震災経験をとおして賀川豊彦から学ぶもの(神戸市立赤塚山高校教師研修会草稿、1995年12月)(3)

今回は3回目ですが、賀川代表作『死線を越えて』に触れています。現在、次々と新しい復刻版が登場して、誰でも読みやすくなっていますが、1980年代以降は社会思想社から3部作が出版されて広く読まれてきました。残念上がらこの出版社は倒産して、文庫版がいま消えています。






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        震災経験をとおして賀川豊彦から学ぶもの(3)

  
             赤塚山高校教師研修会


               1995年12月13日                                        
                                      
             2 賀川の苦悩と冒険


        なぜ「貧民窟・葺合新川」で生き始めたか


ところで、今回鵜飼先生から与えられたテーマですが、「賀川はなぜ、自ら好んでわざわざスラムのど真ん中で生きようという志をもち、実際にその行動を始めたのでしょうか」という問です。しかも彼の場合、まだ学生生活を送りながらの「新しい冒険」でした。


隅谷三喜男先生は、有名な場面ですが、この本の冒頭に次のように書き始めておられます。


「1909年12月24日、クリスマスの前日の午後、神戸神学校の学生賀川豊彦は、ディケンズの『クリスマス・カロル』を思い浮かべながら、荷車にふとんと衣類4,5枚と、書物1行李を積んで、葺合新川の貧民窟に引っ越した。家は五畳敷だが、五枚の畳を買う金がなかったので、古畳を三枚買って表の間にしいた。この家は前年の暮れに喧嘩で殴られた男が死んだ家で、幽霊が出るというので、入り手がなかったのである。賀川は日家賃七銭のところを月二円でこれを貸してもらった。かれはかなり以前から肺を患っていたが、二年ほど前からそれが悪化し、前の年の前半は三河蒲郡で療養生活を送らねばならなかった。その後も健康ははかばかしくなかった。「どうせ死ぬのなら貧民窟で」(『地殻を破って』192頁)と考えて、ここに入り込んだのである。」


人が何かを始める場合、それぞれに秘められた何かが隠されています。またそこには、ひそかなモチーフ・動機を探ることはできます。私もこの『賀川豊彦と現代』を書きあげるときに、そのことを自分自身の経験と重ねながら、思い巡らしました。


何しろ誰でも、青年期は特に疑問の固まりです。私のようなものでも、人並みに悩み、苦しんだ青春時代がありますが、賀川のような怪物のような男は特に、当時の学問や社会のあり方にたいして、根本的な問を持ちながら学問に熱中していました。


彼は、中学時代から英語が堪能でしたから、明治学院に在学中も図書館にある本を片っ端から読破して、教授達の講義にものたらなくなって、先生たちを困らせたほど、自分の問をもって学問をしたようです。


「問をもって学ぶ」ことが学問ですから、自分自身の固有の問をひっさげて学ぶ姿勢は大切です。高校生たちが、学校が面白くないのは、自分の問を問うことができずに、ただ与えられる勉強をさせられるところにあることは、だれでも気が付いていることですね。そこを、どうにかして変えなければ、という模索がいまも行なわれています。


実際、彼らが大学に進学してからも、また職場に出てからも、自分から創造的に、新しいものに挑戦していく力が育たないということが、大きな問題です。これは、私達の日常の仕事のなかでも、自分のオリジナルな問をもって学び続けるということは、なにも学生のときばかりのことではありませんけれども・・・。


ここに、賀川の最も有名な『死線を越えて』という賀川の自伝小説を持ってきました。大正9年10月に改造社から出版され、瞬く間に大ベストセラーとなった作品です。これは大正10年6月の74版のものです。彼が32歳のときの作品です。


当時の本は沢山の伏せ字があります。彼はこの時すでに10冊を越える本を出版していました。有名な『貧民心理の研究』や与謝野晶子の素晴らしい序が入れられた詩集『涙の二等分』などですね。この『死線を越えて』は、彼の青春時代の苦悩と、21才でスラムで生活をはじめて経験したドラマを、赤裸々に描いた作品です。


先程触れましたが、彼は25才で結婚し、翌年から3年近くプリンストン大学に留学しますが、米国に旅立つまでのことがこれには描かれています。『死線を越えて』は3部作で、このあと『太陽を射るもの』『壁の声聞くとき』と続きます。何度も版を重ね、多くの人々に読みつがれ、外国にも各国語に翻訳されてまいりました。現在品切れかも知れませんが、この3部作は文庫本にもなって、広く読まれてきました。


    (つづく)