『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(65)終章「キリスト教と部落解放運動」第3節「批判的精神の発揮」


前回にも短くコメントを加えたかもしれませんが、この論考を発表した1974年という時は、部落解放運動をめぐる激動のときでした。


神戸においても当時まだ「部落解放同盟」という組織内にあって、この年の暮れに引き起こされたあの「八鹿高校事件」を契機にして、この運動から決別していったのでした。


そして前回も触れましたように、事件の起こる前(同年4月)に「神戸部落問題研究所」を創設して、解放運動に対しても、同和行政や同和教育といわれていた分野に対しても、一定の間を置いて自由に批判的な検討を進める努力が重なれれていく起点となったのでした。(たまたま昨日の「番町出合いの家」のブログで、創立時の研究所の所在した「兵庫県酒販会館」をUPしました。)


今回は、本稿の第3節「批判的精神の発揮」のところです。実際に当時、私自身もあれこれと主張をしていましたが、それらのいくつかは既にブログの中で掲載済みのものもあるようです。



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           終章 キリスト教と部落解放運動


             第3節 批判的精神の発揮


ところで、部落解放の課題が部落住民自らの課題であるばかりでなく、他のすべての住民の課題でなければならないことは改めて指摘するまでもない。


そして同時に、このことは直接部落解放運動とかかわりのない各分野においても、その固有の課題を掘り下げるとき、必ずそこに部落解放、ひろくは人間の解放と密接なかかわりのあることは確実なのである。


したがって、各分野の固有の課題の掘り下げが、それぞれ根付いたものであるとき、正しい間(ま)をおいた関係性をたもちながら、解放運動との真の連帯をつくることができるのである。


しかし、近年部落解放運動と直接的に連帯するということで、少なからぬ混乱を生んでいることも事実であって、この点に関する慎重な吟味は重要であると思われる。


なぜなら、運動は運動で苦悩に満ちた再検討が求められているとき、たとえそこに善意と倫理的同情もしくは部落解放への共感共苦の意思が強くあろうとも、否それが強ければ強いほど、「連帯する」ものはよほど賢明な知見をもたねば、責任あるかかわりはできないからである。


これまで一度も人間の根源的基点に気付くことなく、いつもお茶を濁してその場逃れをし続けてきたために、ぶざまな対応を余儀なくされて混乱を続ける今日の同和行政や教育関係者にも似て、運動の分裂状況に悪乗りし、それに輪をかけるかたちで「連帯する」ことにもなりかねないのである。


部落解放運動を考えるとき、相対的な意味においてであるけれども、「当事者優位の原則」というものはあるであろう。


まず当事者が自ら立ち上がり、そこでの運動の責任をになうことは当然のことである。よそ者が成り代わり、主役のような振る舞いはすべきことではないのである。


だがしかし、「当事者優位の原則」は、当事者の運動・思惟がそのままいつも正しいとか、その運動行為が踏み外してしまっていないとか、批判の対象とはなりえないとか、言うことではない。


むしろ逆に、理論的にも実践的にも運動の固有領域内における相互批判のみならず、他の諸領域からの批判的交流が強く期待されているのである。


批判精神が枯渇するとき、必ず枯死する道をたどるのは必然である。とりわけ歴史的にタブー視され続けてきた部落問題に関しては、自由な批判的精神を息づかせることが重要であることは、これまでたびたび述べてきたところである。


もしも部落解放運動の中のどこかに、ほかからの批判を許さぬ状態が残るとすれば、それは運動の正しさを示すよりも、自らの経験や恣意を先立てることによって、運動そのものを「逆限定」しているものへの知見の欠如を、いっそう証拠立てているものでしかないのである。


部落問題とかかわる場合、多くものが陥りやすい傾向としては、加害者意識あるいは差別感情や偏見を、自らの性格的な気の弱さも手伝って、過度に過大視してしまう傾向とか、先に触れた部落解放運動を自らの社会活動の場として成り代わろうとする傾向とか、あるいはまたそれぞれの固有の場の掘り下げをサボる代わりに、部落問題を捻じ曲がったかたちで自分の持ち場に持ち込むといった傾向とか、・・を指摘できる。


あとで言及するが、われわれが見誤ってはならないのは、それぞれの固有の領域のあることの認識と相互の了解であろう。われわれにとって困難な仕事ではあるけれども、相互批判のできる基礎を明らかに見極める努力を続けながら、当事者にたいして一目置く過ち(これは謙遜のかたちをとった侮辱でしかない)を少なくして、「真剣にそして自由」な交流が生れることを願うものである。


ここで、蛇足的に「連帯する」ことに関連して付言するのであるが、部落差別の直接的体験のないものが、そこの住民のひとりとなって、事実的同一化の道を選ぼうとすることは、これまでもあったことであるし、今後も少なくないであろう。


この事実的同一性を求める指向性は一人一人異なるけれども、個人的な経験を述べるとすれば、われわれの場合、いわゆる部落解放運動に参加することを主たる目的として歩みだしたのではなく、もっぱら自らのこととして「信じて生きる」こと、なかでも牧師として、否その前に一人の人間として、物心両面の独立・自立への実験的試みを意欲したものであって、結果的付随的に(といっても気楽に無責任にというのではない)、自然に一住民として部落解放運動に関わっているのである。


われわれが今日、一人の労働者として働き、部落差別の現実の中で同じように生きていこうと意欲することは深く必然性のあることであろう。これは運動のレベルのことというよりは、いわば「友情の世界」の発揮としてとらえることができる。