宗教と部落問題ー「対話の時代」のはじまり<下>(1997年、第26回部落問題全国研究集会)

今回も最初に、藤原昭三先生の描かれたスケッチを一枚ご覧に入れてから進めます。




この講演草稿が準備されましたのは、1995年のあの神戸の大震災の経験を経た後、1997年ですので、神戸ではすでに所謂「同和対策事業」といわれる取り組みも事実上完了しており、残る諸課題は一般対策で進めるという到達段階を迎えていました。


一方しかし、全国的に見た部落問題の状況は、完了・終結というところまでには至らず、国の法的措置も結局21世紀をまだいでしまい、2002年3月末まで延長されることになってしまったことなどは、これまでにも触れてまいりました。


そして部落問題をめぐる動向の中でも、ここで取り上げてる日本の宗教界の中で繰り広げられてきた異常ともいえる実態は、一般には殆ど闇の中のような状態が続いていました。


そんな中、1997年段階になって再び、全国研究集会の場でこの課題ー「宗教と部落問題」について、自由に検討されることになり、私はこのとき「三つの問い」を提示して、積極的な解決の道を探ろうとしました。


この全国集会は、北九州市の大学で開催されたこともあってか、福岡県内の浄土真宗関係の僧職の方々も多く参加しておられました。その僧侶の方々から集会のあと、僧侶のみなさんの「一泊研修会」を開催するので是非に! と嬉しいご招待をいただきました。

改めて神戸からで向かせていただいたこの研修会は、実に愉快なものでした。
初日と二日目もたっぷり時間があるので、すべてを使って自由に話して欲しい、というご依頼でしたので、例の若き日のドキュメンタリー「やらなアカン! 未解放部落番町からの出発」(東京12チャンネル制作)を特別に蔵出ししてお見せしたり、オヒレヒレつけたお話をして、十分楽しませてもらいました。

僧侶の方々とはこれまで何人かはお付き合いはありますが、このような「研修会」に招かれたのは初体験でした。
初日の夕食のあとは、皆さんと一緒に露天風呂の温泉に入り、初日のプログラム終了後は、各種飲み物が用意されて、時を忘れて深夜にまで語り合い、僧侶の皆さんの生の姿の一端を、たっぷりと学ばせてもらいました。

どう表現すればいいのでしょうか。僧侶の方々の、ごく自然に身についたような、飾りのない清々しい礼節、とでもい言ったらよいのでしょうか。私たちが日頃経験してきている牧師仲間のそれとはどこか違う、自由で開かれた空気を感じさせられました。属しておられるこの仏教教団の、教団政治をになっておられる方々の印象とは、ずいぶん違ったものでした。

この時の講演草稿なども、ひょっとして資料の中から出てくるかもしれませんね。
写真なども後でいただいていたかもしれません。


では、前回の続き<下>を掲載いたします。