「部落問題との出合いー神戸からの個人的報告」(第5回)(1995年、野洲キリスト教会)


宮崎潤二さんの作品「昔ながらの路上散髪屋さん・北京故宮外濠のほとりにて」



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           部落問題との出合い(第5回)


             神戸からの個人的報告

            
           1995年 野洲キリスト教


    (前回の続き)

 正直に申し上げて、部落問題がこんなに早く、解決の方向に進むとは予想できませんでした。うれしい誤算です。ところで、同和問題が解決されるということはどういうことかと言うことに、ここで触れておきます。一応、次の4点ほどがいま、あげられています。


 1 格差の是正(周辺との生活環境・生活実態)
 2 偏見が地域社会で受け入れられなくなる
 3 閉鎖的だった地域の歴史的後進性を克服(生活態度)
 4 自由な交流・融合の実現


 こうした課題を担って現在、地域のなかでは、かつての「同和地域」という枠のなかでの取り組みではないものが次々と始められてきています。


 例えば、私たちの町は長田区の下町にありますが、全体的に高齢化がすすんでいます。それで、市街地に特別養護老人ホームを建設する運動を10数年前からはじめて、2年前にようやく実現しました。此の度の地震で、大きな働きができました。


 これなどは私たちの同和地域のなかから始めた運動でしたが、高齢者は決して同和地域だけに存在していることではありませんから、当然多くの方々の賛同を頂いて運動を展開しました。この取り組みの成功で、神戸市ではじめて市街地にホームができましたので、その後は各区に次々と建設されていき、賀川記念館のところにも近く完成いたします。


 また、教育の関連でも、初めの頃は学校の先生方がわざわざ地域にでかけて、子供の勉強を見ていました。しかし、長欠・不就学が存在していた時であればまだしも、特定の地域だけ特別にすることは問題であるという意見も早くから出始めて、地域における教育の取り組みは自分たちで自主的に、そして同和地域だけではなくて「教育文化協同組合」をつくって、自前でお金を出して、会館も自前で作って運営しようということで、もう8年前になるでしょうか、そうした試みも始まっています。


 今日の課題は、長く継続した「同和対策」から自立することが最大の課題でもあるのです。実際30年近く特別対策が行なわれ、地域の実態は大きく変化し、住民の暮しも意識も多きく変化しているのも関わらず、これまでの同和対策の見直しもしないでだらだらと継続しますと、部落問題の解決どころか、逆に問題を複雑に潜在化させて、逆差別を生むばかりになってきます。


 しかし神戸ではもう随分前から、行政としても、また住民の運動のなかからも、いろんな試みが始められてきたのです。先程の「教育文化協同組合」もその一つですが、神戸では、これも8年前に「神戸ワーカーズコープ」をつくって活動を進めています。これは、ホームヘルパーとか老人給食サービスとか、公園の管理、文化財の発掘、ビル管理などですが、給食は昨年はじめて、神戸においてはじめて毎日型のサービスです。いずれも、震災の後も、それなりの活動ができました。


 震災後は復興に向けて、「建設労働者協同組合」をつくり頑張っています。そしていま「高齢者の生活協同組合」づくりに向けて準備を進め、研究所の付属機関として「NPO神戸まちづくり」というまちづくり支援組織を結成して、昨日もその設立総会をしたばかりです。


 ですから神戸では、これまで同和問題の解決のために、地域を中心にして取り組んできましたものを、ある時点から同和という枠ではない、単なる同和対策ではない、市民の「協同」の取り組みとして、新たな仕事づくりとしていろいろな分野に挑戦しているわけです。


 もちろん、同和問題が完全に解決できているわけではありません。残されている問題はあります。それらはしかし、これまでのような同和対策で解決できる問題ではありませんから、「福祉」「教育」「まちづくり」の課題は、広く多くの人々との協同の取り組みとして発展させていかなければならない課題としてとらえて、小さな冒険が試みられているのです。


 もちろん、そんなにすべてがうまく行くものではありません。相対的に見れば、神戸は大きな間違いが少なくてきたように思っていますが、全国的には多くの問題が残されています。例えば、解放運動団体が独善的な運動を繰広げて、差別糾弾闘争のような形態を取ったところとか、それに迎合して間違った運動のいいなりになってしまった町の行政や教育委員会などが、生徒や町民に間違った部落問題の情報や認識をうえつけて、新しいタブーを生んでしまったところが多いのです。


 そして、同和地域の住民の中にも、何でも行政に依存して自立できない、いつも部落以外のひとは差別するものときめつけているひとなどをつくってきたところもあります。 また、マスコミもいつも運動団体の機嫌を気にしてしか記事を書かない。宗教の世界などは特に、企業も含めて、運動団体の言いなりになって、解放運動のしり馬に乗って、それで安全であるかのようなポーズを続ける、というような事態も、決して克服されていません。こうした問題が本当に克服されることがなければ、この問題は本当には解決しないわけです。


 此の度の地震では、マスコミの人々は、同和地域が特別の被害があったかのような予断と偏見にみちた取材がありました。ピースボートのような国際的な支援組織でも、地震のときは、全く間違った部落問題理解で動いて顰蹙を買いました。キリスト教会の論調もそうでした。


 実際は今回の地震では、同和対策がこれまで取り組まれてきたために、ほかの地域にくらべて比較的被害は少なくて済んだわけです。もちろんしかし今回の地震は、かつての部落も含めて、ひろく下町の低所得階層に甚大な被害が出てしまいました。そして時が経過するにしたがって、生活の建て直しがますます困難になっている実態が顕著になっています。


 このことは、部落問題による問題というのではなく、広く今日の高齢者の問題、身体障害者の問題、低所得階層の問題として、露見されている課題です。ですから神戸では今回の地震からの復興を考えるときに、住民の側からは「震災復興を同和対策でせよ」などという要求は出てきませんでした。むしろ、神戸市の復興計画のなかで進めるべきであるという意見で一致したのです。もしも間違った運動団体や部落差別の問題だけしか頭にない住民やリーダーのもとにあれば、そうはならないのではないかと思われます。

  
  (つづく)