『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(51)第5章「モグラ暮らしの中からの小さな発言」第1節「被差別部落と番町出合いの家」1「教会を背にして新しい旅立ち」

1968年4月から始めることになった私たちの小さな実験は、時代の大きな流れに呼応したものであったのでしょうか、私の所属する日本キリスト教団の機関紙である『教団新報』で「現代の辺境と教会」というコラムが設けられ、「番町出合いの家」のレポートも求められることになりました。1973年12月のことです。


この第5章「モグラ暮らしの中からの小さな発言」では、まず第1節でそのコラムを取り出して置きます。





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        第5章 モグラ暮らしの中からの小さな発言


         第1節 被差別部落と番町出合いの家(4回連載)


      (日本基督教団機関紙「教団新報」のコラム「現代の辺境と教会」)


       1 教会を背にして新しい旅立ち


         ――「インマヌエルの原事実」に即応すること――


大変素敵な環境に恵まれた「番町」という地域が東京にあって、そこには「番町教会」があるという。ところが、わたしたち神戸の「番町」は、東京の「番町」とはまったく対照的に、都市のど真ん中にあっても、「現代の辺境」と目されるのである。


もともと神戸の「番町」は、徳川期には「糸木村」、明治期には「西野村」と呼んでいた。明治40年、東京の「番町」にならって地名を変更したのである(地名の変更によって差別がなくなるのであれば、今ごろ東京の「番町」のごとくに変貌していたはずであった)。それからでも70年近い間におなじ区域になかに、人口は約四倍《1万余》に膨れ上がり、日本一の被差別部落が形成されてしまったのである。


わたしたち住民の解放運動の取り組みのなかで「これだな」と掘り当てられた「宝物」の一端をここに記してみたい。端的にそれは「イエス・キリストの福音」というそれだけで十分すぎるほど十分なのだが、それは、1968年3月末、これまでの「教会」での生活から決別させ、いまの生活を日々うながす当のものであるからには、もう少しそのことを記しておかねばならない。


もっとも、わたしの志向性や動機といったことは、まったく固執しなくともよいことなのだ。それに引き換え、わたしを真にわたしたらしめる発動力そのものが、不断に胎動していることは、わたしがなんと言おうと否定できない事実である。


この確実な事実のわたしに於ける成立、すなわち「神ともにある」インマヌエルの原事実・神人の原関係の成立とその基本構造(不可分・不可同・不可逆の関係・順序)は、わたしなどの生まれる前すでに哲学者・瀧澤克巳氏によって、明晰判明にされていたのである。


学生のころ、名著「カール・バルト研究」を古本屋で見つけ、キリスト教信仰の基本的な事柄に関する疑問と誤解が一掃されたのは、わたしにとってほとんど決定的な出来事であった。


それ以後、滝沢氏の論考を数多く読むことになるのだが、同じくわたしにとって信仰の知恵と力を教えられたのは、身近な先輩であり友人である加茂兄弟団の延原時行牧師である。


師は1964年春から、兄弟団の新たな歩みをはじめ、人の心臓を止めんばかりのパンチの効いた思索を『雄鹿』《1〜9巻》・『月刊BAMBINO』などで発表しつづけてきた。実際は1966年、わたしたちが神戸で生活をはじめてからの交流であるが、この2人の探求者に恵まれ、「インマヌエルの世界」に目が開かれてくるのである。


ところで、まったく思いも及ばなかったことであるが、信仰の世界が明晰判明になればなるほど、「教会の牧師」として踏みとどまることができなくなってくる。「教会」においては精神の枯渇をきたし、「信従」の喜びに自ら生きることができないからである。


「自ら信じ生きる」ことを抜かした説教と牧会ほど恐ろしいことはない。一時の「教会」への不忠が、神への忠誠に通ずることはあることなのだ。こうして1968年春から「番町出合いの家」の歩みがはじまったのである。


たしかに馬鹿にできないのは、信仰の知恵と力である。回りくどくはあったけれども「出家の出家」をして、新しく旅立つことの的はずれでないことを、いっそう確信させられた。


それは、人の心配するほど悲愴なものでも、特別の決意のいるものでもない。いたって自然で無理はない、ただ「委ねと信頼」だけで十分の世界である。的はずれの心配こそ、サタンのなせるわざである。


「バンパク」の貴重な経験をへたこんにちでさえ、根本的な省察と変革のないまま、「教会」の体制固めに過度の熱がこもったり、キリスト教が抱えている問題を指摘するあまり、信仰の知恵と力を見失うようなことがあってはならない。信仰のとらえそこねは、われしらず墓穴を掘ることになるからである。いのちは大事にしなければならない。