『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録(3)「はしがき」後半

『在家牧師をめざしてー「番町出合いの家」の記録』の第3回は、「はじめに」の後半部分です。

最初に1枚の写真を収めます。





これは、私たちの「神戸イエス団教会」在任時代、1967年1月22日から28日までの7日間、尼崎教会に泊り込んで行われた「牧師労働ゼミナール」(主催・兵庫教区職域伝道委員会)の牧師たちです。

前列右2人目が延原時行先生。私は後列左2人目です。


初めての試みであるこのゼミナールは、参加者はそれぞれ、紹介された労働現場に出向き、一律でない賃金を持ち帰り、一つの会計にいれて生活を共にします。1日の小遣いは100円で、22日の夜から28日の朝までカンズメとなり、出入りを認めないというのが原則でした。


下の写真は、私たちの働いた工場は尼崎の「クボタ」で、右から延原先生、真ん中は小池基信先生、そして私です。





そして、このゼミナールは翌年、1968年1月21日から27日まで、第2回目が行われました。これらのことは、追って少しずつ、おめにかけることにいたします。ゼミナールはしかし、この2回きりで、その後はおこなわれませんでした。





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           はじめに(前承後半)


さて、このたびの作品名を「在家牧師をめざして」としたことに短くふれておきたいと思う。


これまで幾度も、学生時代からの恩師・瀧澤克巳先生と共に大学時代の先輩で文字どおり「先達」である延原時行先生のことに言及する機会があった。


瀧澤先生によってキリスト教の核心に出合うことができたし、延原先生とは特に神戸に出てきて、2度にわたる「牧師労働ゼミナール」体験以後こんにちに至るまで、厚いご友誼をいただき、毎日の生活の上で、つねに大きな刺激を受けてきている。


わたしにとって「小さな家の教会」の夢は、学生の頃に宿っていた「出合いの家」に始まっているが、延原先生の場合は、わたしたちの琵琶湖畔の「出合いの家」の最初の任地におけるスタートとまったく時を同じくして、兵庫県川西市に「加茂兄弟団」を開設し、週日日雇いなどしながら、日曜日はメンバーと一緒に聖書瞑想をするなど「面白い聖書研究」の楽しむという、他に類を見ない開拓的なあゆみがスタートしていた。


今振り返ってみると、この青春時代の大事な模索のときに、瀧澤先生の諸著作に養われつつ、神戸イエス団教会での「賀川豊彦のいぶき」にふれて、すぐ身近なところに、延原先生という「生きた先達」が、既に一歩先に歩み出し、自由闊達に勇躍しておられたという事実は、私たちの大きな励ましとなっていたことを知るのである。


延原先生は、1969年10月から「神戸自立学校」という、毎月の学習の場を開設された。ここでは、延原先生が滝沢先生との緊密な対話を開始されたこともあって、主として滝沢の著作を学びつつ、延原先生を囲んで学びあうという、刺激に満ちた交流・研鑽の場であった。


これは現在も継続中の小さな学校であるが、先生が「在家キリスト教」ということばで、独自に提唱・実践されはじめられたのは、多分1974年早々のことではなかったかと思う。


「在家キリスト教宣言」が書物の形で公刊されたのは、1974年8月である(『まず、ぼくたち自身を問題にしよう』大平出版)。そして同年10月には、「在家基督教通信」が発行され、「在家基督教の産声」が出ている。これは、ガリ版の手書き原稿で、用意周到に考え抜かれたプリントをもとに、ワクワクしながら学びあった、当時の「神戸自立学校」のことを思い起こす。


延原先生は1976年に渡米、クレアモント、ベルギーのルーヴァン、テキサスの各大学などで教鞭をとり、1991年には新潟の敬和学園大学をベースにして、世界に羽ばたいておられることは、知るひとぞ知る快挙である。そして、延原先生の数多くの著作の中でも、途切れることなく「在家キリスト教」の提唱・吟味に、ますます磨きがかかっている。


さしあたり好著『地球時代の政治神学』(創言社、2003年)、『仏教的キリスト教の真理(増補版)』(行路社、1999年)をはじめ、神戸自立学校の機関誌「いぶき」に長期連載された未刊の著作『在家キリスト教のすすめ』(1986年から1990年)は有益である。


わたしにとって、「在家に生きること」「在家牧師であること」は、大きな「公案」のようなものである。


1968年春からはじめた「新しい生活」は、ひとりの人間として「よろこびのうちに生きる」大切な生活のかたちであることを、こんにちも受け取りなおす日々である。この歩みは、わたしたちに備えられた道であることを、そしていまも、その途上にあることを疑うことはできない。


今回のこの作業は、わたしにとって、とても愉快な、心安らぐ作業であった。
さて、これからどんな日々が到来するのであろうか。いかなる新たな出合いが起こっていくのであろうか。


この作品は、まず先達・延原時行先生に謹呈させていただき、さらなる研鑚を重ねていきたいと思う。


 2004年9月24日

                        番町出合いの家

                           鳥 飼 慶 陽