「部落解放とは何か」(第2回)(1986年、第5回広島県部落解放研究集会)


宮崎潤二さんの作品「ニュージーランドクライストチャーチ市図書館」(前回に続く)



            部落解放とは何か(第2回)


           1986年10月26日


          第5回広島県部落問題研究集会


    (前回の続き)


       2 部落解放とは何か―主な三つの視点


 昨年(1985年)9月、「地対法後の同和行政のあり方についての全解連の見解」が出されて、そのなかで「部落問題の解決とはどのような状態をさすのか」を三点にわたって明らかにしました。


 そして最近(9月27日)、杉之原寿一氏は、第二回神戸部落問題研究集会の記念講演において、右の「全解連の見解」をふまえて、次の4点に要約されています。

           部落問題の解決とは、


 1 歴史的経過のもとで生み出されてきた部落と部落外との間にみられる生活環境や生活実態の格差が解消されること(実体的差別の解消)
 2 部落問題に対する非科学的認識や偏見が克服され、差別的な態度や言葉をつかうことが、その地域社会において受け入れられない状況がつくりだされること(心理的差別の解消)
 3 身分差別とかかわって閉鎖的生活を長年にわたって強いられ、文化的水準が低くおさえたれてきた結果としてもたらされた生活習慣や生活態度にみられる問題状況が克服されること(文化的水準の向上)
 4 地域社会において部落内外の障壁が取り払われ、自由な社会的交流が進展し、融合・連帯が実現すること(社会的交流の促進)


 こうした指標が、より具体的に提示され、運動・行政・教育など各分野の方向づけと課題が、新しく捉えなおされてきています。これらの検討は、後に少し別の角度から取り上げることにして、ここでは「部落解放とは何か」を考える上で、重要ではないかと思われる「三つの視点」について、お話しして見たいと思います。


          (1)国民融合の基礎


 「部会報告」でも指摘されている「エセ同和行為」がいまクローズ・アップされていますが、そこには「部落解放とは何か」に関する認識上のゆがみがあったことは、当初から強調されてきました。


 それは、「エセ同和行為」を正当化するための「エセ解放理論」が、有名な「三つの命題」(朝田理論)などと呼ばれて、各地・各分野に横行した時期がありました。そして、反共的潮流に乗った分裂主義・部落第一主義・部落排外主義で、人々の私的感情(住民の私憤・怨念)をあおり、見分けにくい独善的な偽善に終始する期間が、長く続きました。


 そして、このような逆流に抗して、真の部落解放の大道を指し示す考え方が、「国民融合による部落問題の解決」の方向でした。


 もちろん、この基本方向そのものは、「水平社宣言」を持ち出すまでもなく、部落解放運動の当初から、その出発点として、運動の担い手たちのなかでは、気付かれていたことです。


 それが、1970年代になって、ようやく現実的な展望をともなう「部落解放の大道」として定式化され、多くの人々の共感と支持をうける考え方として、定着をみてきています。


 そこで、この「部落解放の大道」である「国民融合の基礎」について、もう一歩踏み込んで、ここで考えて置くことにいたします。これまで、私たちの間でも、「国民融合」に関しては検討を加えてきましたが、その「基礎」などということは、検討の対象にもならずにきました。


 これは、何も難しいことではないのですが、あまりに当然すぎる身近なことで、逆に自覚されずにきたことなのかも知れません。


 たとえば、これまで部落問題を考える場合、「部落差別の現実から出発する」といったスローガンのもとに、すべて「差別」を「基礎」においてみようとする傾向性が一般的でした。


 また、「差別する人」と「差別される人」とをまず分けて、そこから「差別者」を問うという見方も根強く存在し続けてきました。


 「差別を見抜く目」とか「差別を許さない人間」とかがスローガンとなって、いつも「差別」を出発にする見方からに抜け出せずにきたのです。


 そうしますと、知らず知らずのうちに、絶えず「差別」を探し出し、追及し続けることが避けられなくなります。


 そこには「差別論」はつくられても、「国民融合論」といった「解放論」は積極的には何も生まれようがありません。


 大阪などでよく見られるように、いつまでも「落書き」があり、「確認・糾弾」が繰り返され、はてしのないたたかいが続けられることになるのです。


 その点、「国民融合で部落問題の解決を」めざそうとする考え方は、右のような流れとは全く異なっています。むしろ、差別・被差別の関係を固定的に捉える考え方に反対して、部落問題の解決を、我が国の民主主義の重要な課題のひとつに位置づけ、広範な人々の協力・協働の取り組みを通して具体化するのだと見るわけです。


 そしてまた、部落差別の問題は、こうした努力を通して、資本主義の枠内でも解決できる民主主義の課題であることが、明確にされてまいりました。


 部落問題の解決への見通しが、このように―大阪でつくられた全解連のパンフの題は「明日は見えています」と名づけられました―ハッキリしてきました。そして、本集会においても、「確かな土台を80年代に」が統一テーマにあげられて、回を重ねられております。


           *         *


 ところで、先に「国民融合の基礎」ということを申しましたが、ここでいう「基礎」とは、これから私たちが力を併て築いていく「確かな土台づくり」の側面のことではなくて、私たちの共通の立脚点・出発点のことを指しています。


 「基礎」「土台」といわれるものは、ほとんど常に隠れています。そして、この隠れて存在している「基礎」「土台」にしっかり足をつけて、「確かな土台」づくりに、みなが力を合わせるのです。


 言い換えますと、ここで強調する「基礎」とは、「人として」(この表現は、詩人・丸岡忠雄さんの好んで用いられた言葉ですね。「部落」「部落外」を超えた普遍的な広がりと深さを生む「基礎」への思いが、その詩作品に生きいきと現されてきました)すべての人のもとに置かれ、誰からも侵されてはならない「自由」「平等」の基盤が存在しているという、単純な「事実」のことです。


 部落解放へのこの隠れたバネ(発条)は、人としてのいのちの基(もとい)=泉が「枯れずにあった」ことへの「発見の驚きと感動」にありましたし、その「基礎」を踏まえて、新しいたたかいに立ち上がったのでした。


 ですから、そのたたかいは、前にも触れましたように、部落住民のみならず万人にみかって、燎原の火のように、全国に広がっていったのです。


 部落解放運動のあゆみは、これまで多くの試行錯誤を経験しながら、その「基礎」(出発点)に立ち返って、運動の理論と実践を、新しく組み直していく努力を重ねてきました。


 そしていま、「国民融合論」という部落解放論が、開放への道筋を示す「大道」として提起され、幅広い支持を得て、今日を迎えているのです。


 「国民融合の基礎」は、その意味では、はじめから「確かな土台」としてあったわけで、つねに新しく立ち返り「発見」されることを求められているのです。


 人間の「自由」「平等」は、憲法にも明示されるように、私たちの不断の努力で歴史的に獲得される者であることは言うまでもありません。


 しかし、この不断の努力は、万人のもとに置かれている「自由」「平等」の「確かな基礎」の裏打ち=促し=が、力強く働いていることへの、ひとつの「応答」の性格を帯びていまうす。


 ですから、「国民融合論」というものは、単に「部落解放の戦術・運動論」や「政策論」だけではありません。むしろ、積極的な「基礎」をもった部落解放論として、今後も検討・吟味が加えられて、いっそう豊かな内容が見出されていくに違いありません。

 
 (この項はつづく)