「神戸の部落解放運動ー同和問題は何処まで解決したか」(第1回)(1993年、神戸市立平野中学校)



今回から数回に分けてUPするものも古いドキュメントです。1993年10月15日のお話ですから、もう20年近くも前の記録です。


神戸市立の平野中学の先生方も求めに応えて語ったもので、その2年後にあの阪神大震災が起こっています。



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             神戸の部落解放運動(第1回)


             同和問題は何処まで解決したか」


       (神戸市立平野中学校・1993年10月15日)


     はじめに


 ご紹介をいただきました鳥飼と申します。実は、神戸に長く暮していながら、平野中学校に参りましたのは初めてではないかと思います。門脇先生とも、先ほど初めてお会いいたしました。先生の御父様は、皆様もよく御存じの落合重信先生です。神戸史学会の代表をされ、部落史研究でも開拓的なお仕事をされてきました。随分長く、親しいお付き合いをさせていただいてまいりました。校長先生初め、すべての先生方とは初めてのお出会いでございますが、どうぞよろしくお願いいたします。


 今回こういう貴重な機会を与えられましたが、私はこの4半世紀ばかりの間、神戸の下町で生活を続けてきたというだけですので、先生方に何かお役に立つようなお話が出来るかどうか、誠におぼつかないことですが、ご一緒に今回のテーマに即して暫く考えて見たいと思います。


 テーマは「神戸の部落解放運動―同和問題は何処まで解決したか」となっています。
先日ご依頼の文書をいただき、このテーマを初めて知ったのですが、さすが先生、いいテーマをつけて下さったと思いました。こういうお話は、私も一度お聞きしてみたいなと思いました。しかし、私がこのお話をするということになりますと、大丈夫かな、と少々不安になりました。けれども、こうした機会に、先生方のほうから課題を与えて下さいましたので、逃げ隠れしないで、まともに精一杯お話をさせていただこうと思っています。


 当然のことですが、これからお話しますことは、私自身の全く個人的な経験に基づく思いを述べさせていただきますので、後で「質疑」の時間が少しはもたれるようですから、うんと自由な目で、批判的にお聞きいただければ、大変気が楽でございます。


 それで、今回のお話は、レジュメのように大体3点にわけて考えてみたいと思います。このテーマには色んな接近の仕方があるでしょうが、先ず第一に、「神戸の部落解放運動の特長なり経過」といったことを、概略触れておきたいと思います。神戸は、全国的も実に稀な、それも良い意味で先進的な歴史を刻んできています。そのことを初めに考えておきたいと思います。


 そして第二には、そうした取り組みを通して、「神戸の同和問題はどこまで解決したのか」という課題を考えて見ます。神戸も広くて、歴史的に30近い同和地区が存在してきましたが、市街地の同和地区と農村部のそれとの違いだけでなく、それぞれの地域の独自性があって、一概には言えませんが、概略現在の到達段階を押えておきたいと思います。


 そして最後第三に、そうした到達点を踏まえて、「神戸の解放運動の今後の課題」といったことを見通して、結びにしたいと思います。うまく行きますかどうか、学生になったつもりで、先生方の前で、レポートをさせていただきます。


 先日は、ある女子大学で「同和教育」の集中講義を終えて、学生にレポートを書いてもらったばかりですが、今度は私が先生方にレポートを求められているような感じです。


   (短いですが、今回はここまで)