「賀川豊彦と現代」(第22回)(絶版テキスト化)



 賀川豊彦と現代(第22回


 絶版・テキスト化


       Ⅵ キリスト教界の「賀川問題」


         一 『賀川豊彦全集』問題


          5 宗教界の「部落問題フィーバー」


 ともあれこのようにして初版は刊行され、第二版は一一年後の一九七三(昭和四八)年に初版同様のかたちで出版されます。詳しい経過は省きますが(拙著『部落解放の基調』参照)、翌々年五月には部落解放同盟による日本基督教団への最初の「確認会」が行なわれ、紆余曲折を経て一九八一(昭和五六)年一一月には同教団の中に「部落解放センター」が設立されます。この年にはすでに六月に「同和問題に取りくむ宗教教団連帯会議」が結成され、いわゆる「部落問題フィーバー」で宗教界は大揺れにゆれるのです。こうした事態を背景にして、初版からほぼ二〇年後の一九八一(昭和五六)年末に『全集』第三版の時期をむかえました。


            6 削除措置の誤り


 この第三版でとられた措置は、右にあげた異常とも言える背景があったとはいえ、関係個所を削除するという出版元の「自主規制」でした。つまり『全集』第八巻の『貧民心理之研究』の第一編第七章「日本に於ける貧民及貧民窟」及び『精神運動と社会運動』の後編四「兵庫県内特種部落の起原に就で」の部分が消されてしまったのです。


 この第三版が出て半年以上経た翌年七月、日本基督教団「部落解放センター」と「部落解放キリスト者協議会」〔この組織は初版のときの問題提起の中心であった「キリスト者部落対策協議会」が、一九七八(昭和五三)年に名称を変更したもので、個人有志からなる超教派の自主組織]両者と出版元との「話し合い」が始まります。そこでは、出版元の削除措置の理由として、これまでは版権者の賀川夫人が「原文のまま出版してほしい」と希望したので削除できなかったが、第三版は出版元が版権を得たので削除が可能となったと述べられ、これに対して問題を指摘する人々からは「出版社の責任を賀川夫人に転嫁するものだ」と反論が加えられています。


 なぜ出版元は、賀川夫人が堅持した気骨ある姿勢を支持し貫くことができなかったのでしょうか。賀川夫人は、一九八一(昭和五六)年六月の灘神戸生協六〇周年記念式のとき、嶋田啓一郎氏(注1)に対してこの問題にふれて次のように述べたと言われます。


 「学問の世界で論じられることならば、ありのままに出版して、正確に批判を受けることが当然のことではありませんか。賀川のこの二七歳の時の書物は、その後七二歳の逝去の日までの永い活動そのものを通して、訂正し償ってきたことが明らかになることが、大切ではないでしょうか。」


 嶋田氏はこの発言に接して、「ハル夫人のこの返答は、批判精神を根本とする良心的学徒の真理への忠実さにも似た勝れた判断であると、感動を覚えました。」と『賀川豊彦学会論叢』創刊号(一九八五年一一月)で記しています。


 「差別表現」の問題を正しく解いていくためには、このような学問上の良心と自由が抑圧されることがあってはなりません。その点でも、問題を提起する人々の良識と見識が逆に問われており、そこに不当・不法な要求が含まれていないかどうか、厳しい内部的吟味が常に必要であるのです。同時に他方、この場合出版元としての責任を負う人々は、出版人として自由を貫く勇気が求められています。


(注1)嶋田啓一郎(一九〇九−)
 同志社大学名誉教授。日本キリスト教社会福祉学会会長。



   7 三項目の「提案」


 さて同年九月には第二回目の「話し合い」が行なわれて、日本基督教団「部落解放センター」から、次のような三項目の新しい「提案」が示されます。


 ① この問題を社会化するために、(センター側が)部落解放同盟に報告し、キッチリ取り組むよう要請する。
 ②「賀川豊彦全集」第八巻における部落問題ならびに身体障害者、貧しい人たち、労働者、朝鮮人などに関する差別表現についてどう考え、どう扱うか、同社の「見解」を文書で提出する。
 ②部落解放運動に力を入れるとすれば、今後どう取り組むか、同社の具体的な方策・プランを文書で提出する。


 さらに右の点に加えて、「第八巻そのものは差別文書として位置づけている。『解説』についても差別文書に加担し、差別を助長している文書と考えている」との重大な見解が示され、同年一〇月末までに「回答書」を三者(「日本基督教団部落解放センター委員会」「部落解放キリスト者協議会」「部落解放同盟中央本部人権対策部」)へ提出するという「確認」が行なわれます。


   (次回に続く)