『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(50)第4章「Weekly・友へー番町出合いの家から」第8節「廃刊号」

当時、ごく限られた友人たちに送り届けていたこの週刊紙は、そんなわけで廃刊にしました。同時にまた、第3章で取り出した「日録・解放」の公開も中止といたしました。


実際自らの日録は、自分自身の自己耕作のために欠かす事はできませんが、それを公開することとは随分違いがあります。いま振り返ってみて、この試行錯誤は貴重な経験でした。


ところがいま、ここにきてブログなどという「ひとり遊び」の場所にであい、こうしてUPしていることの意味を改めて考えさせられています。


一面では、これまで歩んできた中で、その折々に書き残してきたものは、すべて自分の手で捨てて置くということの大切さも覚えます。そして、大切にしてきた蔵書類も、適当な時に適当な所に譲るなり廃棄するなりして置きたい、という思いあります。


その意味では、これまで授かってきた持ち物を、うまく捨てるための作業をいまやっているのかな、とも思えてきます。実際いま、四つのブログを同時進行させていて、混沌としていた図書資料類が整理できてきました。


まずはしばらくこのまま、手元に残っている諸資料をパソコン上で整理して置いて、その作業を踏まえて、課せられている今後の私の仕事に活かしていく、ということになりそうです。


夢を宿してスタートしたこの小さな実験は、やはりこつこつと丁寧に、残せるものなら残しておきたい、というのは、私流でしょうかね。何分、この実験は、単なる個人的な、恣意的なものでもないところを含んでいるかもしれませんから、大切にしていきたいということと、ここには家族・友人・無数の方々との関係の中でのものですから、この作業は、それこそ宇宙的ひろがりをもってくるようにも思えて・・・。


取り止めのないことを綴ってしまいそうですので、ここまでとして、今回は前回に続いて、番町での岡林信康コンサートの時の写真ののこりを3枚収めて置きます。






             *         *



        第4章 Weekly・友へー番町出合いの家から


   (前回のつづき)


            第8節 廃刊に寄せて


             『週刊・友へ』廃刊号、1969年10月5日


口を開くに時があり、口をとずるに時がある。4月末から出しはじめた「週刊・友へ」を廃刊することにした。精神の腐食を覚えるからだ。出直しである。


恐ろしいものだ。人としてあたりまえの生活をしているのに、特別に見られるとその特別性を否定しつつも、特別視する異常性を看破無視貫き得ない古いわたしが頭をもたげてくる。このままこれを野放図にしておくと、ぼくはいっそう駄目な人間になってしまう。ぼくはそれが恐ろしい。


もっと本来的な目立たぬ生活を回復させたい。こんなときこそ、無名性と匿名性を意欲せねばならないのである。


「中国に木を植える会」の畠田真一さんの私信にある「めいめいが黙って何事かをなすのが真のあり方だ」という言葉に共鳴を覚え、岡林さんの「下痢を治しに旅に出ます」との返信に励まされつつ、ぼくも、もう一度、初心に返る決意をした次第である。


               ひとつの
               試行錯誤の
               終焉


               我汝を断罪す



          *           *



(付記 今回資料整理を進めていましたら、岡林君からの手紙が出てきました。


彼は「蒸発」のあと、本章第2節で取り上げている熊本の古川泰龍師のところに滞在していたことなどが記されていました。古川師からは、そのことは連絡を頂いていたことでしたが、ひとつの歴史的な記録として、ここにその一部を、取り出して置きます。(古川泰龍師のことに関しては、別のブログ「番町出合いの家TORIGAI)」の方で、数回にわたって連載しています。)



「鳥飼さん、とうとうやってしまいました。・・多くの人々に、大変な迷惑をかけているわけですが・・毎月20日以上、列車に揺られ・・最近5キロ近くもやせてしまったし、思考能力も低下してしまいました。このままでは、人間的に何の成長もないピエロになってしまいます。古川さん宅で1週間程お世話になって、色々語り合いました。大変参考になったと思います。特に古川さんが、カッコイイ説教をするというのでスターになりかけた時、全てを捨ててもう一度求道生活に帰り、現在の運動を始めた事を聞き、僕も勇気が出てきました。60年か70年しか生きられないのだから、自分自身が少しでも納得できる様に生きなければ何もならないと思います。生きることは求道し続けることだし、自己否定し続けることだと思います。僕にも再び自己破壊の季節がやって来ました。不安の中にも何とも言えない緊張を覚えます。当分どこかで消えているつもりですが、また手紙を出します。鳥飼さんもお身体を大切にますます素敵なウンコをし続けてください。・・サヨウナラ」)