『「対話の時代」のはじまりー宗教・人権・部落問題』を紹介頂いた誌紙(3)

『「対話の時代」のはじまりー宗教・人権・部落問題』を紹介して頂いた誌紙(3)として今回は、京都・平安神宮の近くにある洛東教会の中村悦也牧師が、雑誌『アレテイア』No18(1997年)の「私の選んだ1冊」に取り上げていただいたものを掲載いたします。


はじめて、中村悦也牧師の著作に出会ったのは、京都の同志社大学神学部時代で、まだ大学院に進学していない時でした。その証拠として手元に、中村牧師の著書で『滝沢克己教授所説のキリスト論の根本問題ー附・現代の人間の自己喪失の問題をめぐって』(1962年9月、昭和堂印刷所)があり、そこに「1962」とサインを入れていることで判ります。







既にその前に私は、滝沢克己先生の『カール・バルト研究』に出会っていて、これは偶然見つけたものでした。中村牧師はその頃すでに、漱石やカミユ、フロムやピカートなどを取り上げた「文学愛読者会」などを主宰して、独自の歩みを始めておられ、しばらくして先生との交流が続いていきました。



先生から頂いた500頁近い大著『信仰と感性ー生命の詩 今ここに』(1999年、素人社)の表紙を、ここに収めて置きます。表紙絵に使われた装画は、春子夫人のものだったと思います。







ここに掲載する「私の選んだ1冊」は、上の大著にも収められました。