『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(52)第5章「モグラ暮らしの中からの小さな発言」第1節「被差別部落と番町出合いの家」2「牧師の独立こそ教会革新の前提」

早速、第2回目のレポートを掲載します。





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       第1節 被差別部落と番町出合いの家


     2 牧師の独立こそ教会革新の前提(1973年12月15日)


         ――信仰的独立と経済的独立をたずねる――


先に、わたしたちの歩みは、こんにちの教会の問題性にたいして単に反発し抵抗することを主たる目的にするものでなく、もっぱらキリスト教信仰をうながす発動力そのものに即応するものであったことを述べた。

 
ところで、当然のことではあるが、人間が精神的信仰的に自立をすれば、必然的に経済的生活的に独立・自立の道をえらぶ。それはすべてのキリスト者が経済的独立とともに精神的信仰的独立を願うことと同じである。
 

新しい歩みをはじめて間もないころ、百歳に近い「青年牧師」辻本四郎氏(神戸イエス団教会名誉牧師)から、内村鑑三の『聖書之研究』をドッサリ譲り受け、労働のあいまに読みふけったものである。以下、独立者・内村鑑三のことばである。

 
「経済上の独立は最上の独立ではない。其上に思想上の独立がある、信仰上の独立がある。我々は経済上の独立に達したればとて、敢て安心すべきでない。然れども経済上の独立はすべての独立の始めであって、其基礎である。


先づ経済的に独立ならずして、思想的にも信仰的にも真正の意味においての独立に達することは出来ない。経済は肉に関する事であるが、然し霊に及ぼす其感化は甚だ強大である。


人が肉である間は彼は経済的に自由ならずして、其の他の事において自由なることは出来ない。」(「経済上の独立」1914年1日)
 

教会には古くから、牧師の労働は説教と牧会であって、それ以外の労働は「アルバイト」とか「副業」と見る考えがある。わたしたちもそう思い込んできたが、この考えこそ検討をようする事柄である。


これまで、自分の経済的信仰的独立を不問に付したまま、「牧師中心から信徒中心へ」とか、「説教の輪番制の試み」とか、「万人祭司」とか、「体質改善」とかのおしゃべりを続けてきた。
 

真に教会が革新されるためには、まず牧師の精神的・経済的独立が必要であろう。いかに苦しく貧しくとも、自らの生活は〔信徒の献金でなく〕自らの労働で立てるべきなのだ。


「独立自給」は、「教会」の目指すことであるばかりでなく、「牧師」の目指すことである。これこそ「教会」革新の前提でなければならない。
 

牧師は「ツブシがきかぬ」などと言う人がいる。そんなバカなことがあろうはずがない。「福音のためならどんなことでもする」用意さえあれば、かならず生計はたつ。

 
ここで働きはじめる2年前、兵庫教区の牧師有志が、尼崎教会の教育会館をドヤ(宿)にして「牧師労働ゼミナール」を試みた。一週間の合宿労働、題して「私は働きます」。わたしにとってこれは、よいウォーミング・アップであった。


好評であったためか、第2回目は大阪教区の有志も加わり、題して「ついて来たいと思うなら―修行・卑下・社会性」としてとりくまれた。この連続2回の愉快なゼミナールは、未来を先取りした大きな経験であった。

 
「あんたはペンを持つのが関の山、働くなんて止めなさい」、「青白いヤサ男が、男のなかの男のヤル仕事に耐えられるものかー」・・・。
たしかに急激にきつい労働をはじめることは体に悪い。無理をしないで、徐々に慣らしていかねばならない。
 

わたしのような未熟練労働者は、最初雑役見習から出発する。これは何にも替えがたい経験である。無理なく自然に、働く者としての生活を知り、日本の構造全体を新たに見届けることができる。


そっと読書を禁じていたシモーヌ・ヴェイユの『労働と人生についての省察』も解禁となった。

  
「深い精神的なよろこびと肉体的な苦痛とを、同時にわたしの中に起こす。これは非常に不思議な感じである。」(「工場日記」)
 

もちろん、汗を流すことが唯一の労働ではない。ものを考え・話し・書くことをとおして、事柄をより闡明にする労働の世界がある。むしろこの世界があるがゆえに、わたしたちは汗を流して働き、頭脳を働かせて、ともに労働に励むことができるのである。
 

こうして、ひとたび独立の歩みをはじめるとき、思いがけない独立者たちとの交流が生まれる。以下、ふたたび内村の言葉――。

 
「独立と孤立とは異う。独立は神と偕に独り立つ事であって、孤立とは何者とも共に立つ能わざる事である。神と偕に立ちて、人は独りでも立ち得ると同時に、大抵の場合には他と共に立つ。」