「宗教と部落問題ー「対話の時代」のはじまり」(一九九七年、全国部落問題研究集会)


穂積肇さんの作品「エカシチコイノミ(捧げ拝む長老)」




    宗教と部落問題―「対話の時代」のはじまり


           第26回部落問題全国研究集会


           1997年10月・北九州市



       1 「同和問題にとりくむ宗教教団連帯会議」


 一九八二年一月、全解連は《“差別戒名”など宗教界の当面する諸問題についての全解連の態度》(以下「全解連の態度」)をまとめた。その後、この部落問題全国研究集会でも一度「宗教と部落問題」の分科会が設けられ「キリスト教界の部落問題」を報告させていただいた。当時キリスト教界でも「賀川豊彦と現代教会問題」が過熱し、その報告のあと問題の解決をねがって『賀川豊彦と現代』(兵庫部落問題研究所刊)という小著をまとめた。以来、全部研ではこの分科会は久し振りである。


 ところで「宗教と部落問題」のかかわりは古い歴史をきざんでいる。水平社運動創立のときは、一方ではこの運動を積極的にになう青年たちの情熱のバネとなり、他方では当時の伝統教団にたいする厳しい批判を展開するなど複雑な関係を生んできた。


 仏教教団はもともと地域との関係は密接であり、教団自体が抱えこんでいる組織制度や教義内容、法名や戒名などの問題もからみ、以前より歴史研究者など関係者のあいだで一定の検討がつづけられてきた。


 しかし近年の「宗教と部落問題」は、特別の問題状況を含んでいる。住職でもありこの分野の指導的役割をになわれた藤谷俊雄先生が、一九八〇年代早々過熱する宗教界を「部落問題フィーバー」と名づけられたり、日本宗教者平和協議会の理事長である鈴木徹衆師が、戦前宗教教団が「大日本戦時宗教報国会」に組みこまれていった悲劇とダブらせ、これを解放同盟による「宗教教団の総動員体制」であると厳しく警鐘されたことからも分かるように、こんにちの「宗教と部落問題」は全く異常な問題状況を生んでいる。


 あの七〇年代の終りは、一〇年間の時限立法として成立した「特別法」が終結するときであり、「部落問題フィーバー」は解放同盟の運動上の戦術もからんで引き起こされたものであった。そして宗教界への意図的な「確認糾弾行為」が、このとき集中的に展開されていった。宗教界はついに、一九八一年三月「同和問題にとりくむ宗教教団連帯会議」(略称「同宗連」)とよばれる新しい組織をつくって「対応」し、解放同盟との組織的な「連帯」行動が開始されたのである。


 この組織は、自主的な個人加盟をとらず教団政治につくトップでつくられた組織である。したがって教団にとっては「解放同盟対策の連絡機関」であり、役職や事務局は主要な教団の持ち回りになっている。現在では都府県レベルにも同様の組織がつくられ、兵庫の「同宗連」は現在我々の日本キリスト教団の教区長が代表をつとめ、県の「基本法制定」実行委員長などを引き受けている。大半の宗教教団が「同宗連」の傘下にあって「狭山現地調査」や「基本法制定」運動に「連帯」しつつ、一部には解放同盟の「糾弾学習」を教団内部で実践するような解放同盟顔負けの状況もつくられている。


 教団トップが外部からの「確認・糾弾」を重ねられると、教団内部にむけたとりくみも同様の「学習」形態になるのも不思議ではない。いずれにしても、宗教界の部落問題は、解放同盟との連帯関係の呪縛を主体的に解かないかぎり、新しい展開は期待できない。


           2 閉じられた宗教教団


 しかし「同宗連」の異常さは、宗教界すべてを支配しているのではない。
解放同盟との連帯関係に固執する教団トップの中にも、実際のところはその多くが教団の現状を憂い新たな変革を求めているのであり、教団に属する在家レベルの大多数の門徒・信徒のひとびとは、こんにち一般的な常識に生きているひとびとである。


 宗教界は別世界にあるのではなく基本的には部落問題の「新しい時代の到来」と決して無縁ではない。教団の過熱ぶりにたいする批判的見識は息づいている。


 そのことは、これまで全解連の関係者の宗教教団関係者との「懇談・対話」などの場で確かめられているとおりである。


 この内情を熟知している教団トップ並びに担当者は、外部との自由な交流と対話を恐れて、ますます閉鎖的な傾向を強めている。参考までに、浄土真宗本願寺派基幹運動本部の岩本孝樹部長名で各教区基幹運動推進委員長・教務所長宛の『全国部落解放運動連合会(全解連)「申し入れ」に関する今後の対応について』(一九九七年七月一六日付け)の文書を挙げておく。ここにはその「基本方針」の部分のみ紹介する。(全解連は七月八日基幹運動本部を訪ね本願寺関係者との懇談を申し入れていた。)


 「一 全解連の各都府県連から懇談の「申し入れ」があった場合は、「過去帳調査」の事前に、かかる混乱を避ける意味からも、見合わせて頂きますようお願いいたします。
  二 なお、具体的に懇談の「申し入れ」があった場合は、すべて基幹運動本部が対応する旨を先方に説明してください。また、「申し入れ」の事実関係は、速やかに基幹運    動本部にご連絡ください。
  三 その他、全解連を含む他の運動団体の地方機関紙等で関連記事が掲載されている場合も、その都度速やかにご報告ください。」


 解放同盟による全国規模の集中的な「確認糾弾」の「対応」に追われる教団は、むかし行政が「糾弾」に屈服して「窓口一本化」を強いられたあの異常さと同じかそれ以上である。このような閉鎖的な「対応」の過ちは、当該教団内部の病巣をいっそう増すばかりである。「糾弾」は人を沈黙させ一方的な見方を強要するが「対話・懇談」は強制とは無縁である。教団が見識を取り戻し「聞かれた教団」として変革される時を待たねばならない。


 しかし実際は、我々が進める在家レベルの「対話」は、教団として止めるわけにはいかないのである。こうした問題状況については、『宗教と部落問題』(部落問題研究所刊、一九八二年)を皮切りに、我々も機会あるごとに指摘してきた(『部落解放の基調−宗教と部落問題』創言社刊、一九八五年など)。


 今回は、現在の「新しい時代の到来」を受けて、少し視点を変え、現在の状況を変革する上で必要とおもわれるいくつかのポイントを基調提案のかたちで問題提起させていただく。


             3 三つの問い


 以下の提起は、一人の宗教者の立場からの個人的試論に過ぎないが、あらためて次の三つの問いを立てて考えてみたい。


 第一は、宗教は部落問題の解決とどう関係するのか。
 第二は、融合論や自立の課題に宗教はどう応えるのか。
 第三に、諸宗教間での「対話」のはじまりと部落問題解決の「対話」のはじまりについて。


 まず第一の「宗教は部落問題の解決とどう関係するのか」。
 実は今年(一九九七年)、小さなブックレット『「対話の時代」のはじまりー宗教・人権・部落問題』(兵庫部落問題研究所刊)をつくった。自称「労働牧師」を志し、縁あって青春時代から地域での暮しをとおして部落問題に出合い、現在に至っている。その意味で「宗教と部落問題」は個人的なライフワークの課題でもあり、日頃の考えをできるだけ分かり易く率直に表現してみた。


 前記のごとく従来「宗教と部落問題」を取り上げる場合、「宗教」は常に部落問題解決とは無縁もしくはそれに逆行するものと見られ「宗教界の差別性」が問題になりつづけてきた。実際、伝統教団においては清算すべき無数の課題をかかえている。したがって「宗教」あるいは「宗教教団」は、その成立の「基礎」からの根本的な「改革・刷新」が求められることになる。


 後に述べるように、この「基礎からの促し」に正しく照応するかぎり、宗教は部落問題解決にも積極的に関与することができる。逆に「宗教(教団)」が現状に固執する場合、ますます自由を失い歪んだ運動に無批判に野合し、その見えにくい病巣を癒し難く増幅させてしまうのである。


 ところで近現代史では「社会改革と宗教」の関係は大きく二つの対立的な見方が存在した。
 一つの見方は、宗教は社会変革を阻害するものであり、歴史の進歩は「反宗教・無宗教」の方向に動くとするものである。フランス革命ロシア革命はその流れとみることができる。もう一つの見方は、宗教は社会変革を促進するものであり、歴史の進歩に積極的に貢献するというものである。これはイギリス・アメリカなどのアングロ・サクソンの宗教性の流れである。二〇世紀ドン詰まりの現在、あらためて「宗教と社会変革」の関係は、双方の見方の批判的な吟味をとおして「新たな視点」の模索がもとめられている。


 その「新たな視点」というのは、「宗教」と「社会変革」の独白な象面の存在と相互の関係が、「基礎」を介して成立しているダイナミズムを、より厳密にとらえなおす必要があるのではないか、というものである。


 この『「対話の時代」のはじまり』では、「宗教」もしくは「人権」の「基礎(土台)」に言及した。わたし自身の見方は、宗教には「基礎」があり、社会変革にも「基礎」がある。それは混同できないししてはならならない。双方が同じ「基礎」を介して関係づけられている。

 見落としてならないのは「基礎(土台)」であり、そこを踏まえて「宗教」も「社会」も変革・創造されていくのだという見方である。そして「宗教」は、専らこの「基礎」の発見と出合いを本領とする。(現実の「宗教(教団)」は、この大事な「基礎」への「開け=慎み」の基本感覚を欠如してしまっているのである。)


 第二に、「融合論や自立の課題に宗教はどう応えるか」。
 一九七〇年代半ば以降、部落解放理論として「国民融合論」が指針となり現在に至っている。上記の「基礎」論は、国民融合論の「基礎」と別のことではない。部落問題は歴史的な見方を欠かせないが、本質的な見方つまり「基礎」論を欠いてはならない。


 「基礎」は「人間(もの)の尊厳性=平等性」の「基礎」であり、それは単なる「理念」や「理想」ではなく「原事実」である。同時に「人権の享有」は「自由・自立」のことであり、宗教は本来「基礎」をふまえて「いのちを美しく輝かす」ものでなければならない。その意味では「融合論や自立の課題」は、宗教の本来的な課題であり、それを積極的に支持し促すものである。


 そして第三に、諸宗教間の「対話の時代」のはじまりと、部落問題解決の分野での「対話の時代」のはじまりについて。
 「諸宗教間対話」、とりわけ仏教とキリスト教との「対話・出合い」は最近実に面白い展開を見せている。その開拓的な仕事の第一世代は世界的な禅者・鈴木大拙師(一八七〇〜一丸六六)であるが、現在はその第二世代、第三世代となり、「諸宗教間対話」は世界的な流れとなっている。これはしかし残念ながら、宗教教団レベルのことというより「在家レベル」もしくは学問研究のレベルが主役である。


 ところで、さきに指摘したように「同宗連」をはじめ宗教教団は、解放同盟の確認糾弾に「対応」することはあっても、ひろく一般に「聞かれた対話の道」を享有(エノジョイ)できないでいる。「確認と糾弾」は大歓迎であるが「対話と懇談」は「お断わり」という「基本方針」では、「真理・真実」の前での公明正大な「対話と出合い」の世界からは程遠い。


 しかし、わたしたちは何よりも公明正大でなければならない。これまで微力ながら「対話と出合い」をもとめて、垣根のない交流と友愛を創りだすことを意欲してきた。研究分野でも運動分野でも、自由な相互批判がどれだけ息づいているかがいま試されている。無原則的な馴合いは野合にすぎないが、オープンな相互批判の切瑳琢磨は、新たな出合いを生むのである。


 「敵のために祈る」聞かれた勇気が宗教者の本領だとすれば、宗教教団もその「基礎」から革新され、部落問題解決にも積極的に貢献できるはずである。
 現在の宗教界が「新しい時代の到来」を共有できるのは、しばらく時間を要するようである。
                         (一九九七年一〇月)