『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(45)第4章「Weekly・友へー番町出合いの家から」第3節「ナザレの大工・イエス」つづき

当時の日本は、いくらか好景気の時代ではありましたが、長田の下町にある零細企業のゴム工場はしょっちゅう倒産に見舞われていました。それらのことは、前の章でも触れた通りです。


しかし、働き始めて早々に、職人たちは揃って、休日の日曜日には有馬ヘルスセンターに出向くなどしていました。そして年に何度かは、愉快な旅行もありました。


ここではもう一度、工場の写真と四国松山に旅行をした時の仲間たちと写した記念写真をUPします。








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      第4章 Weekly・友へー番町出合いの家から


          第3節 ナザレの大工・イエス


   (つづき)

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このまえ、東京の「山谷」で生活をしているTさんが「出合いの家」においでになり、語り合っていたとき、彼の口から「キリスト教はわざわざの宗教だ」ということばが飛び出してきた。「なぜ、山谷まででかけて、そんなしんどい生活をするのか」と問われるとき、かれはそのような言い方をせざるを得ないとのことであった。


そのときぼくは、キリスト教を「わざわざの宗教」として特徴づけることには反対であることを語ったのであるが、この点を少しみておきたいと思う。


悲しいことに、キリスト教を「わざわざの宗教」とみる見方は、今日通説ともなってしまっている。たとえば、イエスは、もともと神であられたにもかかわらず、わざわざナザレの大工・イエスとなられたという信仰告白に始まって、イエスは「わざわざ」隣人のために愛の奉仕をされた・・・そしてそれに見習ってキリスト者も「わざわざ」出かけて愛の奉仕を・・という論理はいたるところで耳にする。


「立場まで降りる」とは「部落伝道」とか「底辺伝道」とかのなかにも、大変イヤラシイ「わざわざの宗教としてのキリスト教」の名残りを感じてしまうのだ。こうした高慢が、どれほどにかキリスト教を「わざわざ」のものにダラクさせ、人びとを傷つけていることであろうか。


「ナザレの大工・イエス」の道は、けっして「わざわざ」ではなく「もともと」の道であったのである。いま、聖書とキリスト教を根底的に問い直す試みがなされているが、ぼくたちもその道をいっぽいっぽである。


                  

10月27日〜29日、兵庫教区の教師研修会が小豆島で持たれ、「再び<教会の革新―教師論をめぐって」検討しようとする計画がすすんでいる。準備委員会からパネラーの役を引き受けて欲しいとの連絡があったが、3日間の休みは無理なことを伝えた。


しかし、「教会の革新」の探求を、教会論や信徒論など幅広く,また深く教師自らが自分のこととして考え、「教師論」へと集中させて検討していくことは、それ相当の必然性があるように思えてならない。


「ナザレの大工・イエス」の視座は、こんにちの制度的教会を根底的に新しくするものであり,牧師みずからを新しくするものである。


不可避的にそれは「説教者としての牧師」の座から「生活者としての人間」の座へと誘うものである。教会のなかで生きてきた牧師たちが、社会のなかで生きる人間となるのである。かれは、人に教えるために生きるのではなく、ひとりの人間として生きるために、ここにいるのである。


「教会の革新」は、まず「牧師自身の革新」であらねばならない。いくたび「教会の革新」について論議しあえば、教会は「革新」するであろうか。ぼくには今、「教会を革新する」暇はないようである。