『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(54)第5章「モグラ暮らしの中からの小さな発言」第1節「被差別部落と番町出合いの家」4「積極的解散の過程を経ること」

「教団新報」に連載分の最終回です。早速掲載することにします。





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      第1節 被差別部落と番町出合いの家


     4 「積極的解散」の過程を経ること〔1975年1月12日〕


        ――教団成立の問題に立ち信仰の根本的再評価――


以上三回にわたり「教会」を背にした歩みとその「独立」のかたち、並びに部落解放運動とのかかわりの問題にふれておいた。最後にここでは、手短かに教団、教区の問題とも関連させてメモしておこうと思う。


はじめに、個人的なことであるが、新しく労働を始めて六年目、一人前の職人になったところで、腰部捻挫〔労災〕を起こし、肉体労働が困難となる。


数ヶ月の養生のあとようやく回復し、この夏、これまでのゴム工場のロール工から、地域における社会教育の仕事に転じて、現在に至っている。そして、相も変わらず、モゾモゾと生活をつづけているのである。


何ほどのことをしていると言うのでもなく、取り立てて記すことのないことが、わたしたちの唯一とりえだと言えるかもしれない。


あえて顔にも似つかぬホラを吹くとすれば、教会を背にする旅立ちは優しいけれど、これを継続することは、予想するほどそう安易なことではオマヘン、とだけは言っておいてよいのではないだろうか。


しかし、人として当たり前のことを当たり前のこととして、「自然」な道を生きているのだと知るとき、わたしたちの心の芯は、「大満足」を覚えさせられるのである。そして、もはやこの「世界」の外に〔肉鍋を食べに〕出ようとは思わないのである。


ところで、これまで「教会」を背にして歩みつづけている間に、「教区」も「教団」も、得体の知れない魔力(?)に突き動かされて、いよいよ大変なデッドロックに乗り上げているようである。


たとえ表面的に教会政治的妥協が成立して、何事もなかったかのように「教団」が「正常化」されようとも、問題が問題とされないままとおり過ごされるならば、いっそう見分けがたい虚飾のなかで、墓穴を掘りつづけることになるに違いない。


このようなときは、「相も変わらずモゾモゾと」、無駄に思えることに余計な消耗をすることなく、これだと掘り当てたところに従って、歩みつづけることに限るのである。これはいかにも無責任な言い草ではあろう。


が、わたしたちは「教会」「教区」「教団」を背にするかたちで、問題性を自らのコトとして負っていく道を選んでいる、とすればどうであろう。「原事実」への即応が、このような形を取ることなど、どれだけの人が了解しているのだろうか。


さらにこのことを別の表現で積極的に提示するとすれば、「教会」「教区」「教団」は、いずれも「積極的に解散」をして、それぞれ独立した歩みをはじめることが求められている、ということができると思う。


それは「牧師」も「信徒」も、それぞれの「個性」(瀧澤のいう<客観的主体>としての)を発揮するばかりでなく、現在露呈されている「日本基督教団」の成立の問題性――の真の解決にむけても、「積極的解散」〔独立〕という過程は、どうしても通らなければならないのではないか、と思うからである。


しかし、実情は奇妙な分裂・解体現象が起こるにしても、ここでいう積極的な解散〔独立〕現象は、「教団」というレベルでは起こらないであろう。
当然それは、各個教会において、信仰の根本的な捉えなおしが、個的に湧出するものであるほかないのである。


したがって、この信仰の根本的な捉えなおしの仕事こそ、徹底させなければならないのである。神学の課題である「イエス・キリストの問題」の探求は、尽きることのない関心事として進められ、瀧澤、延原、田川などの独創的な探求者たちに学びながら、なまけずあせらず、日々に新たに歩みをはじめることになるのである。


わたしたちは、「教団」や「教区」あるいは「教会」の「出店」とか「出張所」としてあるのではない。それぞれ、ただ端的に、自立と独立への促しに応え、直面する課題に取り組む。


最後に、ふたたび内村鑑三のことばを引用して結びとしたい。


「独立すれば孤立するとは徹底的に独立を試みたことのない者の曰う申分である。〔中略〕独立人は独立を愛す、そして独立人が結合した時に最も鞏固なる団体が実現する。勿論結合する為の独立でない。独り立つも可なりと決心する独立である、そして人生の逆説が此所にも亦現れて、団結を要求せざる所に最る鞏固なる団体が成るのである。」(「教会問題・其2」1930年4四月)。