『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(42)第4章「Weekly 友へー番町出合いの家から」第2節「自分のこととしてつながる」

今回は、「番町出合いの家」を初めて訪ねていただいた古川泰龍師との出合いのことに触れています。



この著書は、平成3年に法蔵館より出版された作品ですが、私の別のブログ「番町出合いの家TORIGAI」の今年8月15日〜27日の間に、「叫びたし寒満月の割れるほどー古川泰龍師のこと」というタイトルで9回ほど連載していますので、すべてそこに譲ります。


ただひとつだけ、ここで補足して置きます。それは、何度か古川師と神戸でお逢いした時に、師から1冊の書物を戴きました。それが下記の著書です。古川師は「桃水和尚」に惚れ込んでおられました。宮崎安右衛門著で、昭和33年に春秋社より出ています。




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     第4章 Weekly 友へ 番町出合いの家から


        第2節 自分のこととしてつながる


        (『週刊・友へ』第2号、1968年5月4日)


4月26日夕刻、「福岡事件冤罪死刑囚再審運動托鉢団」の真言宗御室派常在寺住職古川泰龍師と天台宗国分寺住職中川霊翠師、右のお二人に共鳴して物心両面の援助を続けておられる神道大教若狭中教会長大関一郎師の三氏が、兵庫県山崎町在住の長田繁氏の引き合わせで、「番町出合いの家」をおたずねいただいた。


古川師は、教戒師として福岡事件(敗戦後まもなく福岡市内でおきた強盗殺人事件で、事実は正当防衛および単純誤殺事件と考えられる)の西武雄・石井健治郎両死刑囚に出合い、この事件が、占領軍の圧力で咎められたものであることを発見し、10年近くも「再審特例法案」の成立を訴え、全国を行脚しておられる。


古川師の大著『福岡・中国人ブローカー殺し殺人請負強盗殺人事件真相究明書――九千万人の中の孤独』には、「2名を誤殺した事件を誤審して、2名を死刑に処断するなら、さらに新たに2名を誤殺することになる。2名誤殺の事件を裁きながら、自らまた2名を誤殺するとしたら、これまた何と言う皮肉であり、悪循環であろうか。人間の悲劇ここにきわまると言っても過言ではあるまい。我々はこの悲劇から救われるため、あらゆる努力を惜しんではならないのである。」という、師ご自身の生きた言葉が記されている。


「私もこの事件を手がけて以来、2人を殺すことは、同じ時代、同じ社会、同じ法律のなかに住むものとして、自分も殺すことになるというように感じております。およそ、殺人の中でもっとも残酷なのは公権によって犯罪とされて極刑を科されることであります」と述べられ、切実に自分のこととしてとらえられているのである。


長田繁氏は、原爆被爆者支援活動をはじめ、地道な平和運動を展開しておられる方であるが、過日ぼくに、部落問題に関わるそのモチーフを尋ねられ、そのときぼくは、部落問題を自分自身のこととして取り組まざるを得ない旨お答えしたところ、長田氏から深い共鳴の言葉が返ってきたのであった。


われわれの生活は、常につねに、自分のこととして展開されていくのである。そして、おのおの独立した生活者たちは、人間としての課題をになうものたちとして、つながっていくのである。


古川師の長女・竹渕愛さんは父と一緒に、染衣のワラジばきで托鉢行脚をしておいでだが、4月11日付のアサヒグラフに、彼女の次のような言葉が載っている。


「再審運動に入ったのは、2人の死刑囚が可哀そうだったからです。でも今は――何といったらいいのかな、うまく言えないけどちがっています。2人の命を守ることが、私にとってベトナム反戦につながってゆき、それがエンタープライズの寄稿反対につながってきた、ということです。」


こうして歩みつつ、われわれ自身が変えられ、新しくされていくのである。