『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(57)第5章「モグラ暮らしの中からの小さな発言」第2節「働く人」(日本基督教団出版局発行)2「コラム・石の叫び」b「裸一貫」

今回、このような連載を進めて、資料整理をしていましたら、不付け不詳ですが、1968年に住み始めた「中根アパート」が、やっと改良住宅の建設の順番が回ってきて、壊し始める時の写真が出てきました。


もちろんすでにこのときは、仮設住宅に移っているのですが・・・・。




現在、ここに掲載している文章を書いているのは、まだ6畳一間の「中根アパート」で生活していた時のものですね。



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      第5章 モグラ暮らしの中からの小さな発言


        第2節 「働く人」(日本基督教団出版局発行)


          2 コラム「石の叫び」





          b 裸一貫(1979年10月1日)


世間(教会)一般には、パンのために働くことは精神的事柄に劣ると言う考えがあるようだ。ゆえに信仰や精神の問題に携わる牧師先生は尊敬され、一介の労働者は軽んじられる、というのが世間(教会)人の常識である。


ところで、わたしが人の前で「説教」したり「先生」と呼ばれたりすることの異常さを深く認識するようになったのは、制度的教会の牧師を脱して、一介の労働者になってからである。


一介の労働者になるとはすなわち、世間的な地位も名誉ある肩書きも誇るべき学歴もなく、ただ身ひとつ、裸一貫で生きていくことに他ならない。


また、それは、1日1時間何がしかの賃金と引き換えに労働力(生命)を資本家に売り渡すことによってしか生きる手段がないということであり、職業選択の自由もごく狭く限られているということなのである。


「牧師であった」とき、わたしは病気で寝込もうとも最低の生活は保障されていた。ところが、一介の労働者である現在のわたしは、1日休めばたちどころに生活(食べること)に支障をきたす。ケガか病気で入院ということになれば「生保受給」は間違いない。


しかし、この労働者の道が、わたしの人間としての当たり前の生き方になると、どうしてもすべての物事を生活の場所そのものから具体的に、裏側から見るという、価値観の転倒が起こってくるのは当然であろう。


わたしの周囲で、わたしが労働者になる何十年も前から、労働者とその家族の人権・自由を獲得するための闘いが、すでに始まっており、現に闘い取られつつある。


わたしが一介の労働者でなく「ぼく」という身分を固執していたら、到底不可能であったろうその闘いのなかに、わたしは何の無理もなく、一人の仲間として迎え入れられている・・。


「狭い門からはいれ」(マタイ7・13)