「宗教と部落問題ーキリスト者として」(下)(1994年、名古屋・人権問題研究所)


宮崎潤二さんの1978年4月の作品です。


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       宗教と部落問題ーキリスト者として(下)


   (前回の続き)

            2 部落解放運動との出合い


 ところで、初めに申し上げたような経緯があって、1968年3月から現在の長田区の番町地域に移り住んで、新しい生活を始めることになります。それまで生活をしていた賀川記念館のある地域も、当時まだ南京虫が出たりして問題が山積みされていましたが、番町地域も、当時はまだ厳しい生活環境が残されたままでした。


 地域では当時一般的な暮しですが、「中根アパート」という長屋で六畳一間、共同便所で家賃六千円というものでした。家族四人暮しというのも一般的でした。そして、仕事も当時未だ地域では土方や港湾労働、下町の町工場などで働く人が多かったわけですが、私もゴム工場を選んで、職業安定所の紹介を受けて、「ロール場」の雑役の仕事に就くことができて、家内も別のゴム工場で働いて生活を始めました。二才と三才のふたりの子どもは近所の保育園に入れて・・。


 神戸の解放運動は、それまで多くの苦労があったようですが、当時はいわゆる「同和対策審議会答申」が出たあとで、「措置法」の早期制定運動が繰広げられていました。どこでも取り組まれた運動ですが、仕事保障の取り組みとして自動車の運転免許を取得する運動や借金から逃れて生活を建て直す運動、そして住宅建設をはじめとした住環境整備の活動などが、ようやく住民運動として組織的な形が出来つつあるときでした。


 そこに全く自然に、住民のひとりとして加わり、自治会づくりなどにも参加していきました。今から振り返りますと、あの最初の10年近くの期間、昼の間はゴム工場で汗を流し、クタクタになるまで残業し、時には日給をフイにして幾度も神戸市への交渉にでかけたあの当時が、或る意味で最も輝いていたときのように思われます。毎日のように「出来事」があって、「仕事場」においてもそうですが、地域のなかでも問題が山積みされて、それらをどのようにして解決していくのかを、真剣になって考えあったときでした。


 当時は本当に全く自発的にこの問題に関わり、それだけ運動自体も多くの幅広い人々に共感を得ながら進められていました。(学生時代、亀井監督のあのドキュメンタリー映画「人間みな兄弟」が出来たときで、学生寮であれを見て大いに刺激を受け、フィールドワークで西成にでかけたりも致しました。その頃の取り組みは、みな全く自発的な、本当に新鮮なものでした。)


 神戸の解放運動は、私たちにとっては本当に幸いなことに、最初から全く違和感なしに何の垣根もなしにその一員に加わり、問題解決のためにともに汗を流すことができる運動でした。


 ただ、当時はすでに各地で分裂のきざしがでて、1969年には大阪の「矢田事件」、70年には映画「橋のない川」二部の上映妨害などがありました。学校教育の現場では、いわゆる「解放教育」の拠点として全国にその名をとどろかせた流れが出てきましたが、神戸における住民運動では、そういう流れとは違った着実な取り組みが積み重ねられていきました。


 神戸の部落解放運動の歩みと現状などについてここで立ち入ることはできませんが、当時は部落解放運動の分野だけでなく、全国の大学も大きく揺れ動いた時期でした。そして宗教の世界も大混乱を招いておりました。キリスト教界の詳しい経過もいま申し上げられませんが、1974年あたりから教団も、部落解放同盟の糾弾を受け入れ「連帯」行動を強めていきます。


 私は専ら地域のなかで、日々の取り組みに参加することに力点をおいていましたから、そうした「教会政治」には関わらず時折、教区総会や関連の集まりなどで、意見を申し上げる程度でした。


 そんな中で折々、キリスト教関係の雑誌『福音と世界』や『世界政経』といった一般の雑誌、そして部落問題関係の雑誌や研究紀要に寄稿してきました。(それらの主なものは『部落解放の基調―宗教と部落問題』としてまとめています。九州福岡の「創言社」というところで10年近く前に出しました。全く研究ノートのようなものですが、キリスト教界のこの問題の取り組みの歴史的な経過なども、ここに概略触れています。)


 その後、キリスト教界で異常な形で取り上げられた問題のひとつに「賀川問題」があります。この問題については、教団関係の人々のなかでもあまり正確なことは知られていませんが、これは二つの問題があります。


 一つは『賀川全集問題』といわれるもので、彼の初期の著作『貧民心理の研究』を全集に収める段階から、出版元である「キリスト新聞社」と論じあわれてきた問題で、1960年頃からの問題です。


 もう一つは日本キリスト教団の「教団問題」として取り上げられました。賀川は日本のキリスト教界の指導者としても大きな力を発揮してきましたから、賀川の「差別性」を明らかにして教団の「差別体質」を克服したいという意図がありました。


 前者の「全集問題」が再熱するのは1980年代に入ってからです。特に第三版で版元が自主的に問題箇所とされる部分を「削除」したことが契機となって、改めてそれが「差別文書」と「確認」され、全集の増刷がストップされ、広告も自粛するなどの措置が取られ、全集の「補巻」として差別確認の経過をまとめた『資料集』を刊行するという「約束」にいたる経過をたどります。


 後者の教団の「賀川問題」は、1984年の教団総会で取り上げられ、86年に常議員会で「討議資料」を作成、各教会にまで降ろされるという事態となり、しかもその内容は杜撰なものでした。私は第一次「討議資料」が出されたあと、教団議長への「質問と希望・意見」を提出しましたが、教団のなかはごく一部の人々を除いて、決してそれに同調するのではなく、ただ黙って成り行きを見守るという空気が支配していました。


 丁度その頃(1988年)が、賀川生誕100周年記念ということで、国際的な記念行事もすすみ、『死線を越えて』という映画(国広富之が賀川、黒木瞳が夫人)もできて、神戸でも コープこうべを初め関係学校・イエス団関係団体などが実行委員会を組織して、大々的なイベントがめじろおしでした。


 実際、一般的な常識は、キリスト教界にみられる賀川批判については、余りに的の外れた非常識な批判として受け止められていました。ただそれを公然と言い表わすことをしなかっただけでした。


 この問題に対する私の見方は、一人の人を理解するのにはトータルな理解が必要であり、或る時期の著作に差別的な記述があるからといって、それだけで「差別者」のレッテルをはって断罪する方法ではダメである、人の(自分の)「思想と実践」を吟味するには、その人の実践は実践として、また思想は思想として独自なレベルのこととして検討されなければならないと同時に「歴史的」な場を踏まえて検討されなければ、折角の指摘も、単なる「非難」としてしか響かず、逆に新しいタブーを増幅させるだけになる、というものでした。


 そんなわけで、この問題を積極的に解いていくために、小さな本『賀川豊彦と現代』を出版して「対話」を求めたわけです。意外なことにこれは多くの人々の目に触れて読まれてきました。現在では、キリスト教界で「賀川問題」などどこかへいってしまった感じもいたします。もともと、あのような取り上げ方自体が「非問題」でした。


 現在の、教団・教区などで進められている「教会の解放運動」―現在は「狭山裁判」に連帯する取り組み―などについては、いまあらためて検討してみる必要があるように考えています。教団に「部落解放センター」もできて一〇数年なり、各種のキャンペーンが行なわれていますが、それについての批判的な検討が十分にできていません。


 初めに触れました、三重県西本願寺の住職さんの「差別発言」問題なども、今日の差別問題に対する取り組み方の吟味・批判が、適切に行なわれなければならないことを痛感させられます。住職さんの発言は問題ですが、それの解決方法を間違えば、新しい差別を増幅させる結果になるだけだということはハッキリしています。


 今回の問題は、ここの名古屋別院で「確認会」があったりしていますし、適切な対応が待たれているのではないでしょうか。部落問題をめぐる宗教界のかかえている問題は、今日軽視できません。解放同盟の糾弾のあとにつくられた「同和問題にとりくむ宗教教団連帯会議」の活動や個別の教団がかかえている問題状況も、深刻な問題を含んでいるように思います。


 これまで、宗教者平和協議会などで、折々これを取り上げて議論をしてきましたが、十分に展開が出来ていません。私の場合、個人的には毎日の仕事と同時に、今地域でまちづくりの取り組み、ワーカーズコープの取り組みなどに参加して、それの実を上げることのほうが積極的な意味があるように考えたりするものですから、いつも教団・教区のことは後回しになります。


 しかし、現在の宗教界の大きな問題は、部落問題に関する基本的な認識や現状に対する正確な情報が殆ど入っていない点にあると見ています。一方的な間違った情報のもとに、それでもって教団内部の「研修」がただ熱心に行なわれているという、大きな問題を抱えています。 



          3 部落問題研究との出合い

 その点で三番目に、私自身にとって有難いのは、1974年以後、部落問題研究の裏方を引き受けてきまして、そこで多くを学ぶことができたことです。宗教の世界も、本当に公明正大に、部落問題そのものに対する研究的な関わりが進めば、事態はこのようなことにはならないはずです。しかし、不幸なことに教団は、大変歪んだ非科学的な認識や運動の情報だけを手にして、問題を起こした教団はその「対応」で多くの労力を費やしているのが現状です。とりわけ、伝統的な仏教教団は、泥沼のなかから抜け出ることができないでいるように見受けられます。 

 宗教者が部落問題と関わりを持とうとする場合、当然のことながら、部落問題そのものに関する学習を欠かせません。不用意に、既存のできあいの理論をうのみにして、特定の運動団体と「連帯」して過熱しておればいいというわけにはいきません。


 私は部落解放運動に関わっていて痛感させられたことは、特に運動が深刻な対立を生んで混乱しているときは特にそうですが、運動とは独立した研究機関が切実に求められました。すでに当時は研究機関も分裂していましたが、京都には全国的な伝統をもった研究機関が健在でした。研究所づくりのために相談を持ち掛けたりして、神戸の研究所づくりを運動のなかから提起して働きかけていきました。


 神戸には当時、杉之原寿一先生などの研究者が神戸大学におられて、1974年に自主的な民間の研究機関として「神戸部落問題研究所」が設立されたわけです。のちに「兵庫部落問題研究所」として社団法人を得て現在まで活動を継続してきました。


 いまも申しましたように、だれでも部落問題に関わろうとするときには、部落問題に関する基礎的な理解を歴史・現状・教育・行政すべての分野にわたって理解を深めることを抜きには不可能です。宗教者は、どこか世間知らずなところがありますが、すぐに「反省・懺悔」して、基本的な問題を学ぶ苦労をはぶく場合が多いのです。


 宗教教団の中で特に、部落問題に熱心な人々の多くは、その基本が間違っているために、時代錯誤の取り組みに平気でいることができているように思います。
例えば、キリスト教団の中の教団立の神学校で「部落民宣言」が行なわれたりして、その学生の卒業後の任地保障がマジメに取り組まれたりいたします。また、皆さんも御存じの四国学院の優先入学制度の問題も同様です。こうした問題は、既にとっくに私達は乗り越えてきた問題です。そのことがハッキリしませんと、それぞれの抱えている宗教教団自体の問題性や歴史的な検討作業も、本当には生産的なものにはなりません。


                おわりに

 最後に、部落問題の解決との関連で、「宗教と部落問題」を考える上で、特に「宗教の果たす積極的な意味」について短く触れて、長くなったお話を終りたいと思います。


 これまで、部落問題との関係で「宗教」が問題になりますときは、殆どの場合「宗教の差別性」、その否定的な側面が指摘され、特に伝統的な宗教教団は、ただただ「反省・懺悔」に力点が注がれてきました。そのことはもちろん重要なことで、歴史的にも、また現在のあり方の問題としても、厳しい反省と自己批判が求められることは言うまでもありません。


 しかし、終りにひとつだけ、宗教が最も大事にしている、また最も大事にすべきと思われること指摘させて頂きたいと思います。それは何かと申しますと、あえて固い言葉で申しますと「存在の事実」への目覚め・発見の喜び、ということです。


 最近「人権」とは何か、「人権問題とは何か」についての吟味が加えられるようになりました。皆さんの研究所は「人権問題研究所」ですから、この問題は色んな学問分野を総動員して深めておられるわけですが、「宗教」の踏まえる「人権」とは、この「存在の事実」に確かな基礎を置いています。宗教は、この「存在の事実」への「驚き」、その「不思議さ」が息づいたひとつの形だと思います。


 いま「存在の事実」などと固い言葉で申しましたが、「ありのままの私」がそのままで「事実存在」している、人間を含む「もの」として「事実存在」している、その「不思議さ」「有難さ」に、深い感動と喜びを「経験」させられ「自覚」されている、それが「宗教」の踏まえる足場であり、そこが生きるバネになるのだということです。


 そこは「絶対無条件」にいわれる場所ですから、男であるか女であるか、日本人であるか外国人であるか、頭脳明晰かそうでないか、そんなこととは全く関係しない「事実存在」の基礎 (これを「原事実」といいます)に、気付かせられるわけです。


 部落問題も、そこを踏まえて論じられなければならないのではないか。「国民融合」ということも、そこが基礎であって、はじめに「部落」と「部落外」とがあってそれが「融合」するというのではなく、はじめに「事実存在」の基礎ーー「平等・自由」ーーがあって「国民融合」が実現していく。「平等」は「はじめ」から「事実存在」しているわけですから、私達はこの「存在の事実」を創り出すのではなく、この事実を発揮する! そこに部落解放運動=人間解放の運動が、普遍的な意味合いをもって、共同の闘いとして発展していくのであろうと思います。


 そんなことを意欲する、新しい意欲をいま、この新しい時代を迎えて思わせられるのです。10月末までに「人間の尊厳とその享有について」という短いものを、私達の研究所の機関誌『月刊部落問題』にまとめることになっていますが、いまそれをあれこれ考えているところです。    


 部落問題に関して、ひとりひとりとらえかたや問題の解き方は異なります。まして「宗教」については、例えば「キリスト者」といっても、ひとりひとりちがいます。それが面白いところです。おたがいに思うところを出しあって、相互批判をおこなって学びあうことが楽しいわけです。


 今晩は何か取り留めのないお話をいたしました。皆さんのご関心とは掛け離れた話になったかもしれませんが、これでひとまず終りに致します。長時間ありがとうございました。