのだ。私は神の如く地上を歩く。……地上に穢れと云ふものはない。彼に於ては凡てが聖められたのだ。
 ……何にも苦労がない。別に努力してゐるわけでもない。それは恰も風のように自在に、自由に、あるが儘に私は歩いて行く。……私は風のように生きて、風のように暮している。私は無理のない生活に、生命なる神の聖き交通を保つことを努力している。一つとして、歓びで無いことがない。寝る時も、醒める時も、食ふ時も、走る時も、病む時も、語る時も、『私』のようで、『私』のものでない。……私は神の前に無理がない。」


              3 いのちの躍動


 右のような賀川の言葉は、キリスト者の間にあってもこれを不遜かつ高慢な賀川の独りよがりのようにしか受け止められない場合も、けっして少なくありません。しかし実は遂に、あの面目躍如たる自由活捷で冒険的な生活の秘密は、むしろここにあったと言うことができるのです。だからこそ、「暗中隻語」の中の次のような言葉も生まれてくるのです。


 「真の宗教は、床の中に、書斎の中に、街頭に、散歩に、労働に、工場に、遊戯に、食事に、発明に、また眠りの中にあらねばならない。……生の躍動の凡てが宗教である以上、どうして社会運動だけが、宗教から離れて存在し得るのであろうか。臆病者だけが神と世界の二元論を説くのだ。……見よ、神は最微者の中に在す。神は監獄の囚人の中へ、塵箱の中に坐る。不良少年の中に、門前に食を乞ふ乞食の中に、施療所に群る患者の中に、無料職業紹介所の前に、立ち並ぶ失業者の中に、誠に神は居るではないか。だから、神に逢はうと思ふ者は、お寺に行く前に、監房を訪問するが宜い。教会に行く前に、病院に行くが宜い。聖書を読む前に、門前の乞食を助けるが宜い。寺に行ってから監房に廻れば、それ丈け神に逢ふ時間が、遅れるではないか。教会に行って、後に病院に廻れば、それ丈け神の姿を拝することが、遅れるではないか。門前の乞食を助けないで聖書を読み耽って居れば、最微者の裏に住み給う神が他処に行って仕舞ふ怖れがある。誠に失業者を忘れる者は、神を忘れる者である。」


              4 批判的精神


 賀川の魅力は、こうしたいくらかユーモラスで大胆率直な発言の中にもありました。そしてとくにその鉾先は「教会」にむけられていました。


 「今日の教会は教会として社会に何等の責務を以て居りませぬ。……基督教徒が全部ブルジョア化して小資本家になって居るうちに新しく興って来た無産階級は教会を置き去りにして進みます。可哀相なのは教会です。教会が今日の個人主義から目醒めねば十八世紀の遺物としては山手の方面に伽藍堂を遺すでせう。窓硝子が幾ら青、赤、紫で飾られて居っても人間は其処へは寄って来ないでせう。雀が巣ふには丁度好い処です。教会が無産者の解放を忘れるとこんな目にあひます。」
                      (「雲の柱」大正12・3)


             5 聞かれた関心


 彼の宗教思想の中で興味をひくのは、広い視野から見とおす開かれた態度です。たとえば、彼が仏教について書いている『病床を道場にして』の中の一節には、次のように記されています。


 「永く病気しましたので、深く考へました。深く考へると、うれしくて身体が透明になるように思ひます。臥寝してゐる間に維摩経阿含経を読んで貰ひました。維摩経の華やかな心持――その平凡生活の福音をうれしく思ひました。……阿含経は釈迦の求道心をうれしく書いてくれてあります。私も釈迦のように道の傍に座って瞑想したいと考へました。……私は釈迦の姿を阿含で見付けたように思ひました。病気してゐる釈迦、考えてゐる釈迦、我等と少しも変らぬ釈迦、日常生活の釈迦、近づき易い釈迦……私は釈迦の心に十字架を植ゑたいと思ひました。」


 賀川のこうした独創的な宗教思想については、「あとがき」でも少しふれているように、近年あらためて注目されつつありますが、わたしたちにも何か響き合うものがあるのではないでしょうか。


   (次回に続く)