『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録」(5)序章「よろこびのうちに生きる」第2節「絶対無償の愛・歓びの湧出」

前回のはじめに、カール・バルトの顔写真を掲載しましたので、今回は若き日にドイツで彼のもとで学んだ滝沢克己の顔写真を収めてから、序章「よろこびのうちに生きる」の第2節「絶対無償の愛・歓びの湧出」に進みます。




          *         *



    『在家牧師をめざして―「番町出合いの家」の記録」第5回


     序章 よろこびのうちに生きる
      

         2 絶対無償の愛・歓びの湧出


カール・バルトはその絶筆『最後の証し』〔新教出版社〕で次のように述べている。


「単なる倦怠、単なる批判、従来のもの――現今の言葉で言えば既存の体制(エスタブリッシュメント)――に対する単なる侮蔑と抵抗は、教会の大いなる出発の運動とはまだ何の関わりも持たないのです。」〔99頁〕


この指摘は、われわれの思惟と行為の根源を問いなおすための忠告として、今日も新しく聴かなければならないものである。


さて、先にあげた瀧澤の、バルト神学の批判的吟味をとおして獲得した「新しい思惟」の証示とともに、われわれにとって大きな力となったものは、同じくバルト神学と対決折衝しつつ独自な神学〔たとえば、あとで少しふれる「平和の神学」〕を展開する若い神学者・延原時行〔1937年〜〕の歩みである。


延原は、1964年の春から、兵庫県川西市に「加茂兄弟団」を設立し、当初土方をしながらの「自立的牧師」として歩みだした。それは、いわゆる「教勢拡張的伝道」ではない、新しいかたちの「友達づくり」と「新しい聖書研究」のなかから、「教会の大いなる運動」〔バルト〕につらなる稀有な牧師の誕生であった。「兄弟団」の手づくりの雑誌『雄鹿』創刊号〔1964年〕の巻頭エッセイは、今も忘れることの出来ないものである。その一部を次に引用しておきたい。


「わたしは鹿である。谷川を求めて歩く孤独な鹿である。〔中略〕さようなら、過去よ。私は鹿だ。私は谷川と共に流れるのではなく、谷川を奥へ奥へとより深き水のあるところを求めて、流れに逆らってたどらざるを得ない雄鹿なのだ。途中で倒るるも本望である。真理を求めながら死んでいったと、そう言われるだけでよいのだから」


ここには、「真理」につかまれた人間の、絶対無償の愛に撞着した男の、歓びの湧出のサマが躍動している。そして、これまで『雄鹿』〔9号〕、『BAMBINO』(62号)、『在家基督教通信』〔1号〕をはじめ、『BAMBINO叢書』の刊行などにおいて、数々の独創的試論が展開されてきている。


なかでも、『「イエス・キリスト」問題へのanalogia actionis〔行為の類比〕の提言〔増補版〕』〔『BAMBINO叢書1』〕で展開された、「言語概念」〔ここでの「新しい思惟」〕と「行為概念」〔同じく「行為」〕の区別と関係の解明は、とくに重要な学問上の貢献と言わねばならない。


ここでは立ち入って論究・検討することができないが、これは現代の、特にキリスト教神学の直面している問題の、原理論的〔教学的〕考察であり、問題の所在を明晰にしつつ、その解決の方向を積極的に提示したものである。


彼は、先の『雄鹿』のごとく「谷川を奥へ奥へとより深き水のあるところを求めて、流れに逆らってたどる」その途上において、瀧澤「神・人学」に出合い、いっそう根底の固い、独自な行為論と組織論を展開する。


このように、「新しい思惟」〔瀧澤〕と「新しい行為」(延原)が、それぞれその成立の根源的基点から躍動するところに、今日の宗教の新しい胎動のひとつの徴表を見ることができるのである。



付録  カール・バルトの遺稿を収めた小さな美しい作品『最後の証し』(1973年、新教出版社)の表紙と扉に収められている1968年12月6日午後のバルトの写真を入れて置きます。4日後の10日朝、バルトはその生涯を終えました。本書は、小塩節先生の名訳です。