『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(38)第2部「新しい生活の中から」(「日録・解放」)
前回につづいて、或る雑誌で掲載された私たちのまちの写真と「識字学級」の様子。この写真は大変珍しいものですが、当時のコピーで、どうにも復元できません。
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第3章 働くこと・生きること
「日録・解放」
(前回につづく)
1968年4月16日
夢が宿った。じっくりと長文の「同和対策審議会答申」を読み、ワイフと語り合っていた。この町が新しくなる。人も社会も新しくなる。夢は実現する。人と地域は変貌を遂げる。変貌の芽吹きにマナコを見開いていなければならない。
仕事中にハカリが転落してむこうずねを打撲した。皮が剥けて痛む。しかし、その咄嗟の自分の動作に驚いた。
このようなとき、人には身をひく力と身を投げ出す力がある。ハカリが転落するとき、身を引いて身を守るのが自然かもしれないが、自分の足を突き出してハカリを守るということも、人間の選択にはある。ハカリは無傷だった。
4月17日
足が痛む。仕事に耐えられるだろうか。
4月22日
構想力と実行力。生命躍動の生。
闇だ
日本の闇の中心がここにある
闇にしたのは誰か
光は闇に焦点を結ぶ
闇
闇
光が闇の中にひそまる
闇
光の到来
4月23日
現実は闇である
現実は不幸である
幸福は罪であるとI氏は言う
幸福は現実に触れていないからだ
ヴェイユ氏は『工場日記』のなかで
その志向するところを
「現実の人生との接触である」と記す
現実の人生に接触しながら
不幸への直面の意欲のなかで
人の道をたどる
4月24日
杖で全身を支え
後ずさりするように前に進む
病弱の母親をみた
近くに幼い女の子と男の子がいる
母親は公園の滑り台で遊ぶ幼子の姿に見ほれている
親と子の深い信頼がそこにはあった
そこにまた別の親子が公園に見えた
遊具に子どもが元気に飛び乗る
すると母親は「降りなさい!」と叫ぶやいなや叩くケル
慣れたもので子どもは泣かない
しかし 親と子の深い信頼はそこにはなかった
どうしてなんだ
これは
国鉄ストで張り紙列車がとおる。そうだ今日は沖縄の基地労連のストである。われわれのロール場もこの2月にストをしたそうだ。日給・残業手当・夜勤手当の増額をわずかに獲得したそうだ。
エレベータがまた故障した。大きなゴムの原料を肩に担いで二階まで持ち上げる。人間の仕事でないようなことが余りにも多い。
腰が痛む。重いラバーを運ぶのが辛い。口の中にまたデキモノができた。足の傷もまだ治らない。魚の目も痛い! 痛知!
4月26日
公園で弁当を食べていたら、K中学の生徒が5人、学校の高い塀をのりこえ、路上に出て、どこかへすばやく消えていった。
4月27日
心のどこかに、人の出来ないことを代わってしていると思っているとしたら、禍である。「成り代わりの論理」は有害である。
突き動かす何かがある――超自然的詩・超越的自然
隠れて働く御方と共にある不思議
4月28日
延原さんは『BAMBINO』14・15号でイエスの行動を「対人性」「社会性」「一人性」の三極面としてトータルに理解する仕方をわかり易く解明している。とりわけ「一人性」の見極めがひかる。ベルジャエフでは「一者性」。
夜、公民館で番町車友会が宇治川・生田川両地区の車友会と交流会を持つ。マイナスを背負うものたちのつながり。
延原さんは「マイナスのヒューマニズム」を提唱していたが、この交流会はなかなか強力なものだ。読み書きの不自由なKさんの言葉「1日1字ずつ覚えたら、1年で365字覚えられる」。40歳近いゴッツイ感じの彼は、ぽつんとそういった。
4月29日
ここでは、市役所の現業で働く人のほかは、労働組合のあるような会社で就職しているものは殆どいない。組合活動といえば失業対策事業の現場で働く人たちぐらいのものか。ぼくもまだ労働組合の経験はない。
一番ヶ瀬康子さんの『年少労働者の実態と教会の任務』を再読する。
この町の現実を映したようで厳粛な思いになる。中小企業労働者のライフ・サイクルを大企業労働者のそれと対比させ、前者は、日雇労働者〔失対労働者〕→生活保護世帯への系譜をたどり、「今日の年少労働者は、社会の底辺を歩むべく運命付けられている人たちだ」と指摘されるとき、この問題の切実さを痛感させられた。今晩はしばらく眠れそうにない。
(つづく)