「『市民啓発』の重要性について」(『神戸の部落問題』1974年10月号)


宮崎潤二さんの作品「ニュージーランドオークランド商店街」




 市民啓発」の重要性について


     『神戸の部落問題』1974年10月号


             


 「部落」住民に対するさまざまな差別事件があとを絶だない。そのたびごとに「市民啓発」の立ち遅れが指摘され、この課題の重要性と緊急性が強調されてきた。「部落」の解放のためには、市民の正しい理解と協力が不可欠であるにもかかわらず、これまでのところ満足のいく進展をみせてはいないのである。


 これにはやはり、市民の自主的な学習活動を保障するための社会教育施設の整備や専問の社会教育主事の配置など、教育行政の責任が問われなければならない。神戸市においても「同和対策事業長期計画」が策定され一定の前進がみられるものの、環境整備や生活向上・福祉増進など物的諸条件の計画内容に比べ、教育・人権の内容のアンバランスは否めないところである。両者はあくまで並行して進められねばならない。と同時に今日では特に「市民啓発」の方法をめぐる諸問題を解く基本的な視点を確立する必要があるのである。以下、二・三の点に触れておきたい。


             


 「市民啓発」をすすめる上でまず問題となるのは、運動と行政との区別と関係の問題である。これは「同和行政」全体の問題として全国各地で問われているのであるが、多くの場合、行政が主体的な行政論を展開することを放棄して既成の運動諭をねじ曲げ(或いはまるごと密輸入して)行政論として盗みとることが行なわれるのである。


 そこでは行政論と運動論とは「順接」してしまい区別のない一体化が進行せざるをえない。もともと順接しないものを、行政が意図的に自分の中にだきこむのであるから、おのずと運動論は変質し、そこに奇妙な論理をつくりあげねばならない必然性をもつのである。


 このような運動と行政の癒着の原因は、外圧的・内発的諸側面から全体的に明らかにしなければならないけれども、理論上の問題を探ねるとすれば、行政・運動双方を成立させる「理論的根拠」である「解放の基点」に未だ撞着していないことが致命的欠陥である、というほかはないのである。この「基点」からみるならば、行政が盗みとった運動論そのものが実はまゆっばものであったということになるのである。


 いまなお一部の人々は、部落解放理論はすでに完成されてしまったものとおもいこんでいる。しかし厳密な意味において理論はあくまで未完成であり、批判的に止揚されるものでなければならない。絶対的な理論を掌中に握ることはできないからである。


 しかし、だからといって理論の根拠が無いのではない。その「根拠」から必然的に運動諭と行政論は区別して成立してくるのであり、その関係は「順接」ではなく「逆接」していることが厳しくみられていなければならないのである。


             


 「市民啓発」をすすめる上で、つぎに問題となるのは、「部落」住民と市民との関係の把え方の問題である。


 普通一般に流通している考えは、まず「部落」住民を孤立的に把え、あたかもはじめから両者は運命的に対立的敵対的関係に放置されているかのように強調するのである。


 たしかに歴史的現実形態の、しかも倒錯した事実としては、この認識は正しいけれども、部落差別の「積極的な存在理由」は、まったく存在しないことが明晰判明に掴まれていない場合、その考え方はたんなる「告発の理論」でしかなくなるのである。


 もともと「水平運動」というかたちで湧出したものは、厳しい差別の境遇のなかで「なお誇り得る人間の血は、涸れずにあった」(水平宣言)ことへのおどろきと、そこから新しく把え直された「人間の誇り」の発揮であった。


 そこでは、万人共通の「人間性」への撞着があるのである。だからこそ、その運動の底流に脈打つものが、ひろく普通性をもつものとして響合したものであろうとおもわれる。


 しかしながら、今日では不幸なことに、この「基本感覚」さえも攬き消されてしまい、人と人とのあいだに流れるきずなも無視して「告発の論理」でつっ走るのである。これはどうみても「解放理論」とはよぶことはできない。


             四
 

 以上みてきた限りでも、「市民啓発」をすすめる上での障碍となるものは意外と根深いものである。


 たとえばこれまでは、部落差別の厚い壁につきあたり自殺にまで追いこまれるのはほとんど「部落」であったけれども、最近ではそれに加えて、差別事件に関連した市民の自殺が目立ちはじめている。


 (この点、「入門部落の歴史」(原田伴彦)の「差別の一言は部落の人々を死に追いこみます。しかし糾弾されて死んだ人はいないのです」(一一四頁)という記述は事実ではなくなりつつある)


 先にみたとおり、部落解放運動あるいは「同和行政」が根底のないたんなる「告発理論」もしくは実践に導かれ、双方が癒着して一方的に「市民啓発」を強行するとすれば、結果はいかなるものとなるかほぼ予測可能であるといわねばならない。


 事実その事例はすでに枚挙にいとまがないほどある。市民のあいだをひきさくものが差別である。この差別をなくすはずの部落解放運動が、逆に市民のあいだをひきさき、あらたな溝をつくる役割を果させられているとすれば、これほどの悲劇はないであろう。


 「市民啓発」ということばは、今日一般化しつゝある用語である。けれども、さしあたって表現上の問題はどうであれ、その発想が「遅れた市民」を行政(しかも運動と一体になって)が啓発するのだ、という傾向は否めないのではなかろうか。


 「市民啓発」の行政責任の重要性に異存のあるはずはない。しかしそれは、あくまで「市民」の主体性がなければならない。市民の自主的な学習活動を行政が保障し、その自主性を啓発するところにこそ意味があるのである。


 市民が自由に学習を行い、批判すべきところは卒直に表現して、相互に学び合う関係が生れるのでなければならない。こうした方法を確立することをとおして、市民レベルの自主的な横のつながりが育てられていくのである。 

             
 さしあたり行政では、これらの問題点をふまえた上で、市民の自主的な学習活動をすゝめることができる体別を準備する必要があるのではなかろうか。また 部落解放運動を直接担うものは、あくまでも「市民と共に」この問題を解決していくという原則を貫き、実質的に市民レベルのつながりを育てるための活動を強化しなければならないと考えるのである。