「賀川豊彦の『協同・友愛』『まちづくり』―創立期の水平社運動と戦前の公営住宅建設」(第1回)(1992年)


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 賀川豊彦の「協同・友愛」「まちづくり


     創立期の水平社運動と戦前の公営住宅建設


              1992年


               第一回


               はじめに


 賀川豊彦は一八八八(明治二二)年神戸市に生れ一九六〇(昭和三五)年に七二歳の生涯を閉じた。社会評論家として知られる大宅壮一が、賀川を追悼する文集『神はわが牧者−賀川豊彦の生涯と其の事業−』(このたびクリスチャン・グラフ社から装いを新たに七刷が刊行された)の巻頭でつぎのように述べている。


 「大衆の生活に即した新しい政治運動、社会運動、組合運動、農民運動、協同組合運動など、およそ運動と名のつくものの大部分は、賀川豊彦に源を発していると云っても、決して云いすぎではない。……近代日本を代表する人物として自信と誇りをもって世界に推挙し得る者を一人あげようと云うことになれば、私は少しもためらうことなく、賀川豊彦の名をあげるであろう。かつての日本に出たことはないし、今後も再生産不可能と思われる人物――それは賀川豊彦である。」(注1)


 大宅のこうした評価は、一時期賀川との浅からぬ関係をもった彼の個人的な思い入れが多分に含まれているとはいえ、「賀川豊彦」が、日本の近現代史に大きな足跡を残した大衆的な国際人として活躍したひとりであることに、異論をはさむ人は少ないであろう。


 ところで、上記の大宅の言葉には「水平社運動」は特に上げられてはいない。しかし、賀川豊彦が水平社の創立に一定の役割を果たしたことについては、工藤英一氏(注2)やとりわけ鈴木良氏の精密な研究を通して次第に明らかにされてきている(注3)。私も以前、キリスト教界におけるあまりに乱暴な「賀川批判」が横行していたためにやむなく筆を取った折に、全くの素人の目でその点に触れたことがあり(注4)、鈴木氏は歴史家の眼を通して私の理解の届かなかった点を訂正するかたちの貴重なコメントを「賀川豊彦と水平運動―鳥飼慶陽『賀川豊彦と現代』によせて」(兵庫部落問題研究所『月刊部落問題』一九八八年九月号)としていただくことができた。


 そこで本稿では、賀川がめざしていた運動の基調となっていたと思われる二つの点、つまり「協同・友愛」と「まちづくり」に焦点を当てて「創立期の水平社運動」と「戦前の公営住宅建設」に果たした彼の足跡を確かめておきたいと思う。もちろんこのことは、われわれにとって単に歴史的な足跡を確かめるばかりでなく、むしろ今日的、将来的な関心事と触れ合うものがある点も否めない。


 というのは、水平社運動創立七〇周年という記念の年を迎えている現在(一九九二年)、部落問題の解決に向けたとりくみは、ようやくにして最終的な「総仕上げ」の段階を迎えている。そうした中で、これまでの「部落解放」という固有の課題を担って活動してきた住民運動である部落解放運動も、「総仕上げ」の課題を担うにふさわしいとりくみのひとつとして「協同組合的住民運動」が位置付けられ、各地でその試みが始められている。


 特に、われわれの神戸でも五年前より「労働者協同組合」や「教育文化協同組合」といった新しい試みが開始され、同時にまた同和対策としての環境改善事業が完了・終結を迎えるのと同時進行的に、まさに本格的な「人権と福祉のまちづくり」をめざして住民(運動)と専門家を交えた「住宅、まちづくり」の研究活動も意欲的にすすめられてきている。(注5)


 これらはもちろん、長い歴史的な積み重ねを経て、今日的な新しい状況のなかで展開されている運動であって、以下に顧みようとする賀川らの協同組合運動の系譜とは直接的な関連を持つものではない。むしろ、それぞれに独自な展開過程を経て、将来的な展望を切り拓こうとしているものである。しかし、われわれが現在の部落問題のとりくみの方向を確認する場合、また現在の社会的な状況を見る場合、あらためて賀川らがめざしてきた「協同・友愛」の精神と「まちづくり」への意欲は、あらためて顧みるべき価値をもつものであるように思われる。


 周知のごとく本年(一九九二年)は国際協同組合同盟(ICA)の第三〇回大会が一〇月二七日から三〇日の三日間東京で開催される。このICAは一八九五年に結成され、現在では八二か国、六億人、九国際組織が加盟する大組織で、日本における協同組合運動に責任を担った賀川とも関係の深い組織である。今回の大会では一九八〇年の第二七回大会におけるレイドロー報告以降求めつづけ前回(一九八八年)大会のマルコス報告で明確なものになりつつある「協同組合の基本的価値」がテーマである。とりわけこの東京大会はアジアで初めて開催されることもあり、国内でも多くの注目を集めている。(注6)


 最近、『社会科学としての保険論』(汐文社刊)『保険の社会学』(勁草書房刊)などで知られる本間照光氏が賀川豊彦の「協同組合保険論」を取り上げて刺激的な論文を発表し、本年七月東京で開催された第八回賀川豊彦学会でもその内容が報告され注目を集めた。(注7)


 こうした現代における「協同」を問う流れは、実践の上でも研究の上でも、新鮮な課題として浮上しつつあるように思われる。同時にまた「まちづくり」運動も、今日では都市、農村を問わず現在の共通の課題であることもあらためて指摘するまでもない。


              


(1) この度の第七刷では九頁。編者の田中芳三氏は『荒野で水は湧く』『種子をまく人々』などで知られ、久しく絶版であった本書を自分の「小さな墓石」のつもりで出版したという。本書は書店に出ないようであるのでクリスチャン・グラフ社の住所をあげておく。大阪市阿倍野区文の里三−一○−六、定価一八〇〇円。


(2) 「部落問題研究」七五輯(一九八三年三月刊)の「部落問題研究への証言3」での工藤英一氏への萩原俊彦氏によるインタヴュー「キリスト教と部落問題の研究」参照。その他、工藤氏の『キリスト教と部落問題』(新教出版社、一九八三年)、『社会運動とキリスト教』(日本YMCA同盟出版部、一九七二年)など参照。


(3) 多くの論稿のうち特に立命館大学「人文科学研究所紀要」第四三号(一九八七年三月)所収「水平社創立について」、『部落問題研究』第九一輯(一九八七年九月)所収「水平社創立をめぐって(その一)」参照。


(4) 『賀川豊彦と現代』(兵庫部落問題研究所、一九八八年刊)。


(5) 全解連神戸市協議会書記局『神戸からのレポート』(部落問題研究所、一九九〇年刊)参照。


(6) S・A・ベーク著『変化する世界協回組合の基本的価値』が、日本協同組合連絡協議会(JJC)の第三〇回ICA東京大会組織委員会によって、一九九二年七月翻訳刊行され準備討議がすすめられている。この大会で、日本の中高年雇用福祉事業団(労働者協同組合)全国連合会(NFJC)も正式加盟して仲間入りをする予定である。


(7) 本間照光「賀川豊彦の協同組合保険論−社会科学における継承と断絶の一考察(『北海学園大学経済論集』第一三九巻第四号、一九九二年三月)、同「賀川豊彦の協同組合保険への軌跡と論理―神の国運動へ、そして出発」(東北大学経済学会研究年報『経済学』第五三巻第四号、一九九二年)参照。