『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(49)第4章「Weekly・友へー番町出合いの家から」第7節「おかばやしのぶやすさま―下痢を治そうよ」

1969年2月の「ドキュメンタリー青春:やらなアカン・未解放部落番町からの出発」に岡林君が協力出演した後、私たちの地元の若者たちのフォーク仲間から、「岡林信康を番町に招いて、夏の地蔵盆の時に、大きなヤグラを組んで、一緒に歌おう」という声が盛り上がり、彼も忙しい全国ツアーの合間をさいて、予定を組んでいただきました。


資料整理を進めていましたら、何とその時の写真がでてきたのです。今回は先ず3枚を初公開いたします。最近の夏の地蔵盆のことは、別のブログ「番町出合いの家TORIGAI」の方でUPしていますので、そちらをご覧いただくとして、この当時の地蔵盆は、大きなお祭りのようで、大勢の人達でムンムンしておりました。









岡林君はこの時、番町で一泊して、色々と話し込んだのですが、この当時彼はこコンサートに忙殺されて、からだを痛めていました。そんなこともあって、第7章のようなことを書いて、岡林君に送ったのでした。


ところが、その後、新聞や週刊誌など、マスコミで大騒ぎとなった「蒸発事件」を起こすことになります。


手元に当時の音楽雑誌『GUTS』が残っています。
岡林君は、「鳥飼さん ゲリを直しに 旅にでます」という「手紙」を書いて「蒸発」した、その「手紙」の全文が載りました。











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      第4章 Weekly・友へー番町出合いの家から


        第7節 おかばやしのぶやすさまー下痢を治そうよ

           『週刊・友へ』第20号、1969年9月24日


今日も闇の中で闘いの炎を燃やし続けるおかばやしのぶやすさん、連日,全国各地を駆け巡り、内からのうめきと叫びをぶっつけて、下痢も止まらぬほどの大活躍のようですね。


早速ですが、前からお伝えせねばと思っていたことがありますので、ここにメモすることにいたします。


それは、あなたの持論「歌ちゅうもんは、ババみたいなもんやねん」ということについてです。ぼくも、これまでの生活のなかで岡林君の言うことはホントやなと思っています。言葉でも歌でも何でも、自分が食べたもののなかから出てくるわけで、へんに自分のものでもないのに無理して出そうとすると、とんでもないモノがお出ましになるんです。


ところが、あなたの持論がミゴトに的中して、あなたはこのところババもビッチュー(学術用語では下痢と申します)になっておられる由、一日も早く名医がその原因を突き止めて、いいフンが排セツされるようになればと、セツにセツにお祈りしています。以下、ヤブ医者のワタクシメが一言、申し上げましょう。


原因の第一は、やはり過労ですナ。働きすぎですヨ。全国を飛び回るのもよろしいが、あなたの持論、ババがビッチューになるまでなっては、自己矛盾もエエトコロです。


あなたが今、一番大事にしていることは何デスカ? 自分のこれまでタレたババなる歌を、人に伝えることですか。全国各地のフォーク仲間、フアンたちは、確かにそれを切々と待ちわびています。ぼくも何度も何度もあなたの排セツ物を聴きたい、見たいひとりです。
けれど、いまのような生活をつづけていては、ホントのいいババは出てこないと思います。


ぼくの最も大事にしたいことは、何と言っても食い、働き、眠ることです。
自分の生活を大事にすることです。自分の生活のなかからしか言葉・うたは生まれません。やたらと作るものではないと思います。


岡林君の持論のとおり、言葉もうたも、できてくるもんですナ。このような生活のダイナミズムを取り戻すということが、ビッチューを治す道だと思うんです。


ボクはひそかに思いますのに、全国のフアンやフォーク仲間、同労者の方々には、全く非常識でバカバカしく、身勝手だと思われてしまいそうですが、あなたが勇気を出して、ひとりの無名の「働きぞ」に戻り、そこを基点・根拠地・アジトとして、長く自分の歌を生み出していく、といったことが是非必要なのではないでしょうか。


人間にとって大事なことは、うたを歌うことや何かを書くことなどではなくて、どのように存在するか、生きるかという、もっと基本的なところがキチンとしていなければ、空回りするばかりで、結局バカを見るのは自分自身ということになるような気がしてならんのです。


はじめ、ぼくは「闇の中で闘いの炎を燃やし続けるおかばやしさん、連日全国各地を駆け巡り、内からのうめきと叫びをぶっつけて、下痢も止まらぬほどの大活躍のようですね。」と書き出した手紙だったのですが、ぼくの心の底ではどうも、あなたの下痢が更にひどくなって、働けなくなったらイイノニナー、とぶっそうなことを考えたりしています。


エスさんは、あんまり大勢の群衆がついてくるので、ときどき山に逃げていったらしいですが、自称「似非キリスト」のおかばやしさまも、せめてできる限り「ヤマ」に帰って、カイコダナの上なるスイミンの長時間記録をおつくりになるのが、マ、当座の処方箋と言うところでしょうか。


「おかばやし、またも蒸発! すはいちだいじ!」と、群衆がオドロキ慌てているとき、当の「似非キリスト」はカイコダナの上で、命から二番目か三番目かに大切な、ギターと正露丸をシッカリ抱きかかえ、「友」なる南京虫やノミにかしづかれつつ、あやすみあそばされている・・。なんともエエ図ですナ。あツ、こっちまでカユクなってきた!


マ、そんなことはともかく、下痢が早く治って、あなたの本来的な生活と歌が生まれてくるようにと祈り、思い巡らしつつ、ヤブ医者のとりあえずの問診カルテといたします。


1969年9月


  似非キリスト おかばやしのぶやすさま


追伸


9月13日の「メッセージコンサート」に行くのを楽しみにしていたのですが、突然中止とのこと。あなたがホントに蒸発されたらしいとの情報にびっくりしています。ぼくのカルテが、あなたのお手元に届く以前に???
   

コンサートの中止は、ぼくにとって、また多くのフアンにとっても、大きな損
失です。デモ、このカナシミを乗り越えて、あえてぼくはもう一度言います。「おかばやし君、下痢を治そうよ!」