『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(60)第6章「断章・ある日の午後のことー母校・同志社へのゆきかえり」(下)

本日、資料の中から「同志社大学・壮図寮十周年・1954〜1964」という120頁足らずのパンフレットが出てきました。


表紙には、当時の寮の全景が収められ、友人たちや教授方の寄稿文もあります。私は、1960年の夏期実習で、琵琶湖畔の小さな教会に出かけ、牧師さんの急逝のため、急遽求めに応えて、そこに住み込んで、京都まで通学することになったため、この壮図寮には1958年春から2年余で退寮しましたが、まことに愉快な経験が、短い寮生活のなかにありました。


それはともかく、ここではその表紙と、当時の写真を集めた寮生活のところをUPして見ます。








そういえば、手持ちの写真の中に、壮図寮時代のものが、何枚も残っていました。これは、1958年に入学した私たちのクラスメートたちで、「戴帽式」の記念です。



ここからの3枚は、1958年6月、それぞれ仮装して電車に乗り、八瀬のかまぶろに出掛けた時のものです。








そして「愛餐会」やゲストを迎えた交流会、さらにはクリスマスにはキャロリング。これは、遠藤彰先生のお宅の前で暖かい上等の紅茶を頂いています。









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         第6章 断章 ある日の午後のこと(下)


         ―母校・同志社へのゆきかえり


    (前回につづく)


10年も間があいていても、学生をしていたあの頃のことがすぐ思い起こされるから不思議である。


先ず、同志社のシンボル・旧神学館の中に入ってみる。ここは、六年間僕らの学んだ学舎である。今もそのままの形で保存され、手入れも行き届いていて、以前より美しいくらいである。大学関係の資料・記念館として、また一部教師に利用されている。


新神学館は、ちょうど卒業のときに完成し、あの美しいステンドグラスのある礼拝堂で、私たちの結婚式も挙げさせていただいた場所である。


大勢の学生たちがキャンパスを行き交う。マンモス大学がいっそうマンモス化していることが一目瞭然である。


それにしても、若い男女がこうして貴重な学生時代を楽しげに過ごしているサマを見るのも、たまにはいいものである。


隣接の同志社女子大学正門の「栄光館」前から続くあの美しい通路、あそこを是非歩きたかったのに、工事中のため果たせなかったのが残念である。


「明徳館」の中にある就職・アルバイト相談室のあたりへも足を運ぶ。
此処は学生の頃と全く同じである。祭礼行列やエキストラ・大掃除など、アルバイトの紹介でよくお世話になったところである。
大学には、この学生生活への行き届いた配慮の場と図書館が整備されていることが不可欠の条件である。最近、同志社にも立派な図書館が新設されている。


更に、地階の食堂や学生生協の売店を一巡。構内は、「韓国問題」の連続講演会の大きなたて看板や、校舎の窓下に「狭山事件」の横幕が出されている程度で、意外と静かである。


あの大学闘争の嵐の後、大学は何を問い直し、何を発見して、新しい歩みをしたのだろうか。果たしてどこに確かな一歩が踏み出されているのだろうか。

            
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今日、わざわざ京都にきたのは、4時10分からの「芦田講座」でなされるA氏の「神学倫理の方法論をめぐって」を聴講するためである。


A氏は、僕が壮図寮に入寮の頃、たぶん大学院2年であったと思う。特に深いご厚誼を戴いたわけではないけれど、最近、総合雑誌『世界政経』の新年号に寄稿を求められて、「新しい思惟と行動の根源的基点」と言ったテーマで考えていたこともあって、今回の主題に興味を覚えたからである。


A氏のこの論題は、氏が1969年から1973年にドイツ・ハンブルグ大学留学の折の研究テーマであったようである。難解な論文の梗概を時間一杯かけて朗読する形で進められた。そこでは多くの刺激的な論究が展開されたのであるが、少しだけ率直な感想を記しておこう。〔この講演内容はいずれ「基督教研究」誌で発表されるはずであるから、厳密な批評はそれに則してなされる必要がある〕


先ず第一の感想は、最も基本的な問題として、氏の神学が、とりわけその倫理学の方法論が、「新しい思惟と行為の根源的基点」によって明らかにされているかと言う点において、大いなる疑問が残る。


論題そのものの「神学倫理」と言う概念も曖昧であるけれども、「神認識の可能性の問題」、「イエス・キリストのペルソナ理解」、「理論と実践の区別と関係」の問題などにおいて、既に確かな一歩を踏み出していると私には思われる、瀧澤「神・人」学や延原神学などの学問的業績とは、余りに大きな距離のあることを痛感させられた。
 

そしてもうひとつの感想は、直接論題とかかわらないことであるが、氏には誤った「現場主義」があるのではないか、と言う点である。


氏は、序論と結論で幾度か、「これはあくまで現場からの問い直しである」ことを、強い口調で強調された。確かに一面では、教会〔牧師〕と神学部との間には、こうした側面のあることは否定できない。しかし、これが強調されすぎるならば、教授や学生たちは、あたかも「現場に居ない」かのような錯覚に陥る。これは端的に間違いである。


当然のことながら、人それぞれの生きている場が、すなわち現場である。今・此処を離れて別に現場があるのではない。各自独自に現場を持ち、そこで神学が営まれているのである。根源的基点に裏打ちされていない現場と言うものはないからである。だからこそ、その神学の営みが、「新しい思惟と行動の根源的基点」から湧出するとき、互いに響きあい、批判的討論が展開され、愉快な交流が起こるのである。


ただ、今日の「基督教研究」などの神学が不評なのは、この肝心な根源的基点からの湧出の欠けるものがあるからだと言わねばならない。


それにしても、折角の講座がなぜこうも閑散としているのだろうか。あの美しい礼拝堂にわずかの聴衆者があるのみである。講座の持ち方としても、簡単でもレジュメが用意され、十分な討議の時間があれば、より充実した講座となったに違いない。場所其の他の工夫が加えられる必要があるであろう。


久しぶりに、教授方とご挨拶。無沙汰を謝す。教授方との面白い交流が作られていくのは、果たして何時の日であろうか。


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外は既に真っ暗である。同志社前からバスに乗り、三条河原町まで。三条から四条まで繁華街を歩く。


途中、成人した小柄の男が、数珠を首にして何か巻物を高く掲げ、「俺はちょっと頭がおかしいかも知れん」とか独り言を言いながら、小走りに人並みを掻き分ける。


そして、僕の真横にきて、やにわに大声で「田中角栄を**せよ! 小佐野賢治を**せよ!」などと叫び始める。物騒なことではあるが、どことなくユーモラスでさえある。行き交う人たちも、含み笑いをして通り過ぎる。


外国の旅行者たちは、**の意味がわからず怪訝そうである。陰で組織的に暗躍する(K)CIAなどの策謀よりは罪はない。いろんな男が現れる時代である。
  

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再び阪急電車で神戸まで。9時過ぎに、妻子の待つ我が家へ帰着。そして、今日の午後のあれこれの事を肴にし、遅くなった夕食を戴く。