『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(39)第2部「新しい生活の中から」第3章「働くこと・生きること」(「日録・解放」)
1968年4月から始めた私たちの「新しい生活」は、まだ幼い2歳と3歳の娘たちにとっては、どういうものであったのかはわかりませんが、近所の保育園や幼稚園、小学校・中学校・高校、そして友人たちと同じように大学などでも学べる時代に生きて、それぞれ我が道を見つけていまを歩んでいます。
時折、当時の「6畳一間」の暮らしを面白がっては「6畳一間ごっこ」をしたりしております。ここにその2歳と3歳の頃の、娘たちの写真をUPいたします。
娘たちには叱られるかもしれませんが、内緒で入れて置きます。
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第3章 働くこと・生きること
「日録・解放」
(つづき)
1968年4月30日
〔これまでは僕のガリ版印刷、今日からは家内の手でタイプ印刷〕
本日で1カ月皆勤したことになる。皆勤手当て3000円。日当1300円の25日で32500円。残業手当が20時間で約3000円。合計38500円である。残業がなければ暮らしが出来ないようになっている。
ロール場のNさん、昨日の天皇賞競馬で五万円を当てる。競馬と競輪、そしてマージャン・・。この楽しみで、きつい労働に耐えている。
貧しいとき、金の力は強い。
54歳のTさんは、明日のメーデーに参加したいと言う。ゴム関係で組合のあるところがB,S,D社など数社のみ。
5月1日
メーデーである。しかしぼくたちは、いつものように働くのだ。
母からの便り。手紙などめったにこないのに、心配して「祈っている」と鉛筆で書かれている。タテとヨコの「祈りの関係」。
5月2日
6時に起きて8時から仕事
昼休みまで長かった
公園のベンチにこしを下ろして
「ああしんど」とひとりごと
弁当とお茶を開き
清掃局の噴煙の下でゆっくりと・・
食べ終わったとき
「ああうまかった」とひとりごと
どうも我々の工場は倒産が近いようだ。くわしい事情はわからないが、やくざ風の人たちの出入りがあってトラブルがあった。
ゴム工場は倒産はつきもの。その日暮らしの我々の明日はどうなるか。しかし、今日もいつものようにせっせと働く。けれどやはり、みな働く意欲は沸いてこない。午前中の労働はとくに長かった。
ワイフは来週からゴム会社へパートで働くことになった。子どもたちは託児所に預ける。
これからは自分で出来ることは何でもしなければならない。ぼくたちの家庭は「労働者の家庭」になった。
「インマヌエル」「インマヌエル」と言ってみる。
昨日、滋賀県のU君が来る。久しぶりの来訪に驚く。
彼は将来、自動車の部品店を開き、身体障害の人と一緒に仕事をしたい、という夢をもっていると話してくれた。しかし今かれは、壁につき当たり困惑している。いかにここを切り抜けるか。道よ開け!
日常性――「教会に行くことの不自然さ」
ベルジャエフ「自由人は、自己において存在する」〔『奴隷と自由』64頁〕。自己から出て、他者とすべてのものに向かっていく。
姉のところへ家族そろって散歩。はじめての散歩である。
5月3日
憲法記念日。今日ももちろん仕事。昼休みの1時間たっぷりと公園のベンチで寝込んでしまった。本を読むことも、物を書くこともできなかった。
一週間近くもT君は、居場所も不明のままロール場を休んでしまった。心配して探したが、やっと本日ひょっこりと帰ってきた。ヤレヤレ。
最近しきりと「現実とは何か」と問うている。1ヵ月の生活経験から、少しばかり「現実に触れる」ことができたからなのだろうか。
シモーヌ・ヴェイユが工場生活をはじめるときの志向性を「人生の現実に接触したいから」と手紙で書いていた。
今日も仕事帰りに歩きながら考えていた。「現実とは不幸であり、低みなんだナ」と。
先日、クラスメイトのU君から便り。「教会の正しいあり方を求めていきたい」とある。鳥取県出身の三羽烏のひとりである彼の今後がまた楽しみである。近況報告の返事を書く。
4回目の車友会の帰り道、「番町出合いの家」の夢を、雨に打たれながら考えた。
お話の依頼があったがお断りする。
5月4日
仕事仲間はよく休む。多くは疲労が原因であるが、日ごとのマージャンと深酒、いわゆるサボリもあるが。
5月5日
雑誌『部落』5月号を読む。
1週間の経験をワイフとゆっくりと語り合う。はじめて姉も加わる。
昼食のあと散歩にでかけ、「労働牧師」として生きようとする同志・S夫妻を訪問。彼は今パッキング・ケースをつくる仕事場で働きはじめて1週間とか。
月に一度くらいはお互いに交流をもてば面白い。
いよいよ明日から、ワイフはゴム工場でパート労働者となる。共働きの家庭、これも楽しみなことである。二人の役割分担はどうなっていくのかナ。
5月6日
今日からわれらの家庭は新しい出発である。
労働は人間の基本である。互いに尊敬しあい励ましあう関係性。
これまでワイフは家事に専念した。ぼくはこれまで、帰宅するとごろんとなって体を休める、一種のわがままが許された。
さてどんな生活のかたちが生まれてくるか。
子どもたちもこの中で成長していく。
子供のころ 学校で食べた弁当
学生のころ 寮母さんの手作り弁当
今日の弁当 中身はすし弁当
弁当はいいもんだ
仕事仲間は 誰も弁当ではない
だが 働く仲間たちは
雨の日など ぼくに
「公園で弁当たべられへんなあ」
と残念がってくれる
T夫妻が来宅。ぼくの田舎方面に新婚旅行にいき帰ったばかり。神戸新聞に「偏見を乗り越えて」という大きな見出しで、彼らの結婚のことが報じられていて、その感想など語り合った。
ワイフの労働第1日目の感想。「賛美歌が労働歌になった」と。
特に礼拝のときに歌ううたが、仕事の唄に・・。ヘエ、オモシロイ。
給料が1日遅れとなり、1000円「前取り」。債権者会議があるそうだ。
番町の歴史と実態調査。そして総合的な部落解放計画。当然これらは行政担当者の任務でもあるが、番町に住む住民自身の研究活動をドンと先行させなければならない。
解放運動の任務は、この研究活動と実践活動を相即させることをとおして達成される。部落の解放のためには、最高の学問の共同研究が必要なのだ。