『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(56)第5章「モグラ暮らしの中からの小さな発言」第2節「働く人」(日本基督教団出版局発行)2「コラム・石の叫び」a「力点」

はじめに、写真を1枚UPします。これは、1968年春、新しい生活をスタートさせた当時の、国際都市神戸のまちのどまんなかの、私たちのまちの風景です。




今回は、『働く人』のコラム「石の叫び」(1970年7月1日)に掲載された「力点」です。




            *        *


       第5章 モグラ暮らしの中からの小さな発言


         第2節 コラム「石の叫び」(3回分のみ手元に残る)


          A 「力点」(1970年7月1日)


近年、次々といわゆる「労働牧師」が生れている。従来、牧師の労働の場はもっぱら教会に限定され、ほかの労働は「アルバイト」とみなされていた。


だが、こんにちでは逆に、牧師はおのおの固有の労働の場を自ら選び取り「労働者となる」方向が目指されている。


そこには、教会の革新は牧師自らが変革の作業を行わぬかぎり、結局何事も起こらない、という認識がある。いくども、教える立場から口でいってみるものの、自らの足でその道に生きていないことほど身にこたえることはない。


いくら形式的に牧師となりキリスト者となったとしても、その呼称にふさわしい内容を伴わないものは、つねに無意味である。


ぼくもこの新しい道に旅立って2年余りになる。当初「ペンより重いものを持てないだろう」とか「牧師がひとり減って労働者がひとり増えたに過ぎない」とイヤミを言われたりしたものだが、徐々に身体も丈夫になり、強靭な精神とはいえぬまでも、激しい肉体労働に耐えうるだけの精神力も身についてきたように思える。実に不思議なことである。


ぼくは毎日の労働の繰り返しのなかで、ぼくがぼく自身になることを志向する。そこでは、ぼくの同僚たち(はじめから労働者である人たち)が、ぼく(労働者になる牧師)の「教師」なのだ。


この発見は、ぼくにとって何物にも替えがたい喜びである。「学歴」とか「牧師」とかの形式的な肩書きが有用なのではなくて、どれだけ働く者の現実を自らのこととして担って生きるかという「中身」にこそ「力点」が置かれねばならない。


教会に「牧師・教師」がいなくなり、自ら働いていきはじめる牧師が次々と起こってくるとき(ぼくは思うのだが)教会は必ず変革される。

「無くてはならぬものは多くはない」(ルカ10・42)