「『解放教育』とキリスト者」への疑問(『福音と世界』1976年6月号)


宮崎潤二さんの作品「ホテルの勤務員・ペテルブルグにて」


  「〈解放教育〉とキリスト者」への疑問


   『福音と世界』1976年6月号


 本誌一月号まで三回にわたって掲載された、藤原史朗氏の「『解放教育』とキリスト者」は、氏の五年間の教育実践記録として、また真摯な経験の表白として貴重である。しかしここでは二、三の疑問を指摘しておきたいと思う。


 それは単に氏と同じく「部落解放」と関わるものとしての疑問ばかりでなく、キリスト者の信仰の基本に関わる問題として曖昧にできないし、すべきでない点についてだけ、その基本的な論点に限ってごく簡潔に記しておきたい。


 第一にそれは、氏の批判の「視点」に関わる疑問である。


(1)たとえば、紙面の都合で前後関係を省いて言えば、ある出来事のあと氏自身の「自己批判」として次のように言う。


 「差別を『差別』としてほんとうに判断するのは誰か、それは、差別する側のものではなく、差別される側の者であること。(中略)『差別とはこういうことである』と一般の生徒が記したものを見て、私が、あっているあっていないというような評価なり判断を下せるのだろうか。断じて行ない得ぬ」(一二月号六〇頁)。


 このような主張は身辺でよく聞くところである。しかしこれは、「差別する者」と「される側」という単なる対人性のレベルでの事を出発にしていう立論にすぎない。しかもその対人性は、人間存在の根源的基点〔本誌二月号、滝沢克己「仏教とキリス卜教の接点」に言う「すべて有限の存在者の存在に共通普遍な、唯一の根源的本質規定」〔傍点の意味での〕の発見のないままでの、ただ単に無限定な、「『語り』の中の告発」(二項の見出し)に呼応しての「自己点検」「自己告発」の域を未だ脱していないものだと言わざるを得ない。


 このような現象は、他人事ならず、良心的であればあるほどおちこみやすい大きな落し穴であるように思うのである。この点について言えば、氏が教団の「確認文」は「言葉の上での謝罪」にすぎないとして、「教団の上層部」(「常議員会」の意、への「疑惑」を挾んでいるのであるが(二一月号四〇頁)、むしろ私は、上層部を含めて問題提起をしている人々でさえ、奇妙なことに氏と同じ視点にとどまっているのではないかという疑点を持つのである。


(2)さらにそれは(1)の結果であるけれども、氏は「次のことだけははっきりしている」として断言される点に関する疑問である。


 「結論から言えば、『部落解放とキリスト教』あるいは、『部落解放教育とキリスト教もしくはキリスト者』というふうに、キリスト者は問題を設定しうるのだろうか。それは、並列化する関係ではなく、部落解放あるいは解放教育という課題のもとに、被差別部落大衆の解放運動の側から、『キリスト教よ、いったいおまえは何者であったのか』と問いただされ、その問いに対してどう応答するかという関係でしかないのではないか、ということだ」(一月号六九頁)。


 もしもこのようなことが言い得るとすれば、(1)で指摘した根源的基点を無視した疑似「キリスト教」と、その基点に即応して成立してくる真正の「解放運動」との関係である限りにおいてのみ、これは妥当するかも知れない。


 しかしこのようなかたちで、あるものを絶対視する物の見方は、どうみても眉唾物である。しかも私の知る限りでの「部落解放運動」や「解放教育」というものも試行錯誤の一つである。これが無批判的に正しいものとされてはならない。まして、これがすべての批判の基軸に据え得るなどと考えてはならない。これらと単に無批判に同伴するかたちで、「言葉ではなく事実として被差別部落大衆にかえしていくこと、そのことを真に教団の課題として背負い続ける意志があるのか、ということだ」(一一月号四〇頁)と指弾してみても、根源的な意味においては、何らいまだ積極的な一歩も踏みだしたことにはならないのではなかろうか。


〔K・バルト『最後の証し』の次の言葉を思い起こす。「単なる倦怠、単なる批判、単なる拒絶、従来のもの――現今の言葉で言えば既存の体制(エスタブリッシュメント)――に対する単なる侮蔑と抵抗は、教会の大いなる出発の運動とはまだ何の関わりも持たないのです」(九九頁)。〕


 第二に、前記「視点」への疑問と同時に、氏の批判の「方法」についても一言触れておかねばならない。


 先に引用した「言葉ではなく事実として云々」について言えば、氏の言う「言葉」は単なる「言葉」=「言葉主義」(同上)のレベルの批判である。


 そして、すぐに地続きに「事実として」(この場合「実践」の意)と接続されるとき、必然的に教団の「確認文」そのものへの批判的検討は落ちてしまう。これは片手落ちである。〔ここではそれが主題でないので触れることはできないが、「部落差別問題特別委員会」の「基本方針」を、それとして厳密に批判検討する視点と方法を獲得することがなければならない。〕


 そして、その片手落ちの分だけ度を越えて(単にそれは程度の問題ではないのだけれども)、氏は、日本キリスト教団が「もはや、部落問題を『差別とは何か』という一般論的な次元で、シャベルのが赦されないところにきたのだ」として「自らの犯した行為を問うことから出発」し、「徹底した自己点検を重ねる必要」(同上)を強調する。


(1)で述べた通り、たとえ「徹底した」と言おうとも、単なる自己から出発した自己点検では、所詮、それは自己点検にすぎないのである。


 私は、むしろ逆に、「差別とは何か」について、歴史的にも社会的・経済的・政治的側面からも、或いは差別の実態の変化を正確に把握することも、さらには理論的な解明の作業をより厳密に進めることも、今日ほど必要な時はないと考えているのである。


 したがって氏の所論とは逆に、私たちは解放理論の解明にも、キリスト教の果たす役割をそう見くびってはならないのである。


 なお、氏の論文の大半を占める「教育実践」については、特に「兵庫の解放教育運動の作風である『語り』」、「学校教育と部落解放運動との区別と関係」、「生徒の進路保障上の諸問題」などについては、別の機会にそれにふさわしい場所で明らかにしなければならないと思う。


 氏の貴重な文字通りドラマティックな悪戦苦闘の記録を、このような短い拙評で無駄にすべきではないであろう。


 たとえば、論文中「生徒の仮りの要求が、消えさり、ほんとうの要求が出てくる」(一二月号五五頁)とか、「仮りの要求をめくり、真の要求を出させる」(同号五七頁)などという興味深い言葉は見落とされてはならない。


 氏はいまも、日々の教育の営みの中で「そこでおまえは何が見えてきたんや」ときびしく問われているという(一月号七〇頁)。


 私も「見えてきたこと」をできる限り率直に疑問という形でここではメモをした。ご批判・ご教示をいただければ幸いである。


                       (番町出合いの家牧師)