『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(40)第2部「新しい生活の中から」第3章「働くこと・生きるきと」(「日録・解放」)

一度、親しい友人たちへ公開した「日録・解放」は、今回までのところで閉じています。何故ここで閉じたのかは、次の章で取り出すドキュメントで明らかになりますが、このとき既に28歳で二人の娘がいましたから、決して青春ではないのでしょうが、私にとっては「これぞ青春」という感じがしていましたね。


当時の少ない写真の中から、今回も「餅つき大会」での罐焚き姿を2枚収めます。






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           第3章 働くこと・生きること

             
              「日録・解放」


1968年5月7日

雨のため喫茶「サターン」で昼休みを過ごす。


5月10日

無理をしてはならない。そもそも理が無いのはよくない。最近仕事が辛い。きつい。20キロほどのラバーを午前中ほとんど休みなしに運ぶ。重くてきつい。


朝起きたとき、手も足も痛む。彼にはゴム工員の仕事は続かないだろう、とある人からいわれた事を思い起こす。


しかし、この今のきつい労働の経験を深く経験すること、これがぼくの願いでもある。仕事のきつさに負けてもいいのだ。ただ、無理をしてはならない。ヘンな意地はいらない。


切実性が力である。一昨日の夜、同和厚生資金利用者組合の結成大会を公民館で開いた。元気のいいおばさんたちの組合だ。車友会の運動も大事なとりくみであるが,この組合づくりはもっと切実で、いのちがこもっている。


5月11日

「共働き」「共に仕事をする」ことの幸い!


仕事がだんだんきつくなるが、それに応じて、体も強くなってゆく。よく出来たものである。


5月14日

昨日、仁保時代の大先輩・Mさんがお亡くなりになった。86歳であった。同志社女子大を卒業後、つい数年までずっと助産婦として働かれた。明日が告別式。弔電を打ち、Uさんに便りを出す。


昨日は8時過ぎまで残業。M君来客。10時半まで語り合う。軍需産業の中の労働者の苦悩切々。


残業の帰り道、星空を眺め満月を仰ぐ。ただ上を向くだけで疲れが消えてゆく経験をする。


昨日はまた、お世話になった友愛幼児園の先生たちから、心のこもった贈り物を戴いた。心の通じあうことのうれしさ。


長時間の労働も、楽しみが到来するとき、それを耐えることができる。重労働でも耐えられる。


               徐々に
               本当に徐々に
               からだは鍛えられてゆく
               重い物を ぐっと持ち上げる
               不思議なことだ
               からだもこころも
               鍛えられる
               徐々に 徐々に
               無理をせずに


5月17日

昨夜Y氏来宅。大正3年の行政の取りまとめた「部落調査」を拝見。部落問題について語り合う。


先日H君が、「番町出合いの家」の看板はあがっているのかと聞くから、これは「固有名詞ではなく普通名詞だ。」「看板をあげようと思えば、あちこちどこにでもあけまくらねばならない」と答えた。


5月18日

4月末日で会社は倒産した。来週月曜日に給料を受け取り、21日にはまた神戸職安へ仕事探しに行くことになる。


ことの成り行き次第では、経営者が交代するだけで、このまま継続できるかもしれないのだが、どうなるか。今日も仕事は2時半に終わってしまい、仕事仲間はこれから麻雀である。ぼくは麻雀を知らない。


九州出身のM君は、仕事場の風呂場でぽつんとつぶやいた。「わしには楽しみが無い」。ダンプのあだ名のある彼は大男であるが、「ああ疲れた」という。とてもトテモ、やさしくいい男である。「ボロ」という別の愛称もある。いつも彼は「ボロを着てても、心は錦・・」を口ずさむからである。


5月20日

去る18・19の両日、Mさんのお墓参りに仁保教会へ。

             雨の道を歩いて
             Mさんの墓前に
             お花をささげた

             真新しい木の十字架
             歳を経て朽ちていく
             「いいね」と妻は言う
             辺りの雑草
             細かい雨が
             静かに濡らしている


日曜日、久しぶりに教会で説教を聴く。なぜか、いのちがこちらに伝わらない。なぜなのだろう。


5月21日

昨日、給料13日分を受け取る。倒産のため、今日は職安に行く予定でいたが、みなここで働くつもりのようである。いつでも辞する覚悟は持っているのであるが。


昨夜N氏、車友会のことで来宅。ひとりも落伍せずに免許取得できるように、具体的な要求をまとめて神戸市交渉をするので、その準備に。


また昨夜A氏来宅。今の僕には「教会の話」を聞かされるのは、なぜか疲れる。「鳥飼氏の試みは、牧師がひとり減り、ゴム屋がひとり増えたに過ぎない」といっておられた方がいたとか。


人の評価はどうでもよいことだ。大事なことは、それぞれに備えられた道を、喜んでずんずん進むこと、それだけでいいのだ。


ひとりであることに深い充実を発見すること。そこに、すべてのものに向かって開かれてくる、大切なものが潜んでいる。


              黄色のタオルを
              頭に巻いて
              たびとぞうりを履き
              白紛のついた服のまま
              昼飯を食う


5月23日

午後、はじめて仕事を休み、車友会の16名と一緒に、神戸市民生局福利課に出向き、対市交渉に参加。市側にはどうも誠意というものが少しも感じられない。


現実のパワーは、必ず彼らの硬いハートを変えていくに違いない。仕事を休めば、すぐに家計に響くが、なすべきことをすれば気持ちがいい。万事これでいかねばならない。


5月25日

対市交渉の反省。市側の不誠実とこちらの交渉のやり方の問題。
交渉の場所もわざわざ市役所までいかずとも、地元の公民館で出来ないか。


車友会の夜の学習会は、10人単位程度に班分けして、継続していけばもっと有効ではないか。


シモーヌ・ヴェイユは「1日2時間は書くべきこと」を自分に課している。大事なことである。集中して考えて書くことが大事なのだ。


5月26日

主日の出合い 


       随所が神の御座(黙示録7・15,22・3)
       神の幕屋が人と共に
       時間――四六時中  空間――随所に


5月27日

       
            こころとからだが
            ひとつになる
            労働がよろこびであるとき
            そこには疲れが無い


            汗を流し
            腹の上に
            重いラバーを乗せる


            こころとからだを
            ひとつにして
            生きてゆけ


「おのれを撃つものに頬を向け、満ち足りるまでに辱めを受けよ。主はとこしえにこのような人を捨てられないからである」〔哀歌3・30・31〕。


            聖書をどしどし読む。
            時々立ち止まって瞑想する。
            いま具体的に生きている友と語ること。
            現実を深く把握すること。
            現実にたいする嘆きと悲しみ。


「主よ、私は深い穴からみ名を呼びました。あなたはわが声を聞かれました!」〔哀歌3・55〜56〕。


5月28日

「偉くなりたい者は云々」のイエスの言葉は、自分が偉いと思っているものにたいする痛語である。


5月30日

ロール場に浸水があり、1時間余り外の溝掃除。倒産後はゼネラルという会社がバックにつくらしい。さてうまくいくかどうか。


5月31日

昨夕食後に、散歩がてらS君を訪ねる。訪問を受けるばかりでなく、友を訪ねることもいいものだ。

     
      (文集「解放」は「週刊・友へ」の廃刊とともに公開は止める)