「フォーク歌手・高田渡さんのこと」(1976年4月、悪童会同人誌『鄙語』第3号)
宮崎潤二さんの作品「ニュージーランド・オークランドの海岸にて」
今回ここにUPするのは、既にブログ「番町出合いの家」
http://plaza.rakuten.co.jp/40223/ の昨年(2011年)7月12日付で、高田渡さんの手紙と『詩集・個人的理由』のことに触れていますので、ご覧頂ければ嬉しく存じます。
悪童会同人誌『鄙語』第3号(1976年4月)
特集「金」が取り上げられ、「銭考(序)」と題して投稿したもの
高田 渡さんのこと
そうです、もう五年くらい前に、フォーク歌手の高田渡さんから、詩集「個人的理由」とつぎのようなお手紙をいただいたことかあります。
* *
≪とにかく、元気でやっています。相変らずノンビリと。ガソリンスタンドではなく、本屋でアルバイトしています。四条河原――京都書院にて。時給――一二〇円也。とにかく安いですが、安い安いと、遊んでいられませんので。
これから本当のボクをみつけようと思っています。もっともっと、ボク自身の頭でいろんな事を自分の位置をたしかめながら生きていくつもりです。
これからもっとイヤラシイ唄をつくってゆきます。ボクの眼に映るものすべてを。(眼には映らがいが・・・というものも)
本屋でアルバイトはしていますが、<本>はあまり信用しません。信用するのはボク自身の眼と耳と口と。ですが、参考程度には・・・と思います。
今、いろんな事を考えています。歌、仕事、金、旅、他人、女→(特に彼女の事)・・・考えれば考える程わからないもの、みたいです。止まって考えるわけにはいきません。とにかく動いていなくては。
最近、京都で映画をみました。スタインベックの「いかりのぶどう」を。とても感じました。踏まれてもけられても、彼ら(→我々)は生きつゞけていくという事を。砂嵐は、今も吹いているし、難民の列は、長い列は今も続いていると思うのです。
とにかく、唄いつづけるべきなのです。難民の長い列が消えるまでは、嵐がやむまで。
〔後 略〕
* *
彼はこの頃まだハタチ。「ボクの詩は ボクの詩でありまして、ボク以外の誰のモノでもないのです(中略) どなたの俘にもなりません。どなたも大好きではありまするが、ボタの詩は、ボクの詩でありまして、ボクが好きになるのは、ボタの詩を読んでくださる方々」からはじまるひとつひとつの詩たちは、彼の十八からハタチまでのものですが、これに曲をつけ唄となったものが、あのアングラレコードの名盤「汽車が田舎を通るその時」です。このアルバムの最初の唄「ボロ、ボロ」は理由なしに最高です。
その頃、ゴムエ場のロール場(ゴム製造の初期の工程で「男の中の男」のヤル仕事場のひとつ!)の同僚で、愛称「ボロ」氏がいました。九州男児らしくいい男でした。酒が少しはいるとご存知のあのうた・・・・ボロを着てても心は錦・・・・がはじまります。それも実にうまく。・・・割り箸で茶わんを鳴らしながら!!
「ボロ、ボロ」は、ボクの最も調子のよい時に、聴きたくなる唄です。お茶を飲みながら・・・。
* *
今、ボクはお茶を飲んでいるところ
知らない街の喫茶店の二階
今、ボクはお茶を飲んでいるところ
下の席に男が座っている
ボクと同しに
ボロ、ボロ
ボロ、ボロ
「私は五年間でボロ、ボロにな改ってしまった・・・・」
下の席の男に声をかけた
「アンタはいつからだい・・・・
ボロ、ボロになったのは・・・」
ニヤリと男は笑った。
ただそれだけ・・・・
「私は五年間でボロ、ボロになってしまった・・・
そして、今 二十二・・・」
神戸の文化ホールで立話しをしていた時だったとおもいます。高田渡さんは、その頃すでに「変化のかげに女あり」とか言われていた岡林信康クンの「一夫一婦制紛砕」なんぞというリキミを批評しながら、「ボクにとっては、ひとりの彼女さえ大変なのにネ!」と、笑いながら話していたのが印象に残っています。
彼は、メデタク結婚して「とにかく、まずひとりを大切に」しているハズですが・・。
七二年のアルバム「系図」の表の写真――奥方が朝寝坊しているそのマクラ辺で、フトうまれた詩に曲をのせ、口をとがらせて唄に熱中するサマ――はホホ笑ましき事です。
山之口獏の詩に彼が曲をつけた「結婚」、「鮪に鰯」、「生活の柄」など、いい唄デス。
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ボクはとうとう、結婚してしまったが、
詩はとんと鳴かなくなっだ。
いまでは詩とはちがった物がいて、
時々、ボクの胸をかきむしっては、
タンスの陰に、しゃがんだりしては、
おかねが、おかねがと、泣き出すんだ。
(「結婚」の一節)
鮪の刺身を、食いたくなったと、
人間みたいなことを、女房が言った。
言われてみるとついボクも、
人間めいて、鮪の刺身を、夢みかけるのだが・・・
(「鮪と鰯」の一節)
あとふたつのことに触れておきたいとおもいます。
ひとつは、詩曲とも彼の唄で「ゼニがなけりや」の事です。神戸の小さな集まりでバンジョウの岩井宏さんと一緒に唄っていました。「東京」を「神戸」に言い換えて。
北から南からいろんな人が、毎日家をはなれ、
夜汽車にゆられ、はるばると神戸まで来るという、
田んぼからはい出、飯場を流れ、豊作を夢みて来たが、
ドツコイ そうは問屋はかろさない(中略)
ゼニがなけりや君! ゼニがなけりや、
帰った方が身のためさ、アンタの故郷へ、
神戸はいいところさ、眺めるなら申し分なし、
住むなら山の手に決ってるさ、ゼニがあればネ(後略)
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もひとつは、彼のエッセイ「耳バン・即席ラーメン生活者の手記」〈命預けます>その二(季刊フォークリポート七一年春号所収)から。
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〇借金をしている友人がいるとする。もし、金が出来、返せるとしても、借金をすぐ返してはいけない。金を返してしまってからは、友人でなくなるかも知れぬ。
教訓I 友人は大切にせよ!
O借りた金は、忘れた頃に返せ。思いもかけぬ事態で相手はありがたがる。貸した金は、すぐ催足せよ。相手が忘れる!
(銭考・序のまた序)
(追記) そうです、大事なことを忘れていました。高田渡さんの作詩作曲のあの「大・ダイジエスト版 三億円強奪事件の唄(はなし))」のことを。事件のあとニケ月後につくられたこれを、「時効の日」の夜ひっぱりだして、親子そろって拝聴いたしました。噫! 三億円!!