「宗教者と部落問題ー在家牧師の神戸からの報告」(第7回)(同朋教学研修会、2000年8月)

今回の箇所に出てくるお二人、「鈴木大拙」と「金子みすず」を、はじめにあげさせていただきます。


鈴木大拙は、『鈴木大拙没後四十年記念展』(2006年)のために作られた記念誌の表紙(ここに収めるのは裏表紙)です。



金子みすずは、ずいぶん前に、みすずの故郷の方面に旅をした折りに、温泉旅館で売られていた珍しいバイリンガルの絵本『睫毛の虹』(1995年)の表紙です。





             *        *





           宗教者と部落問題(第7回)


           在家牧師の神戸からの報告


           2000年8月・同朋教学研修会


     (前回につづく)


  「新しい思惟」と「新しい行為」

ここに「新しい思惟」と「新しい行為」と書きました。私たちが自分の「考え方」や「思想を新にする」ということはたやすいことではありません。しかしこれほどやさしいこともない、とも言えます。
 

また「新しい思惟」と「新しい行為」、つまり「認識」と「実践」の関係をどうとらえることができるのかといった重要な問題が、ここで出てきます。 しかいこうしたことにいま立ち入りますと、随分理屈っぽいことになりますので、「それはともかくとして」ということで今回は、次のところに進みます。



       b 「閉じられた宗教の世界」に安住しない


              「開かれた関係性」
    

ところで、今回のお話しの副題に「一在家牧師の神戸からの報告」といたしました。ここに《「閉じられた宗教の世界」に安住しない》という見出しを立てて見ました。ここのところを少し考えて見たいと思います。

 
私たちは、普通の教会の牧師の生活から離れて、「出家の出家」としての「在俗」の「在家牧師」として生活をはじめて、これまで歩んで参りました。


普通の教会の牧師としての生活では経験しなかったことをさせていただいてきました。「在家牧師」というのは、其の基礎は、キリスト教理解の上で「在家キリスト教」とでもいえる「ひとつの発見」があります。


昨日来のお風呂や深夜にわたる夜の学習会でも親しくお話をさせていただきましたように、「在家」といい、「在家キリスト教」といい、「在家牧師」というのも、私の先輩の延原時行という大変独創的な「在家キリスト教」を提唱する牧師があるのです。


しかも、延原さんも私と同じように、九州大学滝沢克己先生との神学的な出会いがあって、延原さんとは学生時代から今日まで、私の導師のひとりとして、学びを継続してきているのです。私にとっては、ですから、学生の時から途切れることなく、滝沢先生との延原先生というのは、大切な先達で、滝沢先生は1984年6月に急逝されましたが、いまも生前の時よりも間近に私のなかに生きています。


「在家」ということにしても「在家キリスト教」という言葉遣いも、これは延原さんの独自の主張を、私が深く共感しながらいま用いているということですが、いわんとしていることは、仏教徒の皆さんには直ぐに通じ合えることであるように思います。


それは、誰でも無条件にひとは在家のままで福音に、弥陀の本願にあずかっている、万人の事として祝福を受けて生かされて、今ある。つまり、教会(寺院)に所属するしないにかかわらず、この幸いな原福音のいぶきに包まれて生かされている! 福音の届かない場はどこにもない!


罪悪の支配してるただ中にも、むしろそこにこそ、福音の力は働いている。教会はそのことを「認識し承認し告白する」場所ですね。そうした「幸いな場所」の上で、私たちは存在させられ、今生きていることを「発見」し、その「発見の喜び」に歩ませていただく、これ以外にございません。自分の思いを先立てずに、万事「みこころのままに」!

 
               「一人性」


これが「宗教の基礎」から成立してくる「一人性」の極面ですね。このリアリティーに関しては、我々お互いに宗教者でありますから、多くの言葉は不要かもしれません。しかし、この肝心要のことに盲目で、この「幸いな場所」の上で生かされているにもかかわらず、本当に「日々好日」に、新しい朝を迎えることができているのかどうか。また、この「幸いな場所」を確かな足場として、「伸びやかにかろやかに」歩むことができているかどうか、まことにおぼつかないことばかりです。
 

しかし、私がいくらおぼつかなくても、この「わたし」の成り立ちの基礎には、「仏凡一体」(キリスト教では「神人一体」)という不可思議な関係があって、単に「わたし」がポツンと存在しているのではない、さいわいな「仏凡一体」(不可分・不可同・不可逆)が息づいて居る!


1960年少し過ぎたころ、学生時代ですが、鈴木大拙先生のお話しを一度だけ聴いたことがあります。京都の岡崎にある京都会館大ホールで、親鸞聖人大遠忌の記念の集いでした。
 

なぜ、そういう場所に出向いたのか記憶にありませんが、そこでの大拙先生の短いお話しは、中身は全く覚えて居ませんが、その飄々とした話ぶりと、風のように去って行かれたあの雰囲気・独特の空気は、いまでも鮮やかに記憶の残っています。以来なぜか、大拙フアンになっています。

 
大拙先生は、禅仏教がご専門なのでしょうが、見事な「真宗入門」などを書かれたり、あの「妙好人」の「浅原才市」などへの深い理解や、我々キリスト教との「対話」においては特別の位置を占めている方ですね。「東洋的な見方」をひっさげてひとり「西洋」との橋渡しをした、実に先駆的な役割を担ってこられた先達です。大拙先生は、生涯を貫いて「宗教の基礎」、「霊性スピリチュアリティーを世界に証ししていかれた、希有な先達のひとりであり続けていますね。没後すでに40年近くなりますけれども。

 
霊性」という点では、近年「蘇った天才童謡詩人」としてよく読まれている「金子みすず」が大変人気ですが、彼女の有名な作品のひとつを引いてみます。明治36年に山口で生まれて、13歳の頃からうたをつくり、昭和5年に幼い娘を残して26歳でなくなりましたね。
「星とたんぽぽ」という作品です。


          青いお空の底ふかく、
          海の小石のそのように、
          夜がくるまで沈んでる、
          昼のお星は眼にめぬ。
          見えぬけれどもあるんだよ、
          見えぬものでもあるんだよ。


          散ってすがれたたんぽぽの、
          かわらのすきにだアまって、
          春のくるまでかくれてる、
          つよいその根は眼にみえぬ。
          見えぬけれどもあるんだよ、
          見えぬものでもあるんだよ。


おまけにもう一つ「私と小鳥と鈴と」を取り出してみます。


          私が両手をひろげても、
          お空はちっとも飛べないが、
          飛べる小鳥は私のように、
          じべたをはやくは走れない。


          私がからだをゆすっても、
          きれいな音は出ないけど、
          あの鳴る鈴は私のように、
          たくさんな唄は知らないよ。
          鈴と、小鳥と、それから私、
          みんなちがって、みんないい。

 
彼女の作品は幅広いフアンがありますが、宇宙物理学の方(佐伯晴夫)が「みすずコスモス」といって、彼女のコスモロジーに注目しておられて面白かったのですが・・

 
こうした「見えないけれどもある、確かな基礎」その関係のもとで、「わたし」も生まれ、その関係に包まれて死んでいく。この「確かな基礎」から成立するユニークな独自な「三つの極面」があることを知りました。


これも明晰なかたちで説明を加えたのは、延原時行さんでした。私にとって、この見極めは、本当にありがたいことでした。物事には全てにわたって「多面的」とか「重層的」とか複雑な関係があります。其の構造性を分かりやすく明かするのが「学問」の仕事のようにおもいますね。


   (つづく)