震災経験をとおして賀川豊彦から学ぶもの(神戸市立赤塚山高校教師研修会草稿、1995年12月)(6)

長くなりましたが今回で最終回です。話の中でほとんど触れることの出来なかった絵本『いのちが震えた』のことについては、次回から取り上げる予定の福岡女学院大学でのお話で取り上げていますので、そちらに譲り、ここでは1枚、岩田健三郎さんが、この絵本の制作のあと開かれた版画展で、「ねこ」を描いた作品を数点展示され、そのうちのひとつを写真に収めていますので、掲載させていただきます。



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        震災経験をとおして賀川豊彦から学ぶもの(6)


             赤塚山高校教師研修会


               1995年12月13日


            4 新しい価値の再生・創造

 
数年前から、コープこうべの研修施設のある三木市の協同学苑で「賀川研究会」が行なわれています。震災後、コープこうべの本部も一時ここに移されているようですね。


この10月には、この協同学苑で「日本協同組合学会」が開催されました。そのときのコープこうべの方の報告には、たいへん感動させられ、驚きもいたしました。この度の震災を経験して「コープこうべは新しく変わった」と感じました。


私は、まだ発足後7年あまりのかけだしの「神戸ワーカーズコープ」を代表して、今回の協同組合学会の準備に当たらせていただきましたが、此の度の学会は大震災のあとに開催されたこともあって、震災関連の特別のシンポジウムも企画されました。


初日は、エクスカーションとして被災地の視察も組み込み、私たちの長田の地域にも案内をいたしました。昨年夏から始めている「給食センター」や震災後始めている「建設コープ」の現場など見てもらいました。


私たちも震災をとおして貴重な経験をさせてもらっていますけれども、「コープこうべ」さんは、震災で本当に新しく目が覚められたように見受けられます。


先日8日から10日迄、神戸国際会議場で「市民とNGOの『防災』国際フオーラム」が開催されましたが、この組織委員長は、現在コープこうべの名誉理事長の高村さんでした。彼のインタビュー記事が12月8日の毎日新聞に出ていましたので、ご覧の先生もあるでしょう。


高村さんもご自宅のマンションも全壊になり、いま岡山におられて神戸に通っておられるようですが、この記事を読みますと、復興に向けた高村さんの熱気が伝わってきます。


また先月発行された「生協運営資料」でも、コープこうべの現在の副組合長をされている増田さんがインタビューで話しておられるのも、とても面白い。


増田さんは先ず、協同組合の職員に対して「君は、震災の前と後で、どう変わったか」と問いながら「創造的復興・クリエイティブな復興」を呼び掛けておられます。


コープこうべも大変な被災をされましたが、全壊した事業所ではテントを張り、と板に商品を並べたりして、みなで知恵を出しあって奮闘されました。協同組合は基本的にNPO(非営利)ですが、あらためて「協同・友愛」の精神を再生させる機会になったといわれます。


組合員に「復興債」を協力要請されたところ、135億ものお金が集まり「協同するまちづくり」を提唱して、8億を基金にして「ボランテア財団」をつくり、神戸をボランテアのメッカにしたい! 言われます。


また、私たちも始めていますが、特別養護老人ホームの建設や実験的に始めている地域の「給食サービス」なども、コープこうべでも始めたいといって、いま準備を初めておられます。先の高村さんの記事では、市内に老人のデイケアセンターを設立したいともいわれていますね。


高村さんは言われます。「戦後50年、我々はいかに生きてきたか。身に着けてきたものは何だったのか。いかに無駄なものをたくさん身の回りにおいていたか。この震災でイヤというほど分かった」と。


そしてこの「新しい価値」を発見して、それを主体的に取り組む人間集団や組織をつくるのだ、といわれます。これまではただ「大きくする」ことが目標だった。これからは「もう一度、元に戻って、我々の本物の暮し、新しい暮しをつくっていくために働きたい」と言われます。


こうした発言に出会いますと、賀川が「そこ」を踏まえて、「そこ」を目指して、悪戦苦闘したその「全生涯」の意味が、震災を経験した現在のこのときに、新しくよみがえってくるように思われます。


部落問題の解決の歩みのなかで、神戸ではもう10年あまりまえから準備をして、先程も少し触れました「神戸ワーカーズコープ」という「協同組合的」な新しい住民運動をスタートさせて、一歩一歩小さな歩みを進めています。


これは、賀川の活動とは、直接的な関連はありませんでしたが、かつての「同和」という枠組ではない、新しい「協同」の取り組みとして、新しく開始されてきました。


その歩みをともにしながら、実に不思議な思いを抱きながら現在を迎えています。そして現在では私たちの「ワーカーズコープ」も、大先輩の「コープこうべ」との友好的な関係をむすびながら「神戸の復興に役立ちたい」と歩み始めています。


本日は、岩田さんの絵本『いのちが震えた』について少し触れるつもりでしたが、絵本だけお土産に寄贈させていただきます。此の度の大震災の経験は「いのち」について、みんなが自分自身のこととして痛切に考えさせられるチャンスでもありました。


大分前になりますが、広島の皆さんと「原爆と未解放部落」という副題がついた『いのちあるかぎり』という作品を編集させていただきました。


今回、まちの瓦礫の中で体験したことが、あの原爆の悲惨な体験の手記と重なって思い起こさせられました。


先日はまた部落解放運動で奮闘してこられた方のブックレットを作らせてもらいましたが、その書名も『いのち輝け』とさせて貰いました。実際、この一年間何よりも、おたがいのこの大事な「いのち」のことを考え続けた一年だったと思います。
 

今年の始め、震災の起こる直前に、ある労働組合の新年のつどいがあって、「いじめ」の問題について「いじめよさらば」という題でお話をさせていただきました。そのあとすぐにドカンでした! 地震は「いじめ」を吹っ飛ばすような出来事でしたが、いまも「いじめ」によって掛け替えのない「いのち」が絶たれていく悲報が続いています。


本日は「震災経験をとおして賀川豊彦から学ぶもの」というお題でしたが、賀川豊彦という方は、没後35年以上も経過して、神戸の人々の心からも忘れられています。


しかしそれでも、こういう震災経験をいたしました現在、賀川豊彦がその生涯の歩みを通して指し示してきたこと方が、新たに今、私たちのこの神戸において、先生方と共に甦りつつあるようで、とても嬉しく思っています。


何事も、本当に大切なものは、いつも隠れています。この「大切ないのち」は、いまも、そして永久に、すべての人と共に働き続けています。


私たちが忘れていても、忘れていることを忘れていたとしても、この大事な大事な「いのち」は、決して無くなるものではありません。お宝はいつも発見されることを待っています。

本日はこれで失礼いたします。ありがとうございました。