「賀川豊彦と現代」(第21回)(絶版テキスト化)



 賀川豊彦と現代(第21回


 絶版・テキスト化


         Ⅵ キリスト教界の「賀川問題」


          一 『賀川豊彦全集』問題


          1 「キリスト者部落対策協議会」


 本書「はじめに」において、最近の宗教界、とりわけキリスト教界にみられる部落問題をめぐる状況の一端にふれました。本章では、その発端とも言える『賀川豊彦全集』問題と日本基督教団(注1)内で論じられている「賀川豊彦と現代教会」問題の経過と問題点にふれておくことにいたします。本書の全体は、これらの問題の積極的な解決にいくらかでも寄与することをめざしていますが、早速『賀川豊彦全集』問題と言われるものから検討をすすめます。


 賀川が一九六〇(昭和三五)年四月、七二歳で病没して後しばらくして、全集刊行委員会がつくられ、二年後の一九六二年にその刊行計画が具体化しはじめました。この刊行計画に対して問題を提起したのは「キリスト者部落対策協議会」の人々でした。


 当時すでにキリスト教界においても、一九五〇年代から部落解放の課題をかかげて取り組む有志が生まれ、西日本を中心に地道な活動が重ねられていました。なかでも、東岡山治氏(注2)、益谷寿氏(注3)らがその指導的位置にあって、研究者や活動家を組織し、当初は「関西キリスト者部落対策協議会」と称して、機関誌『荊冠』を一九六一(昭和三六)年四月から創刊しています。この一九六〇年前後は、部落解放運動にあってもひとつの高揚期で、今日でも歴史的価値を失わない亀井文夫監督の記録映画「人間みな兄弟」が完成した頃で、その上映運動が熱心に取り組まれていました。そして、この運動の推進者もしくは共鳴者の中には、賀川豊彦と深い関わりのある人々も多くありました。“神の前に人間みな兄弟である。基督者は兄弟として全ての人に仕える責任かおる”という標語をかかげた上記『刑冠』の創刊号の巻頭には、『賀川豊彦全集』発行元のキリスト新聞社社長・武藤富男氏のインタビュー記事が収められていることにも象徴的に示されています。


(注1)日本基督教団
 一九四一年に日本にあるキリスト教諸教派(カトリック教会を除く)が合同して成立し、戦後離脱する諸教派も出たが、今日でも日本における最大のプロテスタント合同教会である。
(注2)東岡山治(一九三〇−)
 この当時、日本基督教団福島町伝道所牧師並びに広島キリスト教社会館館長として活躍し、一九六三年より同教団堅田教会牧師となる。
(注3)益谷寿(一九二二−)
 この当時、日本基督教団西成教会牧師並びに大阪キリスト教社会館館長として活躍。


          2 全集刊行委員会の対応


 さて、一九六二(昭和三七)年九月、キリスト新聞紙上で全集刊行の予告が行なわれた後、キリスト者部落対策協議会中央委員会は一〇月に、全集刊行委員会に対して『貧民心理之研究』の中の問題個所の「全文削除」を求める「要望書」を送付しました。この内容は、もしもこのまま刊行すれば「こんにちの社会に悪い影響を与える」のみならず「賀川先生の名誉を傷つけるものだ」といった主張でした。「教会と賀川先生を愛するゆえにこそ、この著書を世に出したくなかったし、この著書が出版されることにより教会人の部落問題への姿勢が急速に後退」するという危惧でした。


 これに対する「回答」は、「御立場は十分に理解するが、故人の意志を無視して原文を削除することは当を得ないし、また著作権者たる遺族もこれを承諾しがたい事情にあるので、予定通り削除せずに出版する。しかし解説者において、巻末の解説に、キリスト者部落対策協議会の主張の要旨をのせ、旦、賀川の主張を論評して、世人の誤解をとくように努力する」という内容でした。


 こうして『賀川豊彦全集』全二四巻、とくに問題となった『貧民心理之研究』所収の第八巻は、この年「削除」されることなく刊行されました。しかし残念なことに「巻末の解説」が不十分かつ不適切な内容を残したために、この問題は正しい解決をみずに後に尾を引くことになったのです。


              3 問題の所在


 では、この「全集問題」は何が問題で、その解決方法で何が不十分だったのでしょうか。


 問題となった『貧民心理之研究』については本書で詳しくふれたとおりですが、これを全集に収めようとする場合、こうした一定の歴史的評価を得た作品に対して「削除」措置をとることは、出版ルールを踏みはずした行為だと言わねばなりません。「削除」を求めた人々は、この書物によって部落解放に悪影響を与えるのみならず、先生の名誉を傷つける点を主要な理由にしたのですが、その点こうした「要望」を排して無傷のまま刊行した版元の行為は正しいものでした。ただそのときの間違いは「解説」が不充分かつ不適切な内容であったことです。「解説」もしくは「註」のかたちで、賀川の部落問題認識の誤りについて明確に評価を加え、最新の研究成果をふまえた正しい見方を提示できておれば、後にみるような無用の混迷を生まずにすんだはずです。


 『賀川豊彦全集』といわれるような著作はとくに、その折々に全力を傾注して世に出した作品を、マイナス部分も隠すことなく後世に残すことが必要なのです。もしもそうでなければ、善意のうちに無益な偶像をつくりあげる道を開くことになるばかりでなく、これから賀川豊彦の人と思想を学ぼうとする者にとっては、「削除」された『全集』など、歴史的価値を失った「傷もの」としてしかみられなくなるのも必定です。


            4 歴史的にみる目


 ひとつだけここで附言しておきますが、「削除」を正当化する考え方の中に、こうした著作をそのまま収めれば、世間に害を及ぼすばかりでなく、これによって心が傷つき痛みを受ける人があり、まして本人が「絶版」を約束したような書物なら、「削除」だけでなく全集からも除くべきではないか、とする見方があります。こうした見方は、今日のキリスト教界共通の見方と言ってよいほどに、一見もっともな見方のように考えられています。


 しかし、そのようにして「削除」し、歴史上の事実をあたかも無かったかのように扱うことが、果たして真の解決になるかと言えば、それは一時的な「対策」にすぎない気休めのような処理でしかありません。むしろこの問題は、読む側のわたしたちが、正しく歴史的にみる目を養うことをとおして、過去の作品を理解し評価・批判するよう務めるべきなのです。


 七〇年以上も以前の作品を、あたかも今日のもののように歴史を飛びこえて読むことは正しくありません。その時代状況と歴史的な場をふまえて、これを読むことが必要なのです。部落解放をめざす人々は、このことを積極的に提起して、「削除」要求でなく、むしろより完全な『賀川豊彦全集』が刊行されていくように援助と協力をすすめるのが、本来の在り方ではないでしょうか。


  (次回に続く)