『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(53)第5章「モグラ暮らしの中からの小さな発言」第1節「被差別部落と番町出合いの家」3「住民運動として幅広い解放活動」

今回もまず、掲載紙をUPします。





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         第1節 被差別部落と番町出合いの家


      3 住民運動として幅広い解放運動(1973年12月29日)


         ――真剣にそして自由な批判的作業を――


ここで部落解放運動とのかかわりについて触れておこう。
あらためて記すまでもなく、部落解放運動は、いわゆる政治運動と不可分の関係にあるが、もともとこれは、被差別部落住民自身の「住民運動」としての性格が強い。この運動の成果として、ここ数年来、行政も企業も市民も、ホンのちょっぴりであっても、部落解放にむけて責任の自覚が深まりつつあることは事実であろう。


わたしたちも、被差別部落で生活をはじめたときから、住民のひとりとしてこの運動に参加してきたのであるが、この間のささやかな経験のなかから、解放運動の現状もふくめて簡単に記しておくことにしたい。


その第1は、部落解放の主たる責任は、国および地方自治体の行政にあるという認識が定着してきたこんにち、これまでの部落解放行政の立ち遅れを早期に回復すべく、環境整備や社会保障、教育・人権の保障など、総合的計画的な施策が進められているのである。


その場合、とくにわたしたちが注意していることは、部落解放行政を、かつての慈善的な社会事業の延長のような融和的な特殊行政に陥らせることなく、行政全体のなかに正しく位置付けさせ、すべての住民の切実な要求と生活実態にそくした責任ある行政が進められなければならないという点である。

 
第二のことは、部落差別というものは、それ自体として「社会外」に置かれているというのではなく、こんにちにおいても社会的経済的構造全体のなかに根深く組み込まれ、つねに分裂支配の具に供され、構造そのものを低位なままに押し留める役割を担わされているのである。


この差別構造を正確にとらえ、部落解放の視点を正しく自らのものにすることは、変革作業の諸活動を進める上でも、必要条件のひとつであるということができる。わたしたちは、分裂支配の具に供されたこの問題を、逆に結合の絆に転じさせる知恵を獲得しなければならない。


そして第三は、わたしたち自身の人間性に関する根源的把握の課題である。
本来、人間同士が差別したり差別されたりしてよい理由は、どこを探してもありはしない。しかし、この当たり前のことが、当たり前のこととして受け止められていないのが実情である。社会的な人間の恣意に乗っかって、人間が人間を冒涜しつづけているのである。したがって、部落差別は社会的経済的構造上の問題であると同時に、人間性のとらえそこねの問題であるといわねばならない。


ところで、部落解放の基点となったあの「水平社宣言」に示された「人間性の原理に覚醒」した人びとの叫びは、今もわたしたちの心を打つものである。

 
「陋劣なる階級政策の犠牲者であり」「ケモノの皮剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥ぎ取られ、ケモノの心臓を裂く代償として、暖かい人間の心臓を引き裂かれ、そこへくだらない嘲笑の唾まで吐きかけられた」者こそが、「自由・平等の渇仰者であり」「人の世の冷たさが、何んなに冷たいか、人間を労わる勦わる事が何であるかをよく知って」おり、「心から人生と熱と光を願求礼賛するもの」であった。(括弧は「宣言」)
 

ここには差別と貧困と苦悩のなかに立ちながら、これを宿命的あきらめに落ち込むことも、怨念の力に自滅することもなく、直ちに人間として立つことのできる脚下の原事実への息づきの一端が感じられる。「部落解放」「人間解放」というこの「解放」という言葉は、わたしたちが久しく忘れ去っていた「人間の基本語」であった。


そして、キリスト者の眼でとらえる人間性の根源的把握とその生き方の探求は、わたしたちの予期している以上に、部落解放運動にたいしても重大な貢献をするであろう事は確実であると思うのである。


周知のとおり、部落解放運動は、こんにちも試行錯誤のなかにあって、つねに党派性を超えて統一的な歩みをつづけようと、苦しい闘いが進められている。運動の内外において、自由で真剣な批判的作業がとくに求められているのである。


部落問題は、以前からタブー視する傾向が強いだけに、この問題にかかわるとき、安易に「運動」との無条件の同一化に落ち込む危険がる。ここでも「間(ま)の感覚」が回復されなければならない。