「神戸の部落解放運動ー同和問題は何処まで解決したか」(第3回)(1993年、神戸市立平野中学校)


神戸市内の中学の先生方に向けて語ったレポートですが、これは1993年で20年近くも過去のものです。


神戸の解放運動の全国への発信は、もっと早い段階から幾度も書物などで公表されてきていますが、より最新のものでは、2008年5月に「NPOまちづくり神戸・神戸人権交流協議会」が『神戸からの発信ー安全・安心・安楽な地域の創造をめざす自立型まちづくり運動』という34頁のパンフが纏められています。





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           神戸の部落解放運動(第3回)


           同和問題は何処まで解決したか


           1993年 神戸市立平野中学校


     (前回のつづき)


         2 同和問題はどこまで解決したか


 さて、それでは神戸における同和問題はどこまで解決をしたのでしょうか。
 私は1966(昭和41)年に生田川地域で神戸での最初の生活を始めましたが、当時はまだ都市スラムの実態が生々しく残されていました。神戸名物として有名だった南京虫が出て夢でうなされたものです。
 

 2年後、1968年に現在の地域で暮し始めましたが、余りの環境の厳しさに驚きました。共同便所や共同水道が残されていて、私たちも長屋の6畳1間での家族4人の暮しをやっていました。
 

 しかし、あれから4半世紀! あっというまでしたが、今日では快適な公営住宅で暮しています。子どもたちも3才と4才でしたが、今では大学を卒業して結婚したりしており、予想をはるかに越えて、急激に改善が進んできたという実感を持っております。


 問題がどこまで解決をしたのかという問は、これまであまり問われることもありませんでした。問題が山積していましたから、それを一つ一つ解決するということで夢中だったとも言えます。しかし徐々に取り組みが進んで、こういう問が出されるようになっていきました。


 神戸の場合は、初めから「計画」を立てて取り組まれてきましたから、その計画に照らしてどこまで進捗したのか、それははっきりつかめるのです。他の多くの自治体では計画もなしに行当りばったりの同和行政が行なわれたところは、いまだに次々と「同和対策」が要求されているようなこともあります。


 それでも全国的に見ても、最近実態調査が集約されて明らかになっていますが、どこも物的事業は殆ど終結されてきています。滋賀県和歌山県、愛知県、そして神戸でも一部に終結宣言や完了祭が行なわれたところもあります。


 ところで「問題が解決されるということはどういうことか」いろいろ議論がありますが、当初部落問題を「実態的差別」と「心理的な差別」と二つにわけて、これを全体的に解決していくという指摘がありました。「実態的差別」というのは、言うまでもなく住宅環境をはじめ仕事、教育、健康、福祉、あらゆる生活面を改善する課題でした。そして「心理的差別」の方は、市民の差別的偏見の克服・解消といった課題で、そのための学校教育、社会教育、市民啓発といった取り組みでした。


 神戸の場合、これらの成果を科学的につかむために、実態調査が節目ごとに行なわれてきました。「1971年の調査」は解決のための「長期計画」を立てるための基礎調査でしたが、10年後の「1981年調査」は、10年間の成果を計り、それをもとに「見直し」作業を進めるためのものでした。さらに「1991年調査」は、おそらくこれが同和対策ということで神戸市が行なう最終のものであろうといわれていますが、早期に同和対策を終結させて一般対策に移行させていくための調査として実施されました。


 また、市民の意識調査も、これまで1976年とその10年後の1986年に実施されて、1991年9月に行なわれ、それぞれ報告書も出されています。


 これらの調査結果については、詳しくはここでお話できませんけれども、さきに上げました差別の実態―つまり「実態的差別」と「心理的差別」がどれぐらい解決に向かっているのか、ごくかいつまんで見ておきたいと思います。


 先ず、「実態的差別」についてですが、同和問題の解決のうえで、地域の生活環境や仕事、教育などの状態が周辺地域との間に見られた格差がどれだけ縮まったのかが、大きな指標になってきます。


 この点については、殆ど説明は要らないほどに、これまで23年間に、同和対策として全国で10兆円ほども投入されて事業が行なわれてきましたから、これほどに急激な変化をみるとは、我々自身も予想をしなかったほどに、急激に改善が進んできました。


 あとで、今後の課題に関連して問題点などに触れてみますが、ここでは積極的な「成果」として最も基本的な「住宅」「仕事」「教育」について見ておきます。


 第一に「住宅」ですが、特に市街地では老朽化した長屋やバラックに近いものが珍しくありませんでしたし、資料1の表にあるように、1971年段階では、世帯員一人当たりの畳み数は3畳未満という超過密の状態が多く、水道や便所という基本的な設備も整わ ず、不衛生な共同便所や共同水道が残されたままでした。それが、20年後の「1991年調査」では、10畳から15畳までの比率が急速に上昇していることが分かります。


 平均畳み数でも、同和地域で9・19%です。ここには紹介していませんが、一般地域は1985年の国勢調査では8・2%ですから、地域の居住水準は大きく改善されてきたことを示しています。こうした従環境の整備によって、住民自身の評価も、資料2の表のように「大いに満足している」「大体満足している」「普通」を合せると83%になります。


 第二に「仕事」ですが、かつては部落差別によって就労の機会が奪われ、ゴム、運輸、建設(日雇い)など、不安定な単純労働、に集中させられ、低賃金を強いられてきましたが、色々な就職差別反対の取り組みなどを通して改善が進み、現在では特に若い年令層では雇用に安定化が進み、神戸市の職業別構成と比較しましても殆ど差はなくなってきています。かつての職業構成の歪も徐々に是正されてきました。ですから、所得格差も少なくなってきています。


 第三に「教育」ですが、これは私が申し上げるまでもなく、かつては長欠・不就学が多く大きな問題でしたが、これも資料4と5の表のように、全国と神戸市を並べておきましたが、高校進学率を見るだけでも大きく改善されてきていることが分かります。


 現在では、神戸市でも私の住んでいる地域を除いて殆ど格差は見られなくなっており、地域によっては一般地域を上回る場合も少なくありません。こうした、地域の実態的な格差が解消されていくにしたがって、人々の差別的な意識や偏見も変化をしていきます。学校教育や社会教育の効果でもありますが、かつては「差別」が当前のような状態から、一般に人権意識も深まって、これもこの間急速に解決も見ていることが分かります。


 これも、例えば、典型的なものを見ておきますと、「結婚」の問題では、以前ですと「結婚」は大問題でした。私は26年程前に、関わり始めましたが、自分の子供がふたり娘がいましたから、おそらくこの子どもが大きくなるときも差別が残っているだろうと、当時思っていました。当時はそうした問題がよく起こっていました。


 しかしこれも、これまで見てきましたように、実態が大きく改善されてきますと、人間の意識も変化をしてきます。もちろん、あの差別の厳しいなかでも、そういう問題を正しく理解して、壁を乗り越えて幸せをつかんであった人々は多くあったのですけれども。


 このまえの神戸市民の意識調査でも、結婚に対する市民の意識をとらえていますが、資料6のグラフのように、「結婚にさいして家族や回りの人々が反対することにたいして」、「どちらかといえば当人同志の合意」「当人同志の合意」をあわせましと81・9%です。


 もちろんまだ「家族の意見」が優先される考え方がいくらか残されていますが、現在では、結婚に反対されたとしてもいわゆる「部落差別」で結婚が成立しないという事例は殆どなくなっています。反対はありましても、当人同志が、また回りのものが支えて実らせる場合が大多数で、全く問題にならない場合もまれではありません。


 「地区外との通婚」も全国と各地の表をみても明らかです。資料7では、「部落内婚」と「部落内外の通婚」の逆転している様子がはっきりと出ているグラフです。また、資料8は、神戸市を含む他府県の通婚率を表わしたものです。香川県の29才以下では84%ほどが内外の婚姻になっています。そしてこれは、単に結婚関係だけではなく、日常の付き合いでも、同和地区の人だからといって付き合いを止める人は殆どありません。