『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(48)第4章「Weekly・友へー番町出合いの家から」第6節「『流れ者』考」

今回の第6節では、岡林信康さんのうた「流れ者」を取り上げています。本文では歌詞をあげていませんので、ご存知ない方のために、シングル盤のUPして置きます。




岡林と共に、高田渡との個人的な出会いも生まれた、神戸でのコンサート資料と、「山谷ブルース」とアングラレコード「くそくらえ節」も入れて置きます。







            *          *



       第4章 Weekly・友へー番町出合いの家から


            第6節 「流れ者」考


          『週刊・友へ』創刊号、1969年4月21日


フォーク歌手岡林信康君は、未解放部落で生きる道ではわれわれの先輩である。今年になってから、急に出合う機会があり、かれの歩むフォークソングの世界に深い共鳴を覚えはじめている。


昨日も、神戸フォークコンサートが海員会館で開かれ、そのあと合評会と称して、フォークの友だちと深夜六甲山の森林植物園にのぼり、岡林君や高田渡さんなどを囲んで、朝まで語り合いました。


ところで、岡林君の最初のレコード「友よ」と「山谷ブルース」は、昨年のぼくの新しい「賛美歌」であったのだが、このたびの「流れ者」は「山谷ブルース」以上に、ぼくの「生活の歌」の感が深いのである。


3月25日、大阪の森之宮厚生文化会館での第1回のリサイタルに行ったおり、彼はこの歌が「何とタイハイした歌か!」と強い非難を受けたことを話していたけれども、ぼくはむしろ、この歌ほどに、飯場生活者の現実を直視した歌は、そうざらにはないと思うのだ。そこらそんじょに蔓延しているタイハイした現実逃避の歌とは、まったく異質のものである。


ぼくは労働しながら、また自転車でのいきかえりに、この「流れ者」を歌うのであるが、この歌は、「働く者の歌だ」「僕の歌だ」と思えてくるのだ。働くものを深く肯定した歌である。


「オレは一生流れ者」を、「オレは一生働きぞ」と歌い替えて見るとき、すぐにぼくに即した、いまの「替え歌」が浮かんでくる。


この歌には、岡林君自身の飯場生活の経験が息づいているのみならず、同じようなところで労働する生活者たちへの、またかれ自身の、いまの歌でもあるように思えるのだ。


メーデーが近い。われわれ日雇い労働者たちは、この日も働かねばならない。ぼくは、いつものように、汗まみれになって労働しながら、「オレは一生雑役工・・」と口ずさみ、メーデーを祝うとしよう!