『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(58)第5章「モグラ暮らしの中からの小さな発言」第2節「働く人」(日本基督教団出版局発行)2「コラム・石の叫び」c「夜明け前」

前回に続いて、1968年春「番町出合いの家」がスタートした最初の住宅「中根アパート」が、改良住宅の建設のために壊される直前の写真を、ここに掲載して置きます。今回の小稿を発表した1970年11月より、数年後の写真ですけれど。





        第5章 モグラ暮らしの中からの小さな発言


         第2節 「働く人」(日本基督教団出版局発行)


           2 コラム「石の叫び」






           c 夜明け前(1970年11月1日)


いまの社会のなかで、差別を集中的に受けている「部落」での生活を経験すればするほど、いわゆる「基本的人権」の侵害の事実の厳しさが分かってくる。


人権侵害は、生活の全領域にわたる。住宅は狭く極度に過密であり、風雨のたびごとに安全な場所をもとめて避難を余儀なくされられるほど倒壊寸前となり、便所も水道も、いまだ数十軒で共同利用をさせられたままなのだ。


かかるマイナスの生活環境に加えて、学習権も教育権も不当に剥奪され、多くの若者は、中学までで、労働条件の劣悪な日雇い労働の生活者となる。


そして、町工場を流転しながら、臨時工、社外工として、つねにスラップの対象として差別的待遇を受け、半失業状態のまま放置されている。


しかし、このような差別的な労働条件や生活条件を「基本的人権」の侵害として自覚し、自ら立ち上がり、大衆的な解放運動としての闘いが、いま全国的規模で取り組まれている。


わたしたちの部落でも、もっとも重いクビキを背負わされている母親たちが中心になって、コトが始まっているのである。


基本的事実の侵害の事実はひとり「部落」にかぎらず、働くもの自らのコトである。自らの権利に目覚めたものは、侵害されている他者の権利をそのまま放置しておくことはできない。そのとき、部落解放の闘いは、わたしたち労働者の解放と不可分の闘いとなるであろう。


「豊かな人間とは、全体性を必要としている人間のことであり、そこに、人間の情熱と活動がある」というコトバがあるが、権利を侵され、深く貧しさを知る者たちの解放運動は、その方向を誤らねば、必ずや歴史をつくりかえずにはおかないであろう。


「貧しい人たちは幸いだ。神の国はあなた方のものである。》《ルカ6・20》