「杉之原寿一先生の回想」(第2回)(2010年、「地域と人権・兵庫版」)


宮崎潤二さんの作品。小説の挿絵として描かれたもの。



  杉之原寿一先生の回想(第2回


           「地域と人権・兵庫版」2010年1月


     (前回の続き)


       3 野呂栄太郎賞受賞と著作集全20巻の完成


 前2回の回想では、1970年代の部落問題をめぐる激動期、神戸部落問題研究所創立の背景とその草創期における杉之原先生のお働きに触れてみた。この第3回では「野呂栄太郎賞受賞と著作集全20巻の完成」について回想してみたい。


              * * *


 先生は、京都大学在学中兵役となるが幸い国内で敗戦を迎える。復学して卒業後「京大人文研」に属し4年後には神戸大学に迎えられている。
 翻訳を含めて新進気鋭の諸労作を多産された方で、縁あって部落問題研究分野の学問的開拓という志を宿し、現場に出て調査活動に打ち込まれることになった。神戸大学はもとより日本学術会議や日本社会学会関連の要職に就きながらの部落問題研究への没頭であった。


 1974年春、神戸落問題研究所の理事長に就かれてすぐ書き始められた記念碑的大作「部落差別論」をはじめ、1980年代初めまでに発表された総括的労作を『現代部落差別の研究』として刊行されたのは1983年3月であった。「同和対策特別法」13年を経て、「見直し・終結」へと舵を切る「地域改善財特法」移行期の時である。


 この作品は翌1984年「第9回野呂栄太郎賞」に輝き大きな話題呼ぶ中、盛大に祝賀の時を待ったことは、今も人々の記憶の中にあるであろう。


 この時先生は還暦を迎えられた後で、神戸入学の定年前であった。
 本書を増補する著作を第1巻とし、それまで執筆された大量の論考を分類整理して全8巻の『杉乏原寿一部落問題著作集』の準備を進めた。そして岡映・黒田了一・磯村英一他の推薦文を収めたカタログを作り、神戸入学在任中にこれを完成させることが出来た。


 以後「見直し・終結」期間に第2期全5巻を、更に総括的諸著作を第3期全7巻として、あわせて全20巻を1998年3月に完成したのであった。


 神戸市はもとより全国的な部落問題解決の20世紀の歴史過程を研究す上で、最も重要な基礎文献であるが、特別会計を組んでの冒険的プロジェクトの完結は、関係者の支援とご協力のお陰であった。全巻完成の時も全国からお祝いに駆けつけていただいた。


               * * *


 先生の部落問題研究は、当初の現状調査を皮切りにして、運動理論や行政論、更には意識論をも含む総合的な展開を見せたこともあって、運動・行政・教育など多分野の人々の熱心な読者を獲得した。


 言い換えると先生は、ご自身の研究者としての学問的な頑固さ貫きつつ、熱心な読者の考えに真摯に耳を傾ける柔らかな心を保持して来られたと言える。
 ロングセラーとなった『新しい部落問題』(これは2度の英訳にもなる)をはじめ多くの著作は著作集に収め得なかったが、研究所にとってそれらの諸労作が財政的基盤となったことは言うまでもない。


 そして執筆活動に加え先生は、全国からの講演依頼にも快く積極的に応じ、気安く誰とても対話を重ねて来られたことも、そのお人柄を知る上で特筆されなければならないことである。


  4 先生への回想賛辞と蔵書資料の保存活用


 本年1月号からの連載「杉之原先生の回想」も今回が最終回である。
 思いがけず「地域と人権」の全国紙「2010新春鼎談一杉之原氏の業績を語り、逆流現象を検証」では、丹波正史・尾川昌法両氏と共に自由に先生を偲び、回想する機会があった。
 加えてさらに雑誌『人権と部落問題(特別号)』2月号での「追悼」特集にも、東上高志・丹波正史・内藤義道3氏と共に、「杉之原寿一先生の人と業績への回想」という少し長めの紙幅で、拙いものを寄稿した。


 私にとって、先生の追悼文を記すなど、全く考えてもいなかったことである。しかし今回もこの紙面で、部落問題の解決の激動の中を、先生と共に歩むことのできた感謝の思いを書く機会を得たことは、何より嬉しい有難い事であった。


 本紙3月号でも、岸本守先生が「恩師・杉之原寿一先生を偲ぶ」を寄稿され、神戸大学の学生時代、『共産党言言』をフランス語で読解する杉之原ゼミに参加され、加えて最初期の部落の実態調査に参画されたことなど書き記されていたことも、嬉しいことである。


               * * *


 ところで、先生への回想と讃辞は尽きないが、最後に先生の所蔵されていた蔵書資料のことについて、短く触れておかねばならない。
 2005年春、兵庫の研究所理事長を退任され、私も同時に離れたのであるが、先生はその後、急速に視力を失われ、執筆も読書も困難になられた。先生にとってこの事態は全くの想定外のことであったが、奥様ともご相談の上、膨大な蔵書資料を一括して受け入れてもらえる移管先を、探しておられた。


 2008年の暮れであるが、先生からお電話を頂き、兵庫県人権啓発協会に一括寄贈する決断をされ、協会との交渉を私に依頼されたのである。すでに2001年に兵庫の研究所蔵書資料は啓発協会へ移管済みであったこともあり、移管の折には、協会の責任ある方から「研究所のものも有難いが、将来是非、杉之原先生の蔵言資科も寄贈して貰えば有難い」という意向も漏らされていた経緯もあって、昨年(2009年)3月には移管作業の全てが完了したのである。


             * * *


 先生の研究活動の本拠はやはり神戸にあって、神戸市制施行100周年記念(1989年)に際し、神戸市制功労者として表彰されたりもしているが、先生所蔵の「お宝」は神戸に留まる事になったのである。


 蔵書資料は、部落問題関連がほぼ7割以上を占めているようであるが、先生の最晩年の労作『部落問題に関する現代文献・資料目録』は、基本的に先生の所蔵目録であって、資料類もすべてファイルなどに整然とまとめられたものばかりである。


 21世紀を生きる我々にとって、先生の蔵書資料の宝庫が、地元兵庫・神戸市内に存在し続けることは、真に有難いことである。個人的にも「賀川豊彦」開運の3部作を書き上げる上で、先生の蔵書資料は大きな助けになったが、今後これらが永く保存され、広く活用されることを期待したい。


              (とりがいけいよう‥番町出合いの家牧師)