書評:杉尾敏明著『融合教育の視点ー部落解放と人権主体の形成』(1987年、阪南大学産業経済研究所『研究所報』)


宮崎潤二さんの作品「秋の夕暮れ:神戸市北区僧尾」



        書評


 杉尾敏明著『融合教育の視点一部落解放と人権主体の形成一』


  (阪南大学叢書24,A5版,296頁,兵庫部落問題研究所,1987年3月刊)


          (−)


 本研究所報15号(1985年)で,杉尾氏の前著『部落解放と民主教育一一現代同和教育論-』(阪南大学叢言18,青木書店,1985年刊)に関するいくらか詳しい書評を寄稿させていただいた。その中で,『国民の教育権』(汐文社,1971年刊)以来の杉尾氏の研究的視点の特徴と推移(深化)の概要について一瞥したので,ここではそれらの重複はすべてさけ,早速新著『融合教育の視点』の内容に立ち入ることにしたい。


 著者は「はしがき」において,本書を前著『部落解放と民主教育』の各論であると述べているが,前著では主として「部落解放論」と「同和教育行政論」に力点がおかれ,本書では「解放教育」や「自主的・民主的同和教育」にみられる主要な「教育論」の批判的吟味をとおして,「融合教育の視点」という新しい理論的展開を示している点で,本書は前著の各論とよぶよりも続編とよぶべき関係にあるようにおもわれる。前著には1973年から1983年までの論稿が,本書には1975年から1987年の書き下しまでが,それぞれ収められており,この両著をもって,「同和教育論」に関する杉尾氏のこれまでの労作の主要なものはほぼ収録されたことになる。


 本書は,下記のごとく3部で構成されている。


     第1部 「解放教育」批判
      第1章 「解放教育」論批判
      第2章 「解放教育」実践批判
     第2部 「自主的・民主的同和教育]論の問題
      第1章  同和教育論の今日的争点
      第2章  同和教育の肥大化路線
     第3部 国民融合と融合教育の視点
      第1章 同和行政の課題と展望
      第2章 人権保障の町づくり
      第3章 融合教育の視点


                 (ニ)


 まず,第1部「解放教育」批判から見ていく。


 第1章「解放教育」論批判の最初に「解放保育」論批判が展開される(第1節)。「解放保育」とよばれるものは,後に見る「解放教育」の保育版として,いまなお各地で「保育行政」「保育内容」「保育運動」等の諸領域で問題状況が克服されずにいる分野であるが,杉尾氏は「共同融合保育」とよぶ視点より,鈴木祥蔵・中村拡三・山中多美男各氏の「解放保育」論を俎上に載せて吟味を加えている。先行研究の少ない分野にあって,これは重要な試論のひとつである。


 第2節では,川向秀武氏の論文「部落解放教育研究の現状と課題」における杉尾批判(西滋勝・東上高志両氏への批判を含む)に対する反批判のかたちで,「戦後同和教育論の総括の視点」が展開される。


 川向氏のような「解放教育」の古典的ともいえる考え方の機械的な反復は,現在ではよほど減少してはいるものの,その思考の基調と枠組みは何ら改まっているわけではない。これまでにも,例えば「運動と教育の結合」「部落民宣言」「非行は宝」といった考え方のひとり歩きの危うさについては,多くの研究者によって批判的検討がなされてきたが,ここでの杉尾氏の検討作業はその先駆をなすものである。


 著者によれば,川向氏の杉尾批判は,論証抜きの,しかも概念規定の厳密さを欠くあまりに主観的な「政治主義的評価」に終始していることが指摘されているが,そうした杉尾氏の反批判の中でとくに注目させられる点ぱ,「理論」の役割の独自な課題に関する認識である。


 「理論を批判するのに理論をもってする」という基本的なルール(方法論)が杉尾氏には自覚されており,そこから既存の諸説に対する大胆卒直かつ公明正大な理論的対決折衝が試みられるのである。


 同和教育論をめぐる諸論争も,著者自身のこの自由な学問的精神のひとつの現われであることは言うまでもない。


 つづく第3節の論稿は,1974年11月,兵庫県立八鹿高校教員70数名を「部落解放同盟」の人々数百名が,「部落解放」の名のもとに長時間にわたって集団リンチを行ない多数の負傷者を出したいわゆる「八鹿高校事件」の後すぐ筆をとった「公教育への暴力的介入弁護論」批判である。


 ここでは,運動関係の首謀者たちのほか兵庫県行政・政党(社会党)・労働組合日教組)・全国同和教育研究協議会・マスコミ・警察などの諸見解を取り上げ,民主主義破壊の暴力を根絶する方途を探求している。


 これは,「事件」の全貌をおさえつつ,その核心をついた暴力弁護・肯定論の分析であるだけに,「解放教育」が行き着いた許し得ない犯罪行為への著者自身の抗議の意志が見事に集約されており,暴力に屈せず勇気をもって立ち上る新しい民主的流れをそこに見すえようとする確かな視点の提起ともなっている。


 (なお,この「八鹿高校事件」の裁判では,1983年12月の神戸地裁判決で全被告人に有罪が言い渡され,近く〔1988年3月〕大阪高裁で控訴審判決がくだされる。)


 さて,第2章では,「解放教育」の実践批判として,第1節で「解放教育」の原型と目される兵庫県湊川高校の教育の特徴と限界について論じている。


 この論稿が最初に公表された1976年の時点では,『落第生教室』『部落教師』といった著書で知られる福地幸造氏や『「おきみやげ」のはなし』の西田秀秋氏らを中心とした「湊川の解放教育」が,暴力主義と排外主義をともなって全国に波及し,各地で乱暴な「告発」行為と学園自治の破壊がくりひろげられていた時である。


 本稿はその直中での論述であったため,暴力を排除し学園の自治を確立するために努力する人々へ,多大の影響を与えた歴史的文書のひとつである。


 そして第2節では,広島・宮島の[旅のしおり]問題や「地域進出」問題(これは各地で今日でも取り組まれている「解放学級」と言われるもので,公教育の教師が「地域」に出かけて特定団体と「連携」しつつ「狭山問題」などを含む特別の「教育活動」を行なっている問題),「差別発言」問題などを取り上げ,「解放教育」の広島における「展開」を検討している。


 なかでも,著者が,公教育における「差別発言」とそれに対する「糾弾」という問題提起の妥当性について根本的な疑問を投じている点は,現在の部落解放運動内部においても,また本書で度々論じられている政府関係文書(「地対協基本問題検討部会報告書」1986年8月,「地対協意見具申」1986年12月)においても,今日的争点のひとつであるが,今後さらに厳密な理論的展開を期待したいところである。


 なお,本書が刊行されてすぐ総務庁地域改善対策室が発表した「地域改善対策啓発推進指針」(1987年3月)でも「差別糾弾」の在り方の問題に言及している。


 現在「指針」に対する評価をめぐって,新たな論争を生んでいるが,この「指針」には,杉尾氏の論稿との関連で,とくに共通する考え方として注目させられる部分がいくつかある。


 ここではその1例だけ紹介すれば,著者が本書の「はじめに」で,「部落差別がなくなるということは,旧身分としての部落問題を国民が,結婚・就職・交際等において意識したり,気にしたりすることがない国民融合の状況になることである。」と述べているが,こうした認識は,このたびの「指針」の中の次のような「啓発内容」での提起と共通している。


 こうした記述は,「指針」の積極面として評価すべき部分である。


 「(イ)同和関係者であるか否かにこだわることの非合理性,前近代性を強調すること。 ……江戸時代の身分制度に今日こだわることの非合理性,前近代性は広く一般の人々の受け入れつつあるところであるので,『なぜ同和地区についてのみ,あなたは,昔の身分制度にこだわるのですか』という問いかけば,人々の反省を呼び起こすのに有効であろう。また,同和関係者も自ら同和関係者であるか否かにこだわらないという信念を固めることが重要である。……すべての人が過去の自分へのこだわりを捨て,平等な一個人として互いに尊重し合うことが重要である。」


                (三)


 次の「自主的・民工同和教育」論の問題を論じた第2部においては,著者の「融合教育の視点,」からの,いねば[内部論争]の労作が収められている。


 第1部で検討された「解放教育」は極端なかたちで同和教育を「特殊化」し「肥大化」させたものであったが,これらを批判的に超克する視点を模索するはずの[自主的・民主的同和教育]論の中にも旧来の「解放教育」に類似する「論理構造上」の弱点と危うさを残しているのではないかとして,卒直な「公然たる論争」を試みるのである。


 第1章では,「自主的・民主的同和教育」論の中心的論客のふたり東上高志・西滋勝両氏の所論を取り上げ,「同和教育の今日的争点」を明確にし,著者自身の見解を提示する。


 この論稿は,当初『阪南論集』第14号(1979年)に収められたもので,「公然たる論争」とはいえこれに接し得た者は限られており,今回の著作で初めて目にする人々がほとんどであって,改めてこの機会に論争そのものの生産的な新しい展開を期待したいところである。


 第1節の東上氏の所論批判では,「部落問題」が提起する教育課題にこたえることが同和教育であるとする東上氏の考えの中には,「解放教育」に見られるような「同和教育」を「部落解放運動の一環」としてみる見方は超えられ「公教育・民主教育の一環」として進めるべきであるとする見方での共通認識があるとはいえ,そこでの「民主教育」「公教育」と呼ぶものと「同和教育」とのより明晰判明な関連性が曖昧ではないかとの指摘が行なわれている。


 例えば東上氏には,「民主的な人格と集団を形成する」とか「差別を許さない民主社会の形成者」を育成するという[公教育の基本課題]と[同和教育]との混同が見られ,「公教育」の中に同和地区を対象にした教育と地区外を対象にした教育と分ける[部落排外主義的発想]の残滓のあることを指摘する。また,次のような批判も展開している。


 「『部落問題が提起する教育上の課題』を提起し,同和地区の『低位性』や『格差』などをさがし出し,これにこたえる教育を提起することは,一方では,同和地区の低位性及び格差の原因を『部落問題』として把える誤りをおかす可能性をもっていることを意味すると同時に,他方では部落問題とは何かについての誤った理解を示しているといえる。」(143頁)


 「……こうした同和地区の子弟に対する特別の教育を許容する論理・「部落問題が提起する教育上の課題」や,「同和地区の子どもを直接対象にした教育」を「同和教育」と呼ぶような論議は再検討される必要かおる。」(146〜147頁)


 「部落問題を教える課題から公教育全休をみるのではなく,公教育の民主的発展の課題のなかで,部落問題に関する国民の理解を正しく発展させる課題も把握すべきである。」(147頁)


 また,この節の終わりの部分で,斎藤浩志氏の次のような提起に注目しつつ,著者のコメントを加えている。少し長い引用であるが,重要であるので一部再録しておきたい。


 「同和教育が提起する実践課題とは,科学的で民主的な教育実践によって,ひとりひとりの子どもの人間的発達を最大限に実現していくこと以外にありえないことが明らかになる。さまざまな生活的環境のなかに生きて人間的発達の課題をかかえているひとりひとりの子どもを大切にし,かれらに文化的な基礎能力と自信と自律の民主的能力を形成し,その人間としての誇りとエネルギーを育てていく民主的・科学的教育実践こそが,同和教育の今日的課題にこたえる実践にはかならない。その意味で教育実践の実体としては,もはや『同和教育』という概念は不要なのだと思われる。さらにいうならば,杉尾氏のいうような『同和教育』の独自課題も,あえて『同和教育』といテ概念で規定する必要がないのだと思われる。](150頁)


 杉尾氏は,斎藤氏のこの「同和教育概念不要」論に対して,単に「実体」だけでなく「理論上」も不必要だと主張し,「民主教育の基本構造のなかに正しく位置づける理論を確立する」ことの重要匠を強調する。


 さらに第2節における西氏の所論批判では,西氏の杉尾批判(『部落問題研究』第58号〔1978年〕所収「同和教育論をめぐる若干の意見の相違について」)への反批判のかたちで,「公教育」概念,「部落差別」論,「憲法的秩序」と教師の教育権限,教育と教育行政及び教育運動の区別と関連,の4点にわたって検討を加えている。


 西氏は,杉尾氏の主張する「公教育の立場」は,民主的教育超勤を抑圧する公権力の教育思想としての「公教育の立場」と混同させる恐れかおるばかりでなく,公教育教師としての「憲法的秩序」という主張についても,それは「法律主義による教育権限統制の主張として受けとめられても致し方ない」,と批判をしている。


 これらの意見に対して,杉尾氏は,改めて「公教育の民主化・民主的発展の視点」並びに「憲法的秩序」と教師の教育権限の出処の確認の重要性を強調する。


 確かに,杉見氏のような「公教育」や「憲法的秩序」に関して正確に把握すること(正常形態)は,一方では西氏の指摘されるようなその虚偽形態としての「公権力」の反動的な「公教育の立場」や単なる形式主義的な「憲法的秩序」論の不当性を正すものであり,他方では「教育,教育行政,教育労働運動,部落解放運動等々が,それぞれとりくむべき固有の課題と権限」を明らかにし,公教育への不当介入や秩序破壊を許さないことの,重要な歯止めの力であることは言うまでもない。


 ただしかし,ここで前提視されて用いられている「公教育」や「憲法的秩序」あるいは「法」そのものに関して,さらに立ち入った基本的な研究と展開か求められているようにおもわれる。


 第2章では,「同和教育の肥大化路線」と題して,東上氏による杉尾氏の『新しい同和教育』(兵庫部落問題研究所,1977年刊)に対する批判への反批判を試み,「公教育の基本課題と同和教育」について積極的な提起を行なっている。
 

 東上氏の杉尾批判の論点は,第1に,「同和教育は部落問題が提起する教育課題に応えて意図的に行なわれる,教育実践・教育運動・教育行政を総称するもの」であり,杉尾氏のように「憲法教育基本法にもとづいて,部落問題に関する基礎的・科学的な認識を形成する」ことに限定してはならない,とする点てある。


 そして第2に,「学力の保障や人格の形成が公教育の基本課題であるから,同和教育の課題としてはならないのではなくて,同和教育をとおして,この基本課題を達成する,というように考えるべきである」といった点てある。


 第1節で,第1の論点に関して「教育・教育行政・教育運動の区別と関連」を論じ,東上氏の所論は,現在も多くのところで陥っている「同和教育行政の一環として追求される同和教育」を許容する論理になりはしないか,そして教育基本法第10条で述べる「教育は不当な支配に服することなく」行なわれる必要性を曖昧ししないか,といった危惧を提示する。


 また,第2節で第2の論点に関して「公教育の基本課題と同和教育」を論じ,例えば「学力問題」でもそれをただ部落問題の窓からのみ見るような発想ではなく,すべての子どもに行き届いた教育を保障していく上での1つの条件として部落問題を考慮すべきであって,それ以上でもそれ以下でもない問題だ,と反論を加えている。


 なお,これまでの杉尾氏の論調の力点は,主として教育と教育行政や教育運動との区別と関係,なかでも[区別]の側面を問明にすることにおかれてきたが,この章では,上記の視点に立った新しい「開連の論理」に言及している点は注目させられる。


 すなわち,部落解放運動は,「公教育を真に主権者国民を形成するにふさわしい教育の場にするために全面的に要求を展開することが大切」であり,逆に公教育の教育運動は,その専門性をかけて,「同和地区の教育条件の改善や,民主教育確立のための諸課題について部落解放運動に共闘を申し込み,共に立ち上ることもまた必然である。」と強調している。


               (四)


 最後の第3部では,第1部と第2部であつかわれた論争的・批判的吟味を主題としたものと異なって,部落問題解決への総仕上げの時をむかえた今日の歴史的到達点をふまえて,今後の展望と在り方をさぐる創造的・積極的な基調の論稿が集められている。


 まず第1章では,部落問題解決の先進地・和歌山県吉備町の「トーン計画」の試みを,著者自ら現地を訪ねて具体的に見聞した経験をふまえてまとめ上げられた「同和行政の課題と展望」が論じられている。


 「融合教育の視点」に立つ著者にとって,これまで教育・運動・行政いずれかの分野にあっても異常な混乱状況が一般化する中で,この吉備町の[トーン計画]の取り組みは,目を見張るべきモデルのひとつとして受けとめられている。


 その中で,著者は「ドーン計画」の特徴点を5つあげ,①格差及び「姿」の特具陸の解消,②自立と人間的誇りの助長,⑧社会的交流,④人権と部落問題学習のひろがり,⑤部落解放の最終ゴールヘの道,についてそれぞれ具体的な取り組みの諸事例を示して展開している。


 部落解放運動の古い歴史をもつ町ではあるが,実際の「ドーン計画」自体の展開は,1969(昭和44)年の「同和対策事業特別措置法」が制定された年を起点にして,総合的な計画が進められ,すでに当初計画は完了し,文字どおりの「総仕上げ」の段階をむかえている。そこで,杉尾氏はこの論稿の中で,これまでの成果と到達点をふまえて,吉備町の今後の方向を厦望しつつ,「われわれの大人の時代に部落問題は解決し,子どもたちの世代まで残してはならない」とする共通の願いに立って,さらに新たな[提起]として「ひとりの人権も侵害された人のいない町づくり」にむけた総合施策の確立をよびかけている。


 それにはまず,障害者,失業者,貧困者,在日朝鮮人,母子家庭等々の人権の実態を調査し,一般行政の総合的施策を策定すること。同時にまた,農業,漁業,小売業,工業等々の調査をふまえ,総合的産業経済振興対策を提起していく。


 さらには,労働者の権利や労働条件の実情調査を行ない,諸条件を引き上げていく手立ての必要性がある。そして,図書館,博物館,民族資料館,プール,テニスコート等,文化・スポーツ施設の充実整備等が期待される,と提言する。


 つづく第2章でも,先の吉備町の「ドーン計画」同様,近年とくに全国的に注目を集めつつある高知県佐川町の「21世紀ルネッサンスプラン」の試みを訪ね,その取り組みの過程を[人権保障の町づくり]の典型として論じている。


 はじめに著者は,戦後同和行政の「歴史的・論理的段階jを5つに区分し,①「放置」行政の段階から②「同和地区改善」行政へ,さらに③「格差是正」行政から④「自立」と「周辺地域との一体性」行政へと経てきて,今この佐川町では第5段階の「人権保障の町づくり」の課題の実現をめざして,町民あげて模索中である,とする。


 この佐川町の取り組みは,すでに尾崎勇喜・西山卯ロ三・金山隆一共著『夢も希望もある同和行政―まちづくり人づくりをすすめる佐川町』(文理閣,1985年刊)によって中間的なレポートがまとめられている。


 杉尾氏は,こうした最先端の意欲的な取り組みを,今日の重要な到達点のひとつとして積極的に評価しつつ,今後の同和行政の「基本視点」を10点にわたって提示する。


 その項目のみ列挙すれば,以下のとおりである。
 ①町民すべての権利主体としての自立促進,②社会的交流・融合の促進,③「人権保障行政計画」の創造,④ゆがんだ団体対応を排した行政の主体性の確立,⑤町民要求と合意にもとづく町政の推進,⑥歴史と伝統の正しい継承,⑦将来回望と余裕ある町づくり,⑧万物の尊厳を促す町づくり,⑨労働する権利や働く者の権利保障,⑩住民の自治能力の促進。


 最後に第3章は,本書の書名でもある「融合教育の視点」と題して,今後の新しい方向性を総括的に論じた,いねば結論にあたる部分である。


 部落問題そのものが解決していく道すじに関する著者の見方は,前著の『部落解放と民主教育』の中で論じていることは最初にふれておいたが,杉尾氏はあえて本書において「融合教育」という,未だ一般的でない概念を用いて,著者の新しい視点を表現しようとしている。


 本章の「序」には次のように記す。


 「融合教育とは,国民融合をめざす教育である。それは,民主的・平和的国家社会の形成を育成する民主教育をすすめる1つの教育視点てある。……FF学的な部落問題と民主主義に関する認識をもち,社会的交流をすすめることが国民的融合への道なのである。」(251頁)


 そして,この「融合教育の視点」を3節にわたって展開する。


 第1節では「自立と交流・融合をすすめる教育jの柱をあげ,自分の権利だけでなく,すべての国民の権利について学習し,その解決を自らの課題として受けとめられるような人権教育の必要性と,人間としての友情・思いやり・連帯の心・精神を育てる必要性を強調する。


 つづく第2節では「科学的な部落問題学習」のひろがりを促すために,①部落の歴史だけでなく,部落問題の現状と解決への展望を学ぶこと,②「部落民宣言」をはじめとする「部落排外主義」的もしくは「部落第1主義」的な学習をしないこと,③教育と教育行政,公教育と運動の区別と関連を明確にして,憲法教育基本法にもとづく教育の原理と条理をふまえた取り組みをすすめること,などを提言する。


 さらに第3節では「民主主義・人権教育と人権保障」と題して,教育における「自由権」と「平等権」を中心に詳論する。そして,本章の終わりには,「教育における人権保障を徹底するための努力と人権教育を結合することが,子どもたちを人権主体として形成する大道である。そして,この人権上体の形成と部落問題学習や地区内外の社会的交流を結合することによって国民融合がすすみ,部落問題は最終的解決にいたるのである」(294頁)と結んでいる。


 以上に部落解放と人権上体の形成」という副題のつく,杉尾氏の最新著を取り上げ,その骨組みだけを素描してきた。著者はつねに,時代の問題状況を適確に見分け,新しい視点を先取りして大胆な提起を行なってきた。


 今回の「融合教育の視点」の場合も,概念の新しさばかりでなく,まさに「視点」の新しさが含まれているのである。ここでは,杉尾氏のせっかくの独創的な諸見解を陳腐な俗説のひとつに貶めてしまったのではないかと恐れるものであるが,是非直接本書をひもとき,著者の「融合教育の視点」そのものの理解とその有効性について吟味されることを期待したい。


 とくに,「解放教育」論や「自主的・民主的同和教育」論における論争的課題については,杉尾氏自身が本書の「おわりに」で付記しているように,「理論的には厳しく吟味しあう必要性かおる」のであり,これまでに倍する理論的研究の深化と活発な「公然たる論争」の展開を希望して,計らずも長びいた拙評を終わりたい。(紙幅の関係で,本文中,引用頁や注記は一部を除いて割愛させていただいた。)

                   (兵庫部落問題研究所事務局長)