「笠木透と雑花塾」の魅力(「谷守建築事務所:通信」1997年10月)


長い連載が続きましたので、ちょっと調子を変えてみます。


これまでにも他のブログで触れましたが、若い頃から、岡林信康さんや高田渡さんのフォークに親しんで来ました。そして1970年代に版画家の岩田健三郎さんのうたにも魅かれるものがあり、あの神戸の大震災のまえからは、今回取り出してみる「笠木透と雑花塾」という仲間たちの世界に引き込まれていきました。


次の写真は、「なつらぎ自然学校」で写した笠木透さんと、そこのテラスで桜を愛で、小鳥たちの声を聴きながら、新曲を聴く、贅沢な朝の様子です。左から笠木透さん、岩田健三郎さん、上田達生さん、そして増田康記さん。






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          「笠木透と雑花塾」の魅力


            谷守建築事務所「通信」26号(1997年10月)


神戸のまちづくり研究会をとおしての谷守正康さんとのお付き合いは、もうずいぶん古くなる。ご専門を生かした幅広いお仕事ぶりには常々敬服するばかりである。今回は大事な紙面に何か書くよう慫慂された。そして依頼ファックスには「キリスト教ユートピア」といったことでどうですかとも添えられていた。


おそらく谷守さんには何年か前、アメリカを旅されたときだったか、ご自身が何かの資料で見付けられたのか記憶は薄れたが、世界的な協同組合運動のリーダーでもあった賀川豊彦が、米国にあっても「住宅コープ」の火付役だったことなどを知られたようで、谷守さんはそこに何か「キリスト教ユートピア」のごときものを感じ取られたのかも知れない。


実際私たちには、これまでの長い歴史的な諸伝統を引き継ぎながら、或る種の「夢」や「ユートピア」に突き動かされて、何かこれまでにはなかった「新しいもの」を創造するために、無謀とも見えるような「冒険」をはじめるところがある。


賀川も確かにそのひとりであり、震災後に古本屋で見付けた彼の『CHRISTIAN MANIFESTS TO MANKIND(「人類への宣言」)』や『星より星への通路』など読んでいても、その「精神」が躍動していることが窺える。


しかし、ここでは標記のように、最近私たちの生活の上でも大きな座を占め始めている現代のロマンチストたち「笠木透と雑花塾」の魅力の「ひとつ」を、ここに短く記させていただこうと思う。

 
笠木透さんは、知る人ぞ知る日本のフォーク界の大御所である。1937年生れであるから御歳も私たちとそう変わらない。


彼のうたは『私の子どもたちへ』『昨日生れたブタの子が』『君よ五月の風になれ』などのCDで聞くことができるし、『わが大地のうた』『青年よ心のパンツをぬげ』『ただうたいたいためだけにうたうのではない』『修羅のデュエット』などの、素晴らしい見事なエッセイをとおしても「笠木透の世界」はタップリと味わうことができる。


しかし、何といっても直接コンサートで接する「ナマの味」が一番である。ナマの味はナマで味わう以外に手はないし、ナマを文字で伝える力量も私にはない。


ところで、さきに「笠木透と雑花塾」の魅力の「ひとつ」を短く記したいと書いたのは、実は一般公開コンサートのナマのことではない。コンサートはもちろん素晴らしいのだが、それを産み出す前のプレコンサートのことである。


もう何年も前からのことである。姫路の絵描きさんである、私たちにお馴染みの岩田健三郎さんたちは折々、姫路市内とはいえ林田町奥佐見という深い山につつまれたところに建てられた「かつらぎ自然学校」という、お気に入りの宿に寄り合って、イロリを囲んで食事と美酒を楽しみ、生活の中から産まれ落ちたトレトレ・ホヤホヤの新曲に耳を傾け、親子が版画を彫ったり、草花を観察したりする楽しい集いを、ずっと続けておられた。


私たちがそこにお邪魔して、岩田さんたちのうたを聴いたのは、1993年11月の終りのことである。


その頃すでに、笠木さんはじめ岩田さんなど、全国各地の多くの仲間たちが「フィールド・フオーク・カルチャー・ユニオン」というものをつくって、年に一度の「サミット」が、この場所で開かれていた。


私たちは翌年(1994年)4月の「サミット」から、勝手におしかけていそいそとでかけるようになった。今年は7回目だそうで、私たちはそのうち4回も参加したことになる。私たちはいまや老人組であるが、参加者の多くは子育て真っ最中の世代であり、子供たちも多く参加する。


おもいおもいに地酒や郷土の味が持ち寄られ、キャンプのようにみんなで食事をつくり、一年間かけて仕込まれた「新しいうた」たちが披露される。


笠木さんは小学校の「教師」をされていたこともあるようで、毎年笠木さんの夜を徹した「名講義」が演じられる。真面目に考え込んだり笑い転げたり、深夜におよぶ歌つき講壇は、毎回大喝采である。


「雑花塾」には岩田さん夫妻や岐阜・郡上八幡の増田康記さん、長野・原村の安川誠さんや山口・光市の上田達生さんなど、才気と魅力のあふれるメンバーたちが、存分にその持味をいっぱいに発揮される。


何も自慢にはならないが、私たちはうたをつくったり歌ったりできるのではない。家内は堂々とペンネームを「鳥枝梨子(トリエナシコ)」などと名乗っているが、私にはそんな取柄もない。


こんな老体でも嫌がられることなく、歌やお話をただ聞くだけでもいいのがいい。それぞれに、自分の生活の課題をかかえながらあつまってきて、知らぬ間に友達ができる。


朝まで語り合うものもあれば、一日中風呂が沸いているので、好きなときにボーとゆったり湯に浮かぶこともできる。

 
この「カルチャー・ユニオン」には基金を寄せ合って運転資金がつくられ、楽しみながらCDやソング・ブックもできていく。「不良障害者・旅のしゃべくり」と銘打った『あそばなきゃ』も逸品だが、岩田さんのステキな絵本『光の海』や『長良川』は、ちょっと手に入らない宝物である。


大震災のあと「100日目」に出来た岩田健三郎さんの作品『いのちが震えた』もユニオンの協力によるものである。
                          (1997・8・)