『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(36)第2部「新しい生活の中から」第3章「働くこと。生きること」(「日録・解放」)

「新しい生活」をスタートさせたのは1968年の春のことですから、思えばむかしむかしのことになります。


当時、限られた友達に送り届けていた「日録・解放」を、ただいまここで掲載していますが、当時の写真が殆ど見つからず、探し出した少ない写真の中から、少しずつ収めています。


今回も、「もちつき大会」のものですが、とても懐かしい、2枚の写真を収めます。お世話になった方々で、現在はその生涯を終えておられます。








          第3章 働くこと・生きること


             「日録・解放」


   (前回につづく)

1968年4月6日

昨日、キング牧師が暗殺された。ぼくの父と同じ三九歳であった。
仕事をおえて帰宅し、食事のときにワイフから知らされた。食後に知らせるつもりだったらしいのだが、あまりに重大ニュースなので食事の前に、手に入る限りの夕刊を、どっさりとテーブルの下から取り出し、そこにキング牧師暗殺のニュースがあった。限りなく厳粛なときであった。
 

キング牧師は、このときのあることを自覚し、覚悟の上でこの道に身をささげていたのである。彼は「大きないのち」の中にいるのである。心を騒がせてはならない。「大きないのち」はすでに息づいているのだから。必ず彼の道を受け継ぐ人びとはいる。キング牧師は「美しい賛美歌を歌おう」という言葉を残して倒れた。


夜、S君と11時すぎまで語り合う。大企業の労働者の生活について聞いた。組合は御用組合となり、労働者としての連帯性は蝕まれている。労働はきつく、活動家は次々と配転される。その中で、彼は自立した労働者をめざす。


昼休みに公園でヨハネ福音書8章25〜30を読んだ。「不可分・不可同・不可逆」「一如性」「召命と派遣はひとつである」。


新聞は、キング牧師の死により非暴力的抵抗の精神は失せたという論調で満ちている。しかし、彼の精神は深く受け継がれねばならない。ベルジャエフも言うように、こんにちは深い「精神の時代」なのだ。アメリカもその精神によって再建されなければならない。


明日は日曜日。「事実的同一性」の現場の友だちと宝塚で「主日の出合い」である。これはぼくが教会にかかわりを持ちはじめて最初の経験である。これまでの「牧師」の生活の中では、決して味わえないことである。もちろんこんなことは、キリスト者(「信徒」)にとって日常の経験であるのだが・・。


人の一日の経験は、真理の道の途上でのものだ。


4月8日

「主の祈り」第1祷「御名をあがめさせたまえ!」 他ならぬこの「わが身をもって」なのである。こうして働くもののひとりとしてあること、このことの中に、深い意味を受け止めること、そして自ら「御旨の地になるように」日々励むこと。


毎日仕事場でサイコロの賭け事がある。あちこち借金があるらしく、仕事場の奥にまで金を取り立てにくる。なんとも悲しいことだ。


友だちは殆ど弁当は持ってこない。独身も多いのだが、家庭にも弁当をつくる余裕がないのだろう。同年輩の通称ダンプ君は、二日酔いで今日も休んでしまった。彼はひとりで酒場をハシゴするのが楽しみで・・。


昨夜はY君宅で「北ベトナム」のテレビ番組を見た。人々の生活の様子を見て強い感銘をうけた。独立と解放をもとめて生きる彼らの暮らしは、ぼくの今の生活に大きな激励として伝わってくる。


ぼくの留守のときにN、N、Kの3人がきてくれた。長時間待たせた上に、結局帰宅が遅く、出合うこともできず、済まないことをした。


今日は初めて残業。8時半に帰宅。隣りの仕事場は、連日10時半ぐらいまで残業とか。帰りにロール場の独身寮をのぞいた。なんとも殺風景で、6畳部屋に四人。2段ベッドが4つ。これでは仕事のあと、外に出て遊ぶ以外にはない。


加茂兄弟団の延原さんから「聖書瞑想キャンプ」の案内を戴く。面白い試みであるが、ぼくは今外にでないで、内に潜んでいることが大切なので、欠席の返事をした。


内に潜まること、口を閉じること、自分の課題に専心集中すること、このことは、友との本当の交流のためにも大事なことなのだ。


   (つづく)