「時代の変化とともに」(滋賀県解放県民センター『地域同和』1998年1月号)


宮崎潤二さんの作品「柏原八幡神社


 
       雑誌『地域同和』1998年1月号


          時代の変化とともに


             鳥飼慶陽


 「自由・対話の人権雑誌」と肩書された月刊誌『地域同和』は、わたしたちの兵庫部落問題研究所へも毎月御送りいただき、創刊以来いちども欠かさず拝見させていただいています。


 滋賀県は、もう三〇数年もむかしの青春時代に、近江八幡市内の小さなキリスト教会で五年間ばかり暮らしたこともあり、一九七四年に神戸に部落問題研究所が設立されてからは、その仕事の関係で、特に滋賀県内の大津市や日野町などの実態調査や意識調に関係させていただき、とりわけ大津市内の地域の実態と変化には、多くのことを学ばせていただきました。


 大津市と神戸市とは同和行政の歩みの上では、ほぼ同じような足跡を残してきましたから、行政担当者の間はもちろん、運動関係者や住民の白治活動にたずさわっておられる方々との交流も一定親密で、震災後もたびたび神戸に足を運んで励ましていただきました。


 そんなことから、貴センターの機関誌『地域同和』には、個人的にも仕事の上でもそれなりに関心を寄せてまいりました。とりわけ、わたしたちの研究所でも『月刊部落問題』という機関誌を発行し、現在251号を重ね、その編集責任を負いつづけていますので、毎月の雑誌づくりの醍醐味を味わっています。


 今回は『地域同和』に対する意見・感想・希望を自由に書くよう求められましたので、思い付くことを少しだけ記させていただきます。と申しましても、貴センターとわたしたちの研究機関とは、その性格も歴史も異なりますから参考にもならないかも知れませんが・・・。


 まず、雑誌の名称のことです。『地域同和』という名前は、滋賀県下でひろく組織的に取り組まれて来た地城懇談会のような活動をより豊かなものにする課題等に応えて付けられた、滋賀県らしい名称ではないかと思います。神戸などでは、そういう取り組みの歴史がありませんので、その歴史的な教訓や意義についてうんぬんできませんが、おそらく時代の推移とともに「地域」なり「同和」という意味合いも変化してきているのではないでしょうか。


 ちなみに、わたしたちの場合も、『月刊部落問題』という名前を継続していますが、貴誌のように「人権雑誌」と銘打つことをしないで、今ではむしろ、当面する部落問題の残された諸課題にこだわるところに力点をおいています。


 もちろん、部落問題へのこだわり方の問題が問題ですが、この課題を、貴誌がめざしておられるように「自由」に「対話」を深めるなかで取り組めたらいい、と願っています。(個人的には、最近『「対話の時代」のはじまりー宗教・人権・部落問題』という拙い作品で提示してみましたが、今後もあせらず怠けず、この課題を探る必要があると思います。)。機関誌の名称はもちろん貴センターの今後の方向と不可分の関係にあることです。


 わたしたちの小さな研究所も、はやすでに四半世紀のあいだ活動をしてきました。その任務をめでたく終える時をめずして、ただいま奮闘中というところです。あれこれ記すつもりでしたが、紙面がつきました。
 自発的な個人が、貴誌を毎月待ち遠しく求め、対話を深める内容へと充実・発展されることを期待しています。

    
                     (兵庫部落問題研究所事務局長)