連載「神戸からの通信」(第2回)(雑誌『部落』1990年10月〜1991年3月)


宮崎潤二さんの作品:神戸市郊外のスケッチに、宮崎さんお得意の漫画絵を加えておられます。年代不詳






          神戸からの通信(第2回


          『部落』1990年11月号
           「四地点通信・近畿」



●このほど「部落問題解決への見取図②」として部落問題研究所から刊行された全解連神戸市協書記局の『神戸からのレポート』がいま、関係者のあいだで静かな話題を生んでいる。

 
 先の夏期講座でも、神戸市協の表野賀弘議長がその内容の一部を報告したが、本書で大胆に示された神戸の運動の「新しい流れ」に対しては、このところ好意的な関心が寄せられているだけでなく、他府県からの神戸視察などもとみに増えているようである。


 本書の草稿は、森元憲昭市協書記長のもとでつくられ書記局で練られたものであるが、兵庫部落問題研究所恒例の新年特別研究会(今年の主題は「九〇年代の解放運動」)でも、この草稿内容は大いに話題になり、これの刊行が待たれていた。そして本書は先ず、六月二四日の神戸市協二〇回大会という記念すべき場所で出版が祝われ、神戸における解放運動の新しい展開が確かめあわれ、いま広く関係者のもとに普及されつづけている。


●どの場合でも、具体的な実践に裏打ちされた明確な積極的提起は、予想以上の波紋をひろげ、ひとびとの関心を呼ぶ。このレポートに対して、本誌八月号の「本棚」における窪田充治氏からは、本書は「自立と融合の時代にふさわしい学習テキスト」であり「汚染された海を浄化し、再生させる運動の『羅針盤』」である、として最大級の評価が与えられている。


 そこには内容の「新しさ」と同時に草稿をものした著者の筆力に負うところも大である。誰でもつい引き寄せられて、最後まで一気に読み終えてしまう、ある種の面白さがある。部落問題関係の書物で、こうしたものは残念ながらそれほど多くはない。


●このレポートで描かれる「部落問題解決の見取り図」の模索は、まさに模索段階であるが、本書が多くの人々に好感をもって受け入れられるのは、単に外部に向かって批判を行なうというよりも、自分たちの進めてきたこれまでの取り組みの出発点を大胆に問い直して、誠実な内部批判が深められているところに、際立った魅力があるようである。


 《かつて私たちは「解同」と同じように行政に依存しながら、自立と融合を市民に説教してきました。その内容は、「私たちは『解同』のように暴力的な『確認・糾弾』はやらない。窓口一本化で利権あさりをやらない」というものでした。たしかに「解同」とは、民主主義的な原則を守るという点で決定的に違います。しかし、同和対策事業の範囲でしか運動をしないという点ではほとんど同じだったのです。二一世紀まで部落差別をもちこさないためには、同和行政からの自立を往民だけでなく運動団体自身がすすめなければなりません。そうでなければ最終責任は永久にとれないのです。》


●神戸では一九八二年の段階から「同和行政の見直し」が始められ「同和施策住宅家賃検討委員会」も発足するが、神戸におけるこの「家賃適正化」の取り組みは行政のみならず運動の質の転換(深化)を象徴的に示すものとなった。


 そして、この取り組みを大きな節目にして、運動に責任を担ってきた活動家たちが自ら「自立と融合」の時代にふさわしい新しいヴィジョンを探り当て、「神戸雇用福祉協同組合」「西区教育文化協同組合」「神戸住宅・まちづくり研究会」「市街地特別養護老人ホーム建設運動」などの活動を、民主的な諸団体や市民組織(個人)と共同して、つぎつぎとその冒険を開始するのである。


 どの歩みもまだ小さく、ささやかなものではあるが、そこに秘められている新しいこころざしと夢は、これまでの運動の積み重ねの試行錯誤のなかから生まれ出た独自の「新しさ」が含まれている。これらの生きたドラマ(事実)が簡潔に面白くレポートされているのである。


●神戸の部落解放運動は、さいわいなことにその出発の時点から単に「部落」と「部落外」を対立させて運動を組織するような質のものではなかった。少なくとも一九六〇年代後半以降の神戸の運動を見るかぎり、「部落」の中にあっても、よそ者を排除するようなことをしない、はじめから垣根のない運動のスタイルがつくられていた。


 もちろん、あの「部落民宣言」や「解放教育」に見られた「語り」などという引きつった取り組みのスタイルは、むしろ神戸の一部の学校現場を拠点にして全国に普及したものであるが、地域のなかでは当初からその危うさに気付き、そうした間違いを自覚的に乗り越えた解放運動が進められてきた。


 しかし、本書で明確に指摘しているように、神戸の解放運動も多くの弱点を抱えて歩んできた。それをいかにして「同和行政対応の運動の限界」を脱して「自立と融合」の「新しい酒を新しい革袋に」盛り込むことができるのか、いま一歩踏み出して、シッカリ汗を流しはじめているさなかでの、ささやかなレポートである。もはや、かつての「肉鍋」を後にして、後戻りのない前進を始めている、その明るさと確信が伝わってくる。


●今回の『神戸からのレポート』であらためて強調され、明確な論点として提示されたものは「部落(民)」に対する基本的な視点の確認にあった。以前、水平社宣言を批判的に吟味したおり、私もそこを踏まえることの大事さを「基礎視座」のレベルのこととして強調したのだが、今日では「運動論」のレベルのこととして旧来の「部落(民)」を枠組にした形態を超えていく状況を迎えていることをハッキリと示している。


●毎年、兵庫県下五ブロックで国民融合をめざす部落問題研究集会が開催されているが、今年の神戸集会は「自立・融合の時代にふさわしい運動・行政・教育の確立を」をメイン・テーマに「二一世紀までに部落問題を解決する新しい地域運動の創造」をもとめて「地域福祉」「住宅・まちづくり」「教育」などの諸分野のネットワークを考える試みが準備されている。


 地域に根ざした先進的な住民運動に学びながら、「特別法」に依存しない本来の運動を新しく創造しようとする意欲が、そこにはこめられている。一〇月二〇日の神戸市勤労会館におけるこの集会には、京都府立大学の本多昭一先生の記念講演がある。


(兵庫部落問題研究所事務局長)