「天の心・地の心」(1993年、賀川豊彦記念墓前集会)


宮崎潤二さんの作品「ニュージーランドクライストチャーチ市」




 賀川豊彦召天33周年記念墓前集会


 天の心・地の心 マタイ6・5〜13


    1993年4月24日 賀川記念納骨堂にて


   「ボランテア」記念館だより 第58号 1993年7月


 私たちの世代は賀川先生を直接知らない世代に属します。最近では先生のお名前さえ知らない人が多くなってきました。先生は、ご自分の名前を刻んだり「記念」の何かを残すことを潔しとはなさいませんでしたが、そのご生涯は、同世代を生きた人々ばかりでなく、私たちにとっても、不思議な何かを残されました。それは、幅広い大きなお仕事をされた方ということよりも、むしろごく普通に、人が人として生きていく「生きるかたち」を証しされたからでした。


 先生は、私かちと同じように心も身体もとても弱い方でした。ご両親を幼くして失い、大変不幸な育ち方を強いられました。その彼が、心身ともに元気になり、明るく喜んで生きることが出来ていきます。とりわけその青年期から神戸時代の様子は、自伝小説『死線を越えて』に記され、全国津々浦々幅広い共感の輪を広げました。


 神戸時代に『イエスの宗教とその真理』という興味深い作品がのこされています。先生はそこで、イエスというお方が何を信じ、何を支えとし、何を目標にして歩んでおられたのか、その隠された真実を学ぶことから始めておられます。


 「隠れたところにおいでになるお方」に「父さん!」と祈られる「イエスの世界」に、つまり「神の福音」の事実に目覚めさせられていきます。そして、この単純な事実が、ご自分のもとにも、またすべての人のもとにも届いていることを知らされて、無理をしないで、ありのままに毎日を精一杯に、力をあわせて生きていくことが出来ていったのでした。


 こうして新しく「イエスの友」(単にキリスト教徒の友だけでなく)や「イエス団」が誕生し「協同の社会」「友愛の経済」「協同組合的世界国家」をめざす試みが、次々と展開されていきました。


 『天の心・地の心』は先生の最晩年の作品で、戦後日本の再建の指針として、戦災で焼け残った日本の若き良心に向かって「天の心を地の心とすることから始めよう!」と呼び掛けられました。


 現代に生きる私たちも「天の心」に養われ、新たな課題に向かって地道で大胆な冒険が期待されています。大きな期待をこめて!


    「木々おのおの名乗り出たる木の芽哉」(一茶)


 
 補記

 本日(2012年4月21日)午後2時より、「賀川豊彦召天52周年墓前集会」が神戸舞子墓園の神戸イエス団教会納骨堂前で行われます。2週間後に開催予定の神戸の賀川川記念館特別企画「賀川ハル展」を前にして、「賀川ハルさん召天30周年を前に」と題してお話をさせていただきます。そのこともあって、今回は、以前にお話した記事をUPいたしました。

 付録に、この掲載誌もスキャンして置きます。