「人としてのしあわせ」(下)(1992年、兵庫県大屋町人権週間講演)


宮崎潤二さんの作品「ペテルブルグ(レーニングラード)の冬宮と宮殿広場」




           人としてのしあわせ(下)


        1992年12月8日 大屋町町民センター 


   (前回の続き)


 それは「わたし」が「ほんとうのわたし」に出会う、といってもいいかもしれません。そのことは、「わたし」のみならず、家族、地域社会、国についての見方が、これまでとすっかり新しくなることを含んでいます。


 「人としてのしあわせ」は、先ずこの「わたし」がしあわせでなければ、相手もしあわせではありません。夫婦が仲良くしあわせでなければ、子供は決してしあわせではありませんね。


 いろんな理由で家庭のなかや職場のなかでぎくしゃくすることがあります。その時の知恵は、先ずこの「わたし」が内側から明るくなることだといいます。夫婦喧嘩でも、先に謝る!のが勝ちだ、といいますね。どちらも意地を張って、何日も黙って過ごす。そしてついに、家庭が破壊されてしまうという場合も少なくありません。


 この「わたし」が喜んで生きる! それは、無理をしてできるものではありません。人は誰でも、はじめから、無理由に、無条件に、喜んで生きられるようにつくられている! ようです。


 そのことを身にみに沁みて、わがこととして知る、発見する。そういう「本当のわたし」に目覚めること、そんなことが、ある時、人には、不思議なことですが、起こるわけです。


 健康だからとか、いくらか生活が安定してきたからとか、そういう「しあわせ」はもちろん大事です。ですが、この「人としてのしあわせ」は、この「わたし」の状態や意識によらない、それこそ、わたしがどんなに貧しく、どんな病いのなかにあっても、いや、このわたしのいのちがなくなっても、決してなくならないもの、これが、無理由に、誰のもとにもはじめから与えられている!


 そういうことで、ほんとうは、人は生きてきているのです。それは、振り返ってみますと、日本でも、最近関心を寄せられていることの多い「良寛さん」や「一遍さん」、また独特の俳句を残した「山頭火」や夢を生きたといわれる「明恵上人」など、そこには共通したなにかがありますね。


 「宮沢賢治」や「夏目漱石」といった人々の作品は、時を超えて、益々わたしたちのこころを養ってくれます。人知れず苦労をなめたのちに、幸いにも、あるがままの「わたし」に出会って、その人らしく、自然にその持ち味を活かして生きた先輩たちが、たくさんいます。


 例えば、良寛さんは、多くの歌、詩や書を残しました。漢詩でうたわれているので、わたしなどは現代語に訳してもらわなければわかりませんが、代表的な歌のひとつに、こんなのがあります。


 これは東郷豊治さんという方の訳です。

 「生まれつきじゃでのんびりと、あなたまかせで行くとしよう、袋にゃ米はまだあるし、いろりにゃすみも残っている、悟りをひらいてどうなるものでも、名前をあげてどうなるものでも、それより雨でも聞きながら、どうれ足でものばしましょう」


 彼は18歳のときに出家した、22歳で得度しますが、特定の宗門に納まることができず、40歳のころから故郷にもどって、雪深い新潟の「五合庵」で、托鉢の生活を続けます。最晩年、40歳ほども年下の尼僧「貞心尼」に看取られながら、74歳でなくなります。


 彼の有名な辞世の歌は、「形見とて 何か残さん 春は花 山ほととぎす 秋はももじ葉」でした。


 自然は悠然と過ぎていく。わたしも自然にまかせて帰るだけだ。もみじ葉にわが身を託して歌っているのでしょうか。彼は、死の間際にこんな句を残したともいわれます。「散る桜 残る桜も 散る桜」 そして「死にとうなし」といって死んでいかれたとか。


 この正月元旦のNHKのドラマで、「夢千代日記」で知られる作家の早坂あきらさんの「良寛」さんの作品が放映されます。いまから楽しみにしています。このところ、良寛の本がいっぱい書店に並んでいます。わたしなどには足元にも近づけませんが、彼のようにきびしく、そして自由に生きた先輩のことは、やはり、あこがれのようなものを持たされています。


 良寛さんは、禅宗の系統で道元の影響を強く受けた方ですが、今晩皆さんの手元に届けている詩人の丸岡忠雄さんは、ご両親も熱心な浄土真宗門徒さんでした。おなくなるときも、作業ズボンに岩波文庫の『歎異抄』をもっておられたほどに、そういうこころを持っておられました。


 丸岡さんは、1985年(昭和60年)に、56歳で忽然となくなりました。わたしは晩年の10年間、親しくさせていただきました。実に誠実で、こころのひろい方でした。『ふるさと』という詩集を発行させていただいたり、亡くなられたあと、永六甫さんに序文を頂いて『ふるさと』の愛蔵版をつくらせていただいたりいたしました。


 今晩のお話の題は「人としてのしあわせ」となっていますが、この「人として」というのは、丸岡さんを神戸にお迎えして、神戸文化ホールで講演された時の演題でもありました。


 丸岡さんのまわりには、その人柄にひかれて、多くの若者たちが集まって、「丸岡塾」を楽しんでおられました。今日では有名になった「猿回し」の復活はそこから生まれました。そこには、垣根を越えた、素晴らしい文化運動が育っていきました。お配りした「命名・結子」という作品は10年以上も前に作品ですが、可愛がっておられたご自分の姪ごさんが素敵な男性と出会って結ばれ、赤ちゃんが生まれ、その名付け親になられた時の想いを歌った、わたしの大好きな作品のひとつです。





丸岡さんの詩で「瞳」と題する短い作品があります。



 これは、丸岡さんの若い頃の作品です。「ひとみ」は心の窓です。
 そして、人間には、心の奥にさらに「たましい」の世界が隠されているようにも思えます。そして、その世界は、どの人とも、自然とも、どおっとつながっている世界です。


 だからこそ、わたしたちは誰でも、どんな状態に置かれても、元気を出して、しあわせにいきることができうりょうにできているのだと思います。そして、家族を大事にし、この町を、心の通いあう住みよい故郷にするために、みんなで努力することができるのだと思います。


 もう24,5年前、何処で知られたのか、熊本のお坊さんが、わたしの住んでいた長屋を訪ねてくださいました。そのときに、美しい墨筆で、短いことばを書きするしてくださいました。


   死ぬときに 生まれてきてよかったと
   思えるような 生き方を


 「人としての」確かな「しあわせ」に、毎朝、毎日、出会いながら、それぞれの持ち味が発揮されることができればいいな、とあらためて思います。


 一昨年、黒柳徹子さんのお話を聞きました。彼女はわたしよりもいくらかご年配ですが、「これまでアッという間に過ぎてしまった」といって、みんなっを笑わせておられました。わたしもいま52歳ですが、アッという間にすぎました。しかし同時にまた、「本当は人生は始まったばかりだ」ということも事実です。


 いくつになっても、新しい人生が始まるのだと考えるのが本当のようです。毎日が「新しい人生」ですから! ともに新しい朝を迎えたいと思います。
 長時間にわたって、とりとめのない話を聞いていただき、ありがとうございました。