連載「神戸からの通信」(第5回)(雑誌『部落』1990年10月〜1991年3月)


宮崎潤二さんの作品「バイカル湖



    神戸からの通信(第5回)


          雑誌『部落』「四地点通信・近畿」
             1991年2月号



●昨年暮れの「人権週間」で、外国からもゲストを迎え「神戸人権問題国際シンポジューム」が開催された。二日間同時通訳をたよりに熱心な討議が行なわれ、初めての試みであったが、それなりに刺激の多い集会になった。


 「家族の変貌と人権」という分科会に参加したが、国際的な視野から福祉・
教育など広範囲な問題に開運して活発な議論が展開された。


●ところで、今回は「結婚」について少し触れさせていただく。
 この頃では、米国などでは公然と同性同士の婚姻が云々されたり、日本の「結婚家庭」も「定年離婚」がささやかれ、青年たちは、特に女性のあいだで「結婚への戸惑い」が広がり、『結婚しないかもしれない症候群』などという本も出て、世代を越えて新しい「結婚家庭」の在り方が模索されている。


 先だって「人権週間」に関わって、滋賀県大津市の青年・婦人の方々の集会に招かれて学び合う機会があった。
 「結婚」をテーマにした『今、心ふれあう時』という集いで、当地の同和問
題をめぐる進んだ状況にも接することができた。


●その折には、テーマに即して二つの点――「今日の部落問題」との関連と「結婚家庭」そのものについて――に絞って提起させていただいた。


 既に一五年ほど前に編集刊行した『私たちの結婚――部落差別を乗り越えて』は今日でも類書がないこともあって求めつづけられているが、当時二〇組の結婚家庭をお訪ねし、まだ厳しく部落差別が存在していた中での感動的なドラマを、結婚を前にした若者たちに伝えることが出来た。その頃から同和対策事業も本格化し、部落差別の壁も一つひとつ取り除かれていった。


 そして、人びとの予想をはるかに越えて、現在では親たちの心配をよそに、実に多くの青年たちが自由に結婚し、その「壁」も経験しないでごく普通に結
婚していく事実が急速に進んでいる。


●最近の大津市の意識調査でも、まだ「絶対に認めない」という人が何パーセントか存在し、勝手に身元を調べたり「聞き合わせ」の習慣なども残されている。しかし今日では、親たちのそうした行為は、娘や息子たちによって厳しく批判され、隣近所からも注意を受ける時代になってきている。


 実際、今日の新しい状況は、かつての「部落問題」をハッキリ「過去」のことだと見る目が育っている。これまでは、就職や結婚、住宅や教育など生活の隅々に差別が残されていたが、今日では特別対策を自主的に返上し、殆ど分け隔てなく市民生活が営まれる時代を迎えている。


●神戸市でも同和対策の完了を宣した地域も出ているが、大津市でも既に二つの地域でなされて、本当に新しい意味での本来の「まちづくり」が開始されている。


 現在関係者の間で注目を集めているように、大津市の場合、昭和六二年段階で「前期三年間でハードな事業を完了し、ソフト面でも後期二年間で効果的な啓発を求めて同和対策事業の終結状況をつくりだし、新法失効時において基本的に同和問題の解決状況を実現させる」構想をまとめ、その目的に向けて地域・運動・行政・教育・市民ともに着実に取り組まれている。この度の「今、心ふれあう時」の集会もその一環であった。


●ところで、今回は上記の状況認識の確認と同時に強調させていただいた点は、「結婚家庭」そのものについての提起であった。


 今日では部落問題に関する正しい認識に優るとも劣らず重要に思われることは、ふたりが「結婚」をどう見るのかに掛かっている。つまり、余りに当然のことであるが、「結婚は成人した男と女が、それぞれ親から独立して家庭をつくること」である。親から独立してシングルで生きる人もあれば、縁あって「結婚家庭」を生きる人もある。いずれにもあれ、生きることは苦労を楽しみにすることであれば、「この人となら生涯一緒に苦労ができる」相手との出合いが「結婚」である。


 日本の今日の憲法では、婚姻は両性の合意のみで成立する。この精神の真の意味は、M・ピカートが名著『ゆるぎなき結婚』(みすず書房)で「結婚は、人間がそこへと歩いてゆくというよりも、寧ろ結婚自身が彼の方へ―−人間の方へ――歩み寄るのである」と詩的に表現するごとく、ふたりのあいだに結ばれている「ゆるぎなき絆」を互いに謹んで受け入れることにある。


 その意味で、結婚はふたりのあいだに結ばれている「絆」によって成立する。そしてこの「絆」は決して揺らぐことのない固く確かな「絆」である。だから、ふたりは安心して、この「絆」を心に止めて「結婚家庭」をつくるのである。


 こうしたことがハッキリしてくれば、ふたりは初めて本当に落ち着いて、結婚への迷い・戸惑いから解き放たれ、喜んでふたりの結婚の準備に入ることが出来る。たとえ両親の反対があっても、迷わず前に進むことが出来るのだ……。


●そして話の最後に、あの丸岡忠雄さんの十数年前の作品「命名 結子」など数編を紹介して結びにかえた。ここでも、この作品の終りの部分だけ紹介させていただきたい。


  ……/お前は 父さん母さんの結び役/そうした世の中すべての人々の結び役/お前が成人となる二十一世紀には/“部落”なんかにこだわるひとのない世界をと希って/お前の父さん母さんはがんばっている/この私だって がんばっている/まだ 視えないというのが不思議みたいな/お前のきれいな瞳をのぞきこむと/澄んだ青空が見える/青空のむこうに山が見える/孫娘の名付け祝いに こおどりしてかけつけた/お前のおじいちゃんが/ゆっくり墨をすり 色紙に書いた/「命名 結子」/明治の入らしい 鮮やかな筆跡である。


●今回の集会で最も感心させられたことは、わたしの拙い話はあくまでもひとつの素材に過ぎず、専らこの集会の目玉は、このあとの六つの分科会に分かれての自由な「ふれあい」の時であった。定刻をはるかにオーバーする自由で真剣な話し合いは有益であった。
 問題解決はここまで来ているのである。

                     (兵庫部落問題研究所事務局長)