「部落問題の対話的解決のすすめーキリスト教在家牧師の小さな模索」(下)(2000年6月、雑誌『部落』)


穂積肇さんの作品「マレックでサケを突く」




         部落問題の対話的解決のすすめ


       キリスト教在家牧師の小さな模索


               (下)


          2000年6月 雑誌『部落』


         (前回の続き)


       4 『「対話の時代」のはじまり』以後


 ところで、今日の宗教界は、特に「同宗連」に結集する諸教団の教団政治のあり様は、旧態依然としたものです。今年(二〇〇〇年)の『月刊部落問題』(兵庫部落問題研究所刊)新年号で、加藤西郷先生が「宗教と部落問題」の論稿で言及しておられましたが、現在の宗教教団は特に一九八〇年代初頭の解放同盟による「糾弾」以後、つねに「同宗連」の枠内で、つまり解放同盟の理論と実践に連帯する宗教教団としての「同宗連」の枠組みの内に自縄自縛され、閉じ込められています。


 「同宗連」の府県レベルの組織化の過程では、「連帯会議」という特定の運動団体との「連帯」を表示する名称を嫌って、部落問題の解決のためのゆるやかな「連絡会議」の名称を選択しているところもありますが、実際は加藤先生のご指摘のとおり、旧来の閉じられた枠組みをはずすことができないでいます。


 それでもしかし宗教教団というものは、本来的には既存の諸権威に住することを潔しとせず、ましてそれに凭れ掛かって身を守ろうとする傾きを嫌います。ところが、悪しき意昧での教団政治が支配しているときは、外部の諸権威を逆用して自らの保身を計ろうとするものです。その点、教団とそれら諸権威とは相互に密通しあって「持ちつ持たれつ」する癒着関係が生まれやすくなります。この危うさについては、それぞれ責任の位置にある当事者が一番切実に自覚している筈です。


 ですから本来的には、宗教教団としては、例えば外部の諸権威のひとつである「解放同盟の傘下」という枠組みをキッパリと脱皮して、教団の主体性・自主性を取り戻したいというのが、責任を持つ位置にある人々の本意です。


 「解放新聞」という解放同盟の機関紙の二〇〇〇年三月六日付けを見ますと、一頁全面をつかって浄土真宗本願寺派の北海道教区の「差別発言事件」が取り上げられ、「宗教者本来の原点に立ち返れ」「教団全体の、僧侶と門信徒が一体となった基幹運動の強化を」という見出しが大きく踊っています。


 これを拝見しますと、同教団においては、教団中枢から全国の各教区・組へと解放同盟による「点検・協議」が、現在もなお延々と積み重ねられているようです。


 このような教団自治が根底から揺さぶられているようにも受け取れる事態を背景にして、いま教団の内部で自発的に始まったという「真宗フリートーク」の取り組みは、起こるべくして起こった「内部変革のいぶき」として、わたしたちに伝わってきます。この「いぶき」は、関係者の私心のない清々しさが呼び起こした新たなムーブメントとなっているようです。


 この動きは、既に数年前から「宗門のすべての人に聞かれた集い」として生まれており、一九九九年三月発行の「真宗フリートーク」創刊号に記載の浄泉寺・大原光夫師によれば、いま「本山とご門徒衆や各住職との距離がどんどん遠くなっている」ので「本来、基幹運動本部や宗門が率先しておやりになることです」が、まず「私たちが、自由に何のこだわりもなく話ができる場所」を提案したのだと言われます。


 つづいて一九九九年二二月に発行されたこれの第二号によれば、創刊号は「本派各寺院、全国約一万力寺と教務所・別院に送付され」「約一ヵ月ほどで、葉書・手紙・電話」など三〇〇件を越え、三二〇万の「浄財」が寄せられたそうです。そしてその機関紙には、寄せられた率直な声の多くが、そのままのかたちで掲載されています。


 二〇〇〇年一月一八日に広島別院で開催された「全国交流研修大会」の詳しい模様やその後の展開など、ぜひ伺ってみたいものですが、皆さんの自発的なこうした「フリートーク」の工夫は、部落問題の解決にとってばかりでなく、それこそ「ベルリンの壁」や「ソ連邦」の崩壊にも似た、教団の内部から新しく変革されていく静かな、晴朗な徴しのひとつとして、全国的な広がりを見せているようです。おそらくこの爽やかな風は、同教団を越えてほかにも広く及んでゆくのかも知れません。


         5 「対話」による解決のすすめ


 全く個人的な好みにすぎませんが、なぜかこのところ朝は道上洋三の「お早うパーソナリティー」のラジオで起床し、夜は筑紫哲也の「多事争論」のテレビを見て眠る習慣になっています。どちらも押し付けのない独自な主張があり、柔軟な「対話の世界」が感じられ、「現実への聞かれた窓」のひとつになっています。


 生来、わたしは人前で話したり「争論」をしたりすることが苦手で、黙って人のお話を聴くことの方が似合っています。仕事がら柄にもなくこの頃学生たちに向かって話すこともあり、その楽しさも少しずつ分かって来ましたが、やはりいつも私流のスタンスになります。


 いま、堀田善衛の『航西日誌』(筑摩書房)をよんでいますが、そのなかに彼は、モームの『作家の手帳』の序文にある「イギリスの作家たちは、……感心したからといって熱狂的になることはなく、また感心しないときは、誹誇するよりただ黙殺するという態度をとる。……彼らは、自分が生き、ひとをも生かす。」といったことばを引いたあとに、次のようなことを記していて、とても共鳴を覚えました。


 「私白身は、モームの言うイギリス型に近く、『自己中心的』に仕事をし、生きて来た。  人に咬みついたこともなく、咬みつかれても咬みかえしたこともない。自分の理解出来ないものについては、それもまた特殊な存在理由があるのであろうし、自分のワキヘ置いて、時間をかけて眺めることにしてきた。眺めているうちに、大抵のものは溶けてなくなってしまった。」(六九〜七〇頁)


 わたしも、堀田のような生き方や間の取り方に共感するところが多く、「対話のすすめ」といっても、「自分が生き、人をも生かす」ような表現のかたちが望ましく思います。現在の「宗教界の部落問題」の多くは「時間をかけて眺め」「眺めているうちに、大抵のものは溶けてなくなってしまった。」などと言えるものかも知れません。


 わたしたちの教団では、二一世紀を目前にしたいま「日本基督教団部落解放方針」といったことを議決すべく討議が継続されています。長かっか部落問題解決のとりくみが、漸く一区切りとなるこの時に、我が教団においては今年の教団総会で「部落解放方針」を確立して、これまで以上にとりくもうということですから、これからわたしもじっくりと腰を落ち着けて、関わりを持たねばなりません。その意味では、「部落問題の対話的解決のすすめ」は、まず当面わたし自身のこととして、これへの「対話のすすめ」が課せられているようです。兵庫部落問題研究所の裏方の仕事ばかりでなく、そろそろ「牧師の仕事も真面目にやれ」という声も聞こえたりする昨今ですが、これもやはり私流のやり方で、これまでどおりボチボチと、怠けず焦らずとりくんで見たいと思います。


 今回は少し語調を替えた、ひとりよがりなレポートになりました。大切な紙面を汚した上に許された紙幅も越えましたので、この度はこれで。


                         (二OOO年三月)