『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(44)第4章「Weekly・友へー番町出合いの家から」第3節「ナザレの大工・イエス」つづき

今回のところで、岡林信康さんのことに触れています。彼は同志社大学神学部の後輩ですが、部落問題との直接的なかかわりにおいては、いくらか先輩です。


私たちは、1968年4月に番町出合いの家での生活をスタートさせていますが、彼はすでに東京・山谷の経験と彼の地元近江八幡での部落問題との経験をバネに「アングラ歌手」として注目を集めはじめていました。


次の「若者の群像」の昭和43年6月28日付けの神戸新聞に載った大きな記事は、僕にとってゴム工場で汗を流し初めてまだ3ヶ月も経っていない時のものです。


「アングラ歌手・岡林信康君(21)」「底辺から歌いあげる」「差別の壁、痛烈に告発」「真実のキリスト者求め とび込んだ山谷と部落」という見出しが躍っています。







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      第4章 Weekly・友へー番町出合いの家から


         第3節 ナザレの大工・イエス

  
    (つづき)


     

エスをキリストと信じるとき、イエスは「ナザレの大工」なる人間イエスではなく、「神から遣わされた特別の人」として、信仰の対象にされていく。


その場合、イエスは信者たちの「偶像」になる危険性が強い。そしてこのことはすでに、原始教団の信仰告白のなかにも現れている。すなわち「御子」「神の子」「主」などとして「イエスへの信仰」が告白されているのである。


しかし、このような「イエスへの信仰」は「イエスの信仰」とどのように区別され関係づけられて把握されているであろうか。ほんらい、キリスト教信仰は「イエスの信仰」を抜かしてとらえることはできない。


数年前、「福音と世界」誌で、いまのキリスト教界を「キリスト教」と「ナザレン教」に二分して、「キリスト教徒」の立場から「ナザレン教徒」(と著者がみなしている人びと)を論難した一文があったが、逆にこんにちにおいては、新しい「イエスの信仰」とその行為・言動を,新しくとらえ直すなかから、「キリスト教」そのものを把握する作業が大切になっているのである。


さきの日本基督教団で作成された「今日における宣教の使信」(案)などは、この「ナザレの大工・イエス」の生(信仰)が不問のままに、旧来の「キリスト教」を強調しているだけのように思われる。


    

日蓮のことを思う。かれは自分自身のことを「海辺のセンダラの子なり」と広言したのであった。イエスの言動を捉えるために「ナザレの大工」を視座に置くことの重大さと相似て、日蓮の「センダラの子」の視座は、日蓮解釈に欠くことのできないものではなかろうか。


「センダラ」とは、インドの被差別階層への蔑称であるが、日蓮は「安房国」の蔑視され差別されていたところを出身地としていたに違いない。いまのこととして言えば、日蓮はみずから「部落民だ」と公言したのである。


もしもこれが真実だとすれば、日蓮は蔑視・差別されたもののひとりとして深く悲しみと苦しみを知る人であったに違いない。そしてそこから、現実の価値基準への激しい対決の歩みがはじまっていったのであろう。現今の日蓮解釈では、かれは「由緒正しき家」に生まれたが、みずからを謙遜して「センダラの子なり」と言われたのだとされているとかいう俗説が一般的であるとか・・。


「イエスへの信仰」(キリスト教信仰)は、このような日蓮解釈の誤りにも似た過ちを犯す危険性が大きいのである。


    

昨年のいまごろ、神戸新聞「若者の群像」特集で「差別の壁 痛烈に告発。真実のキリスト者求め、とびこんだ山谷と部落」という見出しで、フォーク歌手・岡林信康君のことが大きく一面をつかって報道されていて、強い感銘を受けたのであるが、その記事の一部を、少し長くなるが引用させてもらう。


「・・山谷のドヤ街に住み込んだ岡林君は、昼間は道路工事に出かけ、夜は日当千五百円から部屋代と食事を差し引いた六百円を持って山谷の男たちと飲んだ。
彼らは金のあるだけ飲んで道路にぶっ倒れる。最初はなぜそうなるのか分からんかったが、そのうちに「山谷」「さんや」と白い目で見る世間へのむなしい抵抗なんだと分かってきた。東京のビルも山谷の男たちが造っているんや。なんでそんなにバカにせなあかんのやと、一緒になっておこているうちに俺ははっと気づいた。キリストは人間みな同じと説いている。そうや、本当のキリスト者でありたいならオレは絶対にこの差別と戦っていかなあかん。オレは山谷のドヤ街の中で新しいキリストに出会った思いやった。・・」


このような出合いは、ぼくにとっても同じように「ナザレの大工・イエス」との出合いとはなるのである。そして「出合い」は、ぼくたちの思考を新しく展開させる効力を持っているのである。


同じくいま「労働牧師」として働いておられる鈴木慎吾師は、最近あるところで、次のようなことばを語っておられた。


「・・自分はかつて労働者の友だちになってあげようと考えていた。今ではそうではない。自分が切実に友だちが欲しい。」


こうした指向性の転換は、イエスの仕事場(道)を見失い、道を踏み外してしまうぼくたちにとって、何にも代えがたい出来事なのである。


「ナザレの大工・イエス」は、はじめから、わたしたちの友であり、解放の道を生きられる方である。けっして彼は、ぼくなんぞのように、一労働者となり「部落」に居住することによって、やっとこさっとこ、その道に連れ戻された人ではなく、「はじめから」そういうお方で「ある」のだ。



    (つづく)