「キリスト教と部落問題の研究」(雑誌『部落』1984年1月号)


上は宮崎潤二さんの作品



 雑誌『部落』1984年1月号所収「研究動向」欄


  キリスト教と部落問題の研究


  工藤英一氏に聞く(『部落問題研究』75輯)を読んで


    (1)


 さる一〇月二八日、京都の聖護院で「1983年反核日本宗教者平和集会」が開催された。ここでも「同和問題」がとりあげられ、各教団関係者の主体的な取りくみ方について、活発な討議がおこなわれた。こうした動向は各地でみられているが、成沢栄寿氏「『宗教と部落問題』をめぐる諸問題」(『部落問題研究』77輯所収)で知れるように、研究面においても、いわゆる宗教問題が近年活況を呈している。


 ここでは、一九八三年三月二〇日発行の『部落問題研究』75輯の巻頭に収められた「キリスト教と部落問題の研究――工藤英一氏に聞く」(「部落問題研究の証言3」)にふれてみたい。


 四○頁近いこの「証言」は、話題も多岐にわたっている。
 まず、全体の流れを小見出しで羅列すると、「クリスチャン社会科学研究者としての出発・プロテスタント史研究と部落問題への接近・差別問題の体験・キリスト教界への部落問題啓発活動・部落問題研究の開始・キリスト者部落対策協議会の活動・キリスト者の「差別発言」事件・明治期のキリスト教と部落・聖公会と部落問題への取りくみ・部落問題についてのキリスト教界の課題・米田庄太郎研究をめぐって・『賀川全集』刊行における『貧民心理の研究』の扱い・賀川と水平社のかかわり・『貧民心理の研究』における人種起源説の位置・『貧民心理の研究』削除問題をめぐる論議・賀川研究の課題・留岡幸助と部落問題・今後の研究・活動の課題」


         (2)


 あらためて紹介の必要もないかもしれないが、工藤英一氏は、日本経済史・経済思想史の研究が専門である。『日本社会とプロテスタント伝道――明治期プロテスタソト史の社会経済史研究』『社会運動とキリスト教――天皇制・部落差別・鉱毒との闘い』『明治期のキリスト教――日本プロテスタント史話』『日本キリスト教社会経済史研究――明治前期を中心として』などで知られ、八三年一月には『キリスト教と部落問題――歴史への問いかけ』を刊行されている。


 今回の「証言」は、工藤氏のこうした請論稿の研究史の過程をたどるうえで、貴重な”秘話“が盛りこまれている。工藤氏は、キリスト教関係の部落問題研究の分野では、すでに60年安保のすぐあとぐらいから、日本キリスト教団の宣教研究所で開拓的作業を開始され、キリスト者部落対策協議会の結成には顧問として、また東京キリスト者部落問題懇談会の会長とか東京部落問題研究会とも関わりをもつ実践的研究者でもある。紙幅の関係で内容に立ちいれないが、「証言」のなか一、二の断片だけを、ここではあげておこう。


 一つは、賀川豊彦と水平社の関わりについて、次のようにいわれる。


 「……日本農民組合の創立のための相談を新川の賀川の家でやっている。その隣の部屋では、水平社の人たちが集まっていろいろやっている。時たま終わってから顔を合わせるということがあった……つまり水平社は賀川の家で設立の準備をしたといってもいいくらいに、賀川と水平社を準備した人たちは結びついていた。……西光万吉さんは、演説する時は賀川さんのスタイルまで真似をするぐらい賀川に傾倒してた……それがやがて『貧民心理の研究』の中に差別的な記述があるということ、かわかってくるにつれて、賀川は糾弾されることになる。……」

   
 そして、最近の『賀川全集』第三版での『貧民心理の研究』および『精神運動と社会運動』の二つの著書における部落問題に関する記述が全文削除されたこととも関連して、次のようにいう。


 「実は二〇年前、ちょうどキリスト者の対策協議会が発足してすぐ賀川の『全集』が出たわけです。・・・その時に、当時協議会の執行委員長の松田慶一君が部落問題に関する明らかに差別的な記述の削除論を出した。一つ非常に大事なことは、当時解放同盟は賀川の『貧民心理の研究』の叙述はすでに知ってるわけです。しかしそれについては、……キリスト教が自主的に解決すべきで、解同が出て行ってどうしろこうしろということではない。キリスト教の仲間で討議すべきだということで、……協議会に一任したようなかたちをとってくれた。・・・そしてその時の議論は、削除論に対してもう一つは、たしかに差別的文章ではあるけれども、読む人に差別感を与えないような充分な解説文があればよい。それはやはり言論の自由ということと、賀川があの時代に書いたものにこういうものがあるという歴史的史料という意味から、そのまま『全集』に出す……という意見が、協議会では少数意見でしたけれどもあったわけです。……結局結論としては、解説文を書くということで一応落着きました。」


                 (3)


 序文を書いた米田庄太郎氏に関する研究のことや、賀川問題についての横山春一氏の見解、また賀川がなぜあれほどまでに人種起源説にこだわったかについての工藤氏の見解など、注目すべき指摘がつづいているが、ここではふれられない。


 余談であるが1982年一〇月、東京・世田谷区上北沢に賀川記念松沢資料館が開館され、賀川に関する尨犬な資料を集めて研究を推進していく動きのあることも紹介されている。


 先日、神戸・須磨教会で、当資料館の館長でもある賀川純基氏の「父・賀川豊彦を語る」というめすらしい集会に出席する機会があった。そのとき、あの『死線を越えて』の下書きともいうべき、賀川の克明な『日記』が紹介され、興味をそそった。


 なお、工藤氏の「聞き手」萩原俊彦氏は、「プロテスタントキリスト教と部落解放運動」(『部落問題研究』69輯)「群馬県下の廃娼運動」(『福音と世界』82年11月)ほか、群馬県の運動家・清塚良三郎氏についての論稿「部落解放運動に献身するキリスト者」(『群馬評論』14号)などで知られる歴史研究者である。
                    (兵庫部落問題研究所事務局長)